かかわりすぎない子育て -4ページ目

いまどきの東大出身者


にほんブログ村 教育ブログへ




東京大学の わるくちのようなことを 書くと

きいたかたは 


  ・「そうだ!そうだ! 東大生なんて 人間性の欠けた ばかの集まり」 


  ・「10円まんじゅうさんは 

    東大生に ねたみでもあって そんなこと 言うんでしょ。

    東大生が みんな そうなわけじゃないよ」 


などと そちらに 思いがいってしまって

わたしの 本当に 言いたいことを

さらっと 理解していただけないことも おきやすい気がして・・

まぁ むずかしいものです・・


ブログって ひとつの文面のなかに おもいの100パーセントを つたえられないでしょ?

「こういう例外も あるんですよ」

という おもいも いだきながら 書いていますが


でも まいかい 例外も とりあげていたら

文章が なが~くなって 要点が わからなくなる・・


かといって 例外を とりあげないと

どなたかを 傷つけることになったり

クレームを いただくことになったり。



***



なので さいしょに 書いておくのですが

わたしは 東京大学に なんの うらみも ないし

東京大学を あたまから 否定しているわけでも ないんです。


事実として

いまの 東京大学は・・

ただの ペーパーテスト偏差値の 高い 学生の集まりの大学、でしか なくなった感が あります。


そして それは ほかの大学や学校についても おなじように いえることではないでしょうか?





まっ とにかく


せんじつ 知人の 東大卒の 新田くん(50才)が

東大時代の プチ同窓会に 出席したときの はなしです。


そこで ひとりひとり 自己紹介を したそうなのですが


 「うちの娘は 東大の文一に います」

 「うちの息子は アザブ中学校に 合格しました」


など 

ほとんどの ひとが

娘さんや 息子さんが かよう 有名中学・高校の なまえを 披露して

まぁ それ以外は


 「いまは ○○商事の ××支店長をしてます」


と ・・そういう 自己紹介だったそうです。



新田くん

 「なんだ! この気持ちわるい 集団は!

  自己紹介って こどもの自慢話や 仕事の自慢話を 披露するものか?」

と おもった そうです。



新田くんは 東大在学時から 


東大生って なんかへんなやつが 多いな~と かんじていて

(中高一貫出身の 東大生には とくに へんなひとが 多かったそうで)

 なので これまで 東大の同窓会に 出席したことは なく

こんかい はじめて 出席したそうです。


つぎつぎ くりひろげられる

自慢話としか うけとめられないような 

しかも ほとんどのひとが こどもの話を 嬉々と するので

あっけに とられたそうです。


新田くん いわく

 「あいた口が ふさがらなかったよ」








にほんブログ村 教育ブログへ

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ     訪問いただきまして ありがとうございます

    応援のクリックいただけると幸いです 


 にほんブログ村


ペタしてね













 



