【1986年の工藤公康】
西武在籍:5年目(23歳)、背番号47
成績:22試合 11勝 5敗 0セーブ 防御率3.22
1986年は、プロ5年目で初となる2桁勝利・11勝をあげた。20試合に先発し10試合完投した。
6月18日対南海11回戦(西武球場)で、プロ入り初完封勝利をあげる。
7月13日対近鉄14回戦では、9回一死までノーヒットノーランに抑えながら、鈴木貴久に初安打を打たれ惜しくも逃した。
結局5安打を浴び5失点したものの、味方の大量援護もあって最後まで投げ切り完投。10-5で勝利している。
ちなみに、工藤はダイエー移籍後の1999年9月11日の近鉄戦でも8回までノーヒットノーランに抑えていた。
しかし、8回に本塁打を打たれ逃している。この試合で打たれた安打は結局、その本塁打1本のみであったが、その唯一の本塁打を打ってノーヒットノーランを阻止したのが、またしても鈴木貴久だったというのは、不思議な巡り合わせである。
前半戦で7勝1敗と好成績を収め、監督推薦でオールスターゲームに初出場を果たした。
第1戦(後楽園)で先発し3回を無失点、6奪三振で優秀選手賞を受賞した。
広島との日本シリーズは、投打で大活躍。
第2戦は先発し7回を被5安打、2失点と先発投手の役割を果たしたが、味方の援護なく1-2で敗れて敗戦投手に。
西武が0勝3敗1分けの崖っぷちで迎えた第5戦、1-1の同点の延長10回から2番手で登板。12回までの3イニングで5三振を奪う力投。そして延長12回裏、一死二塁の一打サヨナラの場面で工藤に打席が巡ってきた。
広島もこの場面でストッパーの津田を投入し、工藤に代打が送られるかと思われたが、「代打を送っても打てる保証は無い。それよりもこの先の延長戦、工藤以上の投球を期待できる投手はいない。工藤を続投させ相手に得点を与えなければ、サヨナラのチャンスは必ず来る」という森監督の考えで工藤に代打は送らず、そのまま打席に。
その工藤はストレートをライト前へはじき返しサヨナラ安打を放ち、勝利投手にもなった。
BBM2011工藤公康「NEVER GIVE UP」 No.04
続く第6戦は、先発・渡辺久信を救援し、7回から登板。3インニングを無失点で抑えセーブをあげた。
3勝3敗1分けで史上初めて第8戦までもつれたが、この試合8回表に西武が1点勝ち越し3-2とし、工藤は8回裏から4番手投手として登板。
8、9回を無安打、無失点に抑え胴上げ投手となった。
1勝2Sと勝利打点1をあげた工藤は日本シリーズMVPに選ばれた。
1986年の新語・流行語大賞では、「新人類」として清原和博、渡辺久信と共に表彰された。
昭和61年度(1986年)タカラプロ野球カード