西武ライオンズタイムマシーン(第179回):1996年 鈴木健 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【1996年の鈴木健】
西武在籍:9年目(26歳)、背番号8
成績:109試合、107安打、打率.302(4位)、21本塁打、60打点、1盗塁

 

元々鈴木健の三塁守備を不安視していた球団は、1996年に三塁手のポジションに新外国人選手のクーパーを補強した。

その分鈴木健を打撃に専念させることが可能になり、開幕から指名打者として起用した。

ところが、そのクーパーが攻守に精彩を欠き続け、そうしている間に今度は外野手の佐々木誠が怪我の影響で守備につけずに指名打者として起用するしかできなくなった。

そんな苦しいチーム事情が重なり、三塁手としても計39試合に出場した。
それでも打撃は好調でチーム唯一であり、そして自身初となる打率3割に加えて21本塁打をマークした。
しかし、左投手が相手だと出場機会も激減していた。
この年右腕投手時は、320打数に対して左腕投手時は34打数のみとベンチからの信頼度の違いが特に顕著であった。
実際に右腕投手時は、打率.306、20本塁打の数字を残していたが、左腕投手時は、打率.265で本塁打はわずか1本のみであった。
その1本もシーズン最終戦に近鉄の左腕・小池から放った21号本塁打であった。

 

1996年タカラプロ野球カード

 

BBM1996年 No.214

 

BBM1996年ダイヤモンドヒーローズ No.203

 

BBM1996年ダイヤモンドヒーローズ No.203 裏面