西武ライオンズタイムマシーン(第50回):1979年 土井正博 Part.1 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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★2019年4月28日(日)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1979年西武ファンブックより)
力強いバッティングは相変わらず。
外側の球を右へ打つことをマスターしてから安定性を増した。
今年もねらいは3割。
ホームランは田淵さんにまかせますよ、とはいってるが、一発長打を秘めた破壊力はパリーグ投手陣の恐怖の的。
外人選手との3番争いも激しい勝負になりそうだ。
守備はともかく、長い経験と実績から、そう簡単に引き下がる選手ではない。
チーム内にライバルが生まれて、いつになく張り切っている姿は頼もしい。

 

【1979年の土井正博】
西武在籍:1年目(36歳)、※クラウンライターから残留、背番号3
打撃成績:128試合、127安打、27本塁打、70打点、2盗塁、打率.270

 

球団が西武に代わった1979年は、打線の中軸として開幕からクリーンナップを任された。
4月9日第1号本塁打を放つと4月27日には第4号、第5号、4打点の活躍、5月1日第7号、第8号と1試合2本塁打を放つなど好スタートを切った。
4月29日対日本ハム前期6回戦(後楽園球場)で、9回表に宇田東植から左越3ランを放ち通算1000得点を達成。
前半戦は、17本塁打46打点の数字を残しオールスターファン投票では外野手部門第3位でファン投票選出された。
14回目となるオールスターゲーム出場は、3試合とも途中出場だったが第2戦で代打で登場し安打を放った。

後半戦も本塁打を積み重ねて行き8月26日には3試合連続となる26号本塁打を放った。
自身4年ぶりの30号本塁打の大台も見えたが、ここから急停止。
次の27号本塁打が出たのが9月12日で、それ以降はシーズン終了までの21試合(全て先発出場)では1本も本塁打が出ずに終了した。
本塁打数こそ最後は伸びなかったが、前半戦終了時点で.244だった打率は最後.270まで押し上げた。
36歳のベテランながらも128試合に出場して127安打、27本塁打、70打点の数字を残し存在感を示した。

 

【1979年名場面】

1979年8月4日(土)西武●4-9○南海
土井正博・9年連続となる20号本塁打
この日土井は、南海・村上投手から19号、20号の連続本塁打を含む3安打と猛爆発。
これで通算434号、9年連続、15度目の20号本塁打以上と自己の記録を更新した。

(西武ライオンズ球場:観衆2万8千人)

 

次回「1979年 土井正博 Part.2」へつづきます。

 

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