(2)いいひとと思われたい子育て

にほんブログ村 教育ブログへ




前回の 記事 (1)いじめ・・  で

いじめには

ほんとうの いじめも ありますが

いじめとは いえないようなことも いじめと よんでしまうこと(人?)が

いまは たくさん あることを おつたえしました。



近年、

いじめで自殺・・という報道が たびたび ながれますから

親は じぶんの子が いじめられていないかという 不安から

必要以上に 敏感になりやすい状況でもあります。



そうしたことや 過保護などが 拍車をかけて

前回の 記事のなかで 書いた ケースで いうと

親は じぶんの子から

 「わたしは ○○ちゃんと あそびたいのに

  ○○ちゃんは わたしを のけものに するの」

なんて 言われようものなら

多くの親は ”うちの子 いじめられてる・・” と おもいやすいのです。




こどもにも 相性のようなものが 

おとな同様 ありますし

ともだち関係が ぎくしゃくしたり ケンカもしたり はなれたり・・

そうかと おもったら すぐに いつものように 仲良くなったり

いろいろ あるわけですが




いまの時代は・・

きたない言葉を 言われたり

ちょっと こづかれたりしても

とくに 母親で おとなしいタイプのかただと

じぶんの人生に そういう経験が ないせいもあるのか

 「うちの子は いやがらせを うけている」「いじめられている」

と 騒いでしまうことが よく あります。


こどもが ケンカを しただけで 

おおさわぎを する ママさんも 少なくないんです。





そのうえ・・

ママさんたちの 話を きいていると

幼稚園児、小学生でも

ケンカもせず、

空気がよめて、

上品なことばをがつかえて、

いつも ほがらかで、

先生の言うことを よく聞き、

宿題を毎日きちんとするような子・・が よいと おもっているかたが 多いです。




よいと おもっていなかったとしても

 「あそこは 親の 育てかたが わるいから」

と ママ友や 地域のひとから

じぶんが 非難されたくないために

とにかく 

”いい子・・非難のネタをつくらない子・・”に させたいと おもう ママさんは 多いです。




わたしも そういう ママさんの気持ちは わかります。

だって じぶんの子が とにかく なにも 問題を おこさなきゃ

ママ友関係や 地域で

じぶんが 後ろ指を さされるようなことは ないわけですから

じぶんは いいひとで いられますものね。



みんなに 「いいひと」「よい妻」と 思われたい願望が 強いママさん 多いですよね。

わたしも いいひととは 思われたいです。

・・でも いつも 考えるんです。




”わたしが いいひとと 思われる 子育てが

 こどもたちの人生には よいことなのか?   ”  と。



失敗や経験の少ない 親のあやつり人形として すごすような 子は

こどものころは 評判が いいかもしれません。

ママも 地域で 評判が いいかもしれません。


でも

おとなに なったとき 

こどもは 強いバネと 優しさを もった おとなに なれるのかな? と。


なにより 幸せ感、自尊心をもった おとなに なれるかな? と。





いやなことを言い

いやなことも言われ

そして 自分で 考える・・

そうした 幼少体験がなくて 

どうやって 

人生の キビを 知った おとなに なれるのでしょうか??







まわりの 子を みていて

わたしが 魅力的な子だと かんじる お子さんは

そのママさん みんなが 

ママさんランチなどのおつきあいや 学校役員や行事に 

積極的なタイプでは ありませんでした。


控え目なタイプか ちょっと鈍感なようにみえるママさんで

お子さんのほうは

元気で のびのびしていて ”自分”が あります。


小学生くらいまでは

ケンカがあったり もの言いが強かったり ときには ものを とったりした子もいて

一見 問題児のような行動を とる子も すくなくなく


やることが  問題児的な子と 一見 似ていて・・

でも

うまく 説明できないのですが

あきらかに いわゆる問題児な子とは なにかが ちがうのです。



こういう子は 成長とともに 行動が おちついてきて

小学生くらいまで ケンカを よくしていたような子などは

ふしぎなくらいに みんな リーダーとして 頼られる存在に なっていました。



残念なことに

いわゆる偏差値の高い学校に 進学した あるいは するような お子さんで 

こういう感じの お子さんには

とくに 男の子では

まだ であったことが ありません。





にほんブログ村 教育ブログへ

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ     訪問いただきまして ありがとうございます

    応援のクリックいただけると幸いです 


 にほんブログ村


ペタしてね













 



(1)いじめ・・

にほんブログ村 教育ブログへ


 



