いよいよ「平成」時代とも本日をもってお別れとなる。
「部屋とYシャツと私」という曲も平成で一時期流行っていましたね。
それはさておき、この平成の約30年間西武ライオンズにも数々の転機がありましたが、私的には下記が5大ニュースだったと思っています。
平成元年:激しいペナントレース争いに敗れリーグ5連覇ならず。
平成2年~平成6年:リーグ5連覇を達成。森監督勇退。
平成11年:「平成の怪物」松坂大輔フィーバー。
平成20年:ペナントレース、クライマックスシリーズ、日本シリーズ、アジアシリーズ完全制覇。
平成21年:チームカラー(ライトブルーから紺)、ペットマーク、チームネームロゴ、ユニフォームを変更。
BBM2019年平成 No.003
BBM2019年平成 No.035
西武ライオンズ黄金期真っ只中であった1990年頃、中学生だった私は国語の授業で「栄枯盛衰」という四字熟語を習う機会がありました。世の中すべての人や物事には繁栄と衰退があるという意味だが、当時圧倒的な強さを誇っていたライオンズの事を思い浮かべ私は子供ながらに「西武ライオンズには無縁な言葉」だと思っていました。
しかし、時が流れるにつれ、それは現実と化していきました。
平成5年にヤクルト、平成6年に巨人に日本シリーズで敗れ、森監督は勇退。
その後は、東尾監督に替わり世代交代に成功し平成9年、平成10年とリーグ優勝を果たすもチーム成績に安定感は無くなり始めていました。
その後、伊原監督で平成14年にリーグ優勝、伊東監督で平成16年にはクライマックスシリーズからの勝ち上がりとは言え日本一を達成するなど毎年のように上位争いには加わり常にAクラスは確保していたが、平成19年にはとうとう26年ぶりのBクラスへ転落となった。
渡辺監督に替わった平成20年だけは強いライオンズが蘇ったが長続きはせず、その後の長い低迷期へと突入していきました。
平成のライオンズを言葉で表現するのであれば私的には「栄枯盛衰」が当てはまります。
また、この30年間で球団にとって影響力のあった二人が去ったそれぞれのタイミングこそチーム力低下の分岐点だったと私は思っています。
一人目は、根本陸夫氏で弱体化したチームの再建から、球団経営、チーム編成などに関わり手腕を発揮し強いチーム作りに尽力していたが平成5年にホークスへ。その後ライオンズは徐々に力が低下し、逆にホークスは強い球団へと進化し続け現在も受け継がれています。
二人目は、堤義明オーナーで、球界の盟主を巨人から奪うという野心があり、「強いチーム」作りを命じており、協力も惜しまなかった。だが、平成16年西武鉄道が関わる証券取引法違反の一連のゴタゴタでオーナーを辞任(その後逮捕)。堤氏が去り、戦力補強の面で現場の要望が通らなくなり、真っ先にそのあおりを食ったのが伊東監督とも言われている。
両氏がいてこその強いライオンズでもあったとも思うが、両氏とも破天荒過ぎた為、コンプライアンスが叫ばれる現代では、そのやり方は通じなかったかもしれない。
「平成」が、両氏のようないわば「異端児」がまだ受け入れられていた最後の時代になってしまいそうな気がしている。
「令和」では、時代の流れに負けない超個性派たちが出現し、ライオンズの救世主となることを願うばかりである。