西武ライオンズタイムマシーン(第314回):1979年 パイレーツとの交流 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年11月に米大リーグワールドシリーズを制したピッツバーグ・パイレーツのチャック・タナ―監督とキャンデラリア、ビビー、ブライレベン、パーカー、マドロックの5選手が世界一の栄光をひっさげて来日した。

2月にフロリダ・ブラデントンで合同キャンプを行った縁もあり、11月10日池袋サンシャイン60・トリアンノでパイレーツ歓迎パーティーを開いた。

 

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スーパースター軍団にかこまれて、この日の根本監督は少し緊張気味

 

「両チームで世界一決定戦をやろう」とがっちり握手をかわす両監督

 

左からタナー監督、ビル・マドロック選手、根本監督

 

マドロックは、4度の首位打者を獲得。

米通算2,008安打、163本塁打、打率.305。

その後、1988年に来日しロッテに在籍。

115安打、打率.263、19本塁打、61打点の成績を残すが、さすがに全盛期を過ぎており期待した活躍とはならなかった。

試合中だろうがベンチ裏でテレビゲームをするなどやりたい放題ぶりも発揮し、わずか1シーズンだけで帰国した。

 

パイレーツ世界一の立役者ジョン・キャンデラリア選手夫妻。

1979年シーズン、キャンデラリアは14勝をあげ優勝に貢献。

1977年には、20勝を挙げ、最優秀防御率(2.34)にも輝いている。

米通算177勝。

 

ブライレベンは、1979年シーズン12勝をあげた。

1977年には、ノーヒットノーランを達成。

米通算287勝、3,701奪三振。

2011年米・野球殿堂入り。

 

パーカーは、1979年シーズン、193安打、25本塁打、94打点、20盗塁、打率.310の立派な数字を残した。

1978年シーズンMVP。

1977年、1978年と2年連続で首位打者、1985年に打点王のタイトルを獲得。

守備でも1977年~1979年まで3年連続でゴールドグラブ賞を受賞。

米通算2,712安打、339本塁打、1,493打点、154盗塁。

 

1980年シーズン前にタナー監督から根本監督に寄せられた激励メッセージ