わたしのこどもが 幼稚園に かよっていたときのことで

わすれられない ことが あります。


それは 

幼稚園児を みていて 気づいたことなのですが


幼稚園児の世界にも 意外と

おとなの世界と にたところがあって


幼稚園児といえども

・ともだちづくりには 相性が ある

・魅力的な子とは みんなが あそびたがる

というような ことでした。




息子が かよっていた 幼稚園の

女の子たちの あいだで おきたことです。

幼稚園児にしては わりあい バランス感覚が あって

あそびかたが 似ているような

女の子が 3人 いました。


この3人の子は うまが あうようで

3人いっしょに よく 遊んでいました


まわりの 女の子たちにとって

その3人の子は 魅力的で 

わたしも いっしょに あそびたいと おもわせるような存在だったと おもいます。


それで なんにんかの 女の子が

その3人の女の子と あそべるように 加わろうとするのですが

あそべない・・



いまどきは 幼稚園の ママさんは

こどもの友人関係にも 深く ふみいるひとが 多いわけですが

まぁ このブログでも しょっちゅう 書いているような

過保護・過干渉・役員大好きタイプの 親が そこにも いました



その 過保護ママさんを ひとりはAさんと もうひとりはBさんと します。



Aさんは

じぶんの娘から 「あの3人と あそびたい!」 と 言われたので

3人の女の子を 自宅に よんだりして・・

仲良くできる環境を セッティングしていました


でも けっきょく その3人は 

幼稚園などでは いつも 3人で あそんでいて


そして Aさんは

「うちの子が 仲間ハズレに されている」

と 言いだしました。



わたしが みるに

Aさんの 娘さんには いじわるっぽいところや 勝気なところがあって

おっとり 楽しくあそぶ 3人とは あわないようでした


なにも 3人の女の子が Aさんの娘さんを 仲間ハズレにしていたわけじゃないのです。

幼稚園児とはいえ 単純に ”相性”って あるんだと 感じました。



もし Aさんの子が 3人の女の子と 感性が 似ていたら

4人で あそべたかもしれませんが

性格が ちがいすぎました。




Bさんの娘さんも この3人の女の子と あそびたがり

これまた Bさんも

いろいろ セッティングするのですが

Bさんの娘さんも この3人とは 性格が あわない感じでした。


この娘さんのほうは 寡黙で 3人の女の子とは のりが ちがいました。



ちょっと 話が それますが

Bさんが 言った 言葉で わすれられない言葉が あります。

 「うちの子の 幼稚園の担任は 先生として 失格よ!

  あの担任は

  うちの子が 朝 元気なく登園したとき

  うちの子に かけよってきて だきしめるとか 元気をださせるとか

  いろいろ やってくれないもの!                           」



Bさんは 役員とか つるんでランチも だいすきで

ママさんたちの リーダー格グループの ひとりでした。

Bさんの娘さんは じぶんから なにかを する必要が ありませんでした。

なんでも ママが やってくれてましたから。



こういう環境で そだった子は

”じぶんが うごかなくても ママやまわりのひとが やってくれるのが あたりまえ”

と 待つ姿勢に なりやすいのでは ないかと かんじました。



Bさんの娘さんは 

その3人の女の子と あそぶときも

じぶんから 3人の子に なにかを提案するとかが ないんです。

いつも おとなしく 待つ・・姿勢で。


これでは 

3人の女の子たちにとっては たのしくないですから

けっきょく あそばなくなる・・



Aさんの娘さんも Bさんの娘さんも

3人の女の子と あそびたがるので

それぞれの ママは 娘のおもいを かなえてやりたくて がんばるわけですが

けっきょく あそべず

そして

さいごは

「うちの子は 仲間ハズレに されている」 と 言いだすわけでした。



いじめには

ほんとうの いじめも ありますが

こうした いじめじゃないのに いじめと いわれるものが

いまは すごく たくさん あるのです。







にほんブログ村 教育ブログへ

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ     訪問いただきまして ありがとうございます

    応援のクリックいただけると幸いです 


 にほんブログ村


ペタしてね













 



プロ野球ボールとトルコから


ひさしぶりに テレビを みていたら

プロ野球の ボールの問題 と

地中海に面した国・トルコの状況について 放送していました。



トルコの 若いひとたちが 

ちゃんと 政府にたいして 意見を 表現していて

それを 応援する ほかのひとたちが いて



そして

ある トルコのひとが

 「2020年の オリンピック候補のことは 二の次」

と いったふうなことを 話しているのも 見ました。


トルコでおきている詳細については 知らないのですが

わたしには なんだか


 トルコの ひとたちは

  ”国民にとって いちばん だいじな土台

   庶民ひとりひとりの 平和で幸せな 暮らしなんだ。

   庶民が 平和で幸せな 暮らしが できないなら

   土台が しっかり しないなら

   そんな だれのために やるのか わからないような オリンピックは いらない”


と、


 一部のひとのための オリンピックより

 国の土台である 国民全体の幸せを まず 大切にかんがえたい!

 オリンピックは そのあとで いいんだよ~


と 言っているように きこえました。


日本は どうだろう?


「不祥事だとは おもっていません」と 

あの野球の コミッショーナーは 言ったけれど

不祥事か どうかみたいなことを きめたりするのは

当事者の コミッショナーで ないはず。


外務省の 高官を 長年やっていた人物にしては

おそまつな 発言だ。


でも どうして そんなひとが コミッショナーに なったのか・・

それは

野球界の重要なことは 

すべて 読売グループの 渡邉氏の一存で きめられているから。


上司に さからわない・・

日本の典型的官僚タイプの イエスマン 加藤コミッショナーだからこそ

渡邉氏は 気にいって コミッショナーに すえたