(1979年西武ファンブックより)
若い投手を無理に型にはめないのがライオンズの選手の育て方。
どうしても直さなくてはいけない欠点を矯正する。
経験的にも十分な実績を指導にも生かせる人。
【1979年の西三雄】
西武コーチ:1年目(41歳) ※クラウンライターから残留、背番号78
現役時代は、投手として毎日大映、東京、大洋で7年間プレー。
引退後の1969年以降はロッテでスコアラー兼打撃投手、太平洋・クラウンでスコアラーを経て、1978年にクラウンライターの二軍投手コーチに就任した。
球団が西武に代わった1979年もそのまま二軍投手コーチを務めた。
【1979年当時の記事写真とコメント】