先日までのブログで、1979年の西武ライオンズは、2次キャンプをアメリカ・フロリダ州で行ったことを書きました。
それは、一軍班のキャンプで、その一軍班から漏れた選手たちは二軍班として別途グアム島で2次キャンプを行いました。
二軍班が単独で海外でもキャンプを行うというのは、当時では両リーグを通じて初の試みであり、球界内では新球団・西武ライオンズが一層注目される出来事でした。
【1979年当時の記事写真とコメント】
グアムでの二軍班キャンプは、岡田二軍監督はじめコーチ3名、そして静岡・下田での1次キャンプを見て二軍班へ振り分けられた選手22名が参加。
2月21日午前1時40分ライオンズ一行はグアム国際空港へ到着した。
深夜だというのに空港ロビーには大勢の関係者やファンの出迎えを受け、花束贈呈やミス・グアムからの歓迎のキッスを受けた。
【写真】花束贈呈に笑顔を見せる岡田二軍監督ら
到着した日は、全員でグアム島の観光を行ったが、翌日からはいよいよ練習を開始。
ホテルからバスで約15分ほどの場所にあるパセオ球場が練習の拠点だ。
選手たちは毎日午前10時のランニングで練習が始まる。
その後の基礎練習を終えると投手陣は投げ込みと守備練習へ。
野手陣は守備の特訓と打撃の特打。
午後2時半までグラウンドで汗を流した。
練習時間は短いが、3月19日のキャンプ打ち上げまでの約1か月間は休日なしのぶっ通しで鍛えた。
グアムの晴天の下で練習する選手たち。
当時は豪華過ぎる二軍キャンプとも言われた。
ランニングする選手たちの背後にはケンタッキーの広告もあり、いかにもアメリカ的な球場風景だ。
気温35度の中、ヤシの木陰に入って棒体操に励む選手たち。
地元のケーブル・テレビ局らも、連日取材にやって来た。