西武ライオンズタイムマシーン(第269回):1979年 二軍班・グアムキャンプ | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

先日までのブログで、1979年の西武ライオンズは、2次キャンプをアメリカ・フロリダ州で行ったことを書きました。

それは、一軍班のキャンプで、その一軍班から漏れた選手たちは二軍班として別途グアム島で2次キャンプを行いました。

二軍班が単独で海外でもキャンプを行うというのは、当時では両リーグを通じて初の試みであり、球界内では新球団・西武ライオンズが一層注目される出来事でした。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

グアムでの二軍班キャンプは、岡田二軍監督はじめコーチ3名、そして静岡・下田での1次キャンプを見て二軍班へ振り分けられた選手22名が参加。

2月21日午前1時40分ライオンズ一行はグアム国際空港へ到着した。

深夜だというのに空港ロビーには大勢の関係者やファンの出迎えを受け、花束贈呈やミス・グアムからの歓迎のキッスを受けた。

【写真】花束贈呈に笑顔を見せる岡田二軍監督ら

 

到着した日は、全員でグアム島の観光を行ったが、翌日からはいよいよ練習を開始。

ホテルからバスで約15分ほどの場所にあるパセオ球場が練習の拠点だ。
選手たちは毎日午前10時のランニングで練習が始まる。

その後の基礎練習を終えると投手陣は投げ込みと守備練習へ。

野手陣は守備の特訓と打撃の特打。

午後2時半までグラウンドで汗を流した。
練習時間は短いが、3月19日のキャンプ打ち上げまでの約1か月間は休日なしのぶっ通しで鍛えた。

 

グアムの晴天の下で練習する選手たち。

当時は豪華過ぎる二軍キャンプとも言われた。

 

ランニングする選手たちの背後にはケンタッキーの広告もあり、いかにもアメリカ的な球場風景だ。

 

気温35度の中、ヤシの木陰に入って棒体操に励む選手たち。

 

地元のケーブル・テレビ局らも、連日取材にやって来た。