西武ライオンズタイムマシーン(第10回):1990年 羽生田忠克 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【1990年の羽生田忠克】
西武在籍:8年目、背番号10
成績:47試合、17安打、打率.239、本塁打0、打点2、盗塁2

 

1990年は、長打力のあるバークレオや森博幸、バランスの良い吉竹春樹らと左翼手のレギュラーの座を争い、出場は47試合に増えた。

10月12日の対ロッテ戦でファールフライを追って川崎球場のフェンスに激突。

左ひざを骨折するなど全治3ヶ月の重傷を負いシーズンを終えた。

 

1990年タカラプロ野球カード

 

羽生田忠克
西武在籍期間:1983 - 1997年(15年)
西武通算成績:341試合、115安打、打率.258、本塁打1、打点31、盗塁25

 

1982年オフにドラフト外で西武に入団。

1985年に野球留学した。

1986年帰国後にスイッチヒッターに転向。

1987年に背番号を「69」→「10」に変更。

1989年に名前を「忠之」→「忠克」へ改名。

1996年に背番号を「10」→「0」に変更。西武球団史上初の0番号選手となる。

1997年限りで現役引退。

 

1990年代前半の西武黄金期には、俊足、強肩の貴重な控え選手として代走や守備固めで起用される事が多く、特に外野から本塁までダイレクトで届く送球には「鉄砲肩」と評されるほどの強肩の持ち主でした。

度重なる故障があったが15年間在籍し脇役としてチームを支え続けた。