(1979年西武ファンブックより)
走攻守三拍子そろったホープ。
将来のミスター・ライオンズの呼び声も高い。
グラウンドでの生き生きしたプレーぶりは見ている人にさわやかな印象を与える。
レオ軍団の新しいスターとして、「立花」コールが西武球場にこだまするかもしれない。
【1979年の立花義家】
西武在籍:1年目(21歳)、クラウンライターから残留、背番号34
成績:123試合、100安打、打率.246、6本塁打、36打点、3盗塁
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:1試合 1安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.500
1976年のドラフトでクラウンライターから1位指名を受け入団。
1年目は、一軍での出場を果たすことはできなかかったが、2年目の1978年に根本新監督がレギュラーに抜擢。
根気よく使い続け124試合に出場し規定打席にも到達した。
西武へ変わった1979年は、主力選手の一人として123試合に出場。
打率こそ伸びずにリーグ第37位だったが、100安打を打ち前年(115安打)に続き2年連続での100安打以上を記録した。
また、前年497打席に立ちながらも0本に終わった本塁打も、4月14日対日本ハム前期1回戦(西武球場)で、1回裏に高橋直樹から右越ソロを放ち、悲願のプロ入り初本塁打を記録した。
【1979年名場面】
1979年4月14日(土) ●西武1-7日本ハム○
立花、プロ入り公式戦初ホーマーをライオンズ球場第1号で飾る
1回裏、立花は日本ハム・高橋直投手から右翼席へ「西武球場第1号」を豪快に打ち込んだ。
立花にとってはプロ入り公式戦初ホーマーでもあり、まさに記念づくめの一打だった。
試合終了後、記念すべきボールをファンから受け取った同選手は「一生の思い出としてしまっておきます」と喜びをこらえきれない表情だった。
【1979年当時の記事写真とコメント】
期待度、成長度ともナンバーワンの若手
ミートのうまさは先天的なものを持っている。
監督は2番を予定しているが、近い将来クリーンアップを打つ打者になることはまちがいない。
フロリダでは「昨年のケガでダメだった分も取りかえす」と練習の虫になっていた。
中距離ヒッターとして3番、4番につなぎ、足を生かして本塁へ突っこむ、立花への期待はこれだ。