長らく「青獅子戦士列伝」を続けてきましたが、今回から「西武ライオンズタイムマシーン」としてお送りいたします。
基本的には「青獅子戦士列伝」と内容はほぼ変わらず続編という位置づけですが、更新頻度をもう少し上げたい、一人の選手についてもう少し細分化して振り返りたいという二つの理由で、リニューアルします。
タイトルを見て、すぐにお気づき?の方もいるかと思いますが、そう某球団のアーカイブス番組のタイトルを真似しています。
あの番組は、当時の選手や出来事などを映像で振り返っており、懐かしさが蘇えります。
贔屓球団でなくとも、ついつい見入ってしまいます。
あのような西武ライオンズの番組があれば、私は間違いなく毎回録画して永久保存版にすると思います。
それはさておき、本ブログ「西武ライオンズタイムマシーン」で、少しでも多くの資料やコレクションをご紹介できればと思いますので、引き続きお楽しみ下さい。
【1981年の広瀬宰】
西武在籍:3年目、背番号67
成績:21試合、4安打、打率.174、本塁打0、打点1、盗塁0
前年からコーチ兼任選手となったこともあり、1981年は、プロ生活13年間で最も少ない21試合出場にとどまった。
この年限りで現役引退を決め、翌年以降はコーチ専任となった。
昭和56年度(1981年)タカラプロ野球カード
広瀬宰
西武在籍期間:1979 - 1981年(3年)
西武通算成績:146試合、49安打、打率.222、本塁打3、打点20、盗塁0
1968年ドラフト2位でロッテ入団。
1972年オフにトレードで中日に移籍。
1975年オフにトレードで太平洋に移籍。
1980年よりコーチ兼任選手となる。
1981年限りで現役引退。
引退後の1982年から1992年まで西武で二軍守備・走塁コーチ、1996年は二軍総合コーチを務めた。
1999年9月没(享年52歳)。
西武コーチ時代の教え子だった田辺徳雄は広瀬を「自分を野球漬けにしてくれた恩人」と尊敬しており、2015年シーズンからの一軍監督就任にあたっては当時広瀬が付けていた背番号「90」を付けた。