磯村浩太郎の『世相ひねくれ放談』 | サズ奏者 FUJIのブログ

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人間生きていればそりゃあ、腹の立つこともあるだろう。そして、ときにはまあ、損得を抜きに闘わねばならないこともあることを否定はしない。しかし、ここで思い起こすべきは、それがおまえの闘いなのか、ということである。おまえの実存、場合によっては生き死にをかけた闘いなのか、それとも、自分と大してもかかわりのない事柄のために、ある種の力によって戦うべく仕向けられているのか。おまえは、それを自分に問うてみるべきだろう。もし、おまえの闘いなら、基本的にそれはお前一人の、孤立無援も覚悟の上の闘いであるはずである。


あらゆる戦争は、闘うべく仕向けられた結果である。そのためにわれわれの中のあらゆる邪悪なものが動員される。差別、おごり、優越感、人を苦しめ支配する快感、衝動的殺戮本能、スケープゴート、真実をすることへの恐怖、村八分への恐怖、幸せなやつらを陥れる喜び、等々。。。。そして、ある種の力が人を戦いに駆り立てる裏にはやつらがなにかを隠さなければならない事情が潜んでいると疑うことは、ひねくれものの被害妄想というよりはむしろ健全な知性の証といえる。