西武ライオンズタイムマシーン(第281回):1979年 加倉克馬 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1979年西武ファンブックより)

着実に力をつけている。
小柄ながらパンチ力が売りもの。
持ち前の強肩、俊足に磨きをかけ、一軍で活躍する日も遠くはない。

 

【1979年の加倉克馬】
西武在籍:1年目(22歳)、※クラウンライターから残留、背番号56
打撃成績:32試合、6安打、0本塁打、2打点、0盗塁、打率.182

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:32試合 30安打、2本塁打、19打点、3盗塁、打率.323

 

柳川商高校では、エースとして1975年春の選抜に出場。
後に西武に入団する立花義家(1年下)とチームメートであった。

1975年ドラフト会議で太平洋クラブから4位指名を受け入団。
投手として入団したが、打撃と巧守を活かすため外野手に転向。
しかし怪我などで出遅れた為、1978年までの3年間で一軍の試合出場機会は無かった。

球団が西武に変わった1979年は、まずは心機一転、名前を「一馬」→「克馬」へ改名。
6月23日対阪急前期13回戦(西武球場)で、6回裏に立花義家の代打としてプロ入り初出場を果たした。
この初打席で三浦広之からプロ初安打を放ち、プロ初打点も同時に記録した。
7月7日対近鉄戦で、7番・右翼手としてプロ入り初の先発出場を果たすも2打席凡退し途中で代打を送られ退いた。

 

一軍では、打率1割台に低迷し力不足を露呈したが、二軍では打撃で存在感を示した。
イースタンリーグでは、32試合の出場ながら19打点をあげ、打率も.323の数字を残した。
7月21日に横浜スタジアムで行われたジュニアオールスターゲームでは、本塁打を放ってMVPを獲得している。