西武ライオンズタイムマシーン(第212回):2006年 細川亨 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【2006年の細川亨】
西武在籍5年目(26歳)、背番号30
成績:99試合、53安打、打率.252、7本塁打、27打点、0盗塁

 

2006年は、開幕からしばらくは高卒新人・炭谷に先発出場を明け渡していたが、4月下旬からは正捕手の座を奪い返した。
優勝争いが、激しくなった8月以降は打撃で勝負強さを発揮。
8月27日の対ソフトバンクとの首位攻防戦では、5回表に寺原から勝ち越しのソロ本塁打を放った。
チームが首位から陥落した翌日の9月3日の対日本ハム戦では、4回裏に金村から満塁本塁打を放って勝利に貢献し、首位を奪回した。
9月6日の対ロッテ戦では、先制3ラン本塁打&松坂ら投手陣を好リードし完封リレーで勝利に導いた。
8月27日から9月6日までの先発出場した6試合で4本塁打を放つなど一時大暴れした。
しかし、9月16日対オリックス戦で守備の際に左手首にファウルチップを受け打撲を負うと、翌9月17日以降は欠場し、9月20日には出場選手登録を抹消された。
優勝争いをしている中での細川離脱は、チームにとっても痛手だった。

その後の残り8試合でチームは4勝4敗と勝ち切れず、レギュラーシーズンの優勝争いは日本ハムとわずか1.0差の2位に終わった。
ソフトバンクとのプレーオフ第1ステージには復帰して3試合全てに出場。
10月7日の第1戦では松坂をリードし1-0の完封勝利に導いたものの、第2戦11失点、第3戦6失点し連敗。

チームは第1ステージで敗退した。

この年の盗塁阻止率は12球団最高の.469を記録し、捕逸はゼロと前年両部門最下位からリーグトップに転じ進歩を見せた。
最終的にレギュラーシーズンでは、79試合に先発でマスクをかぶり、そのままフル出場した54試合では42勝11敗1分、5完封勝利だった。
12月29日に伊東勤監督の現役時代の背番号「27」を受け継ぐことが決まり、背番号「30」を付けたのは2006年の1シーズンのみとなった。

 

2006年球団発行カード

 

BBM2006年1st No.87

 

BBM2006年西武 No.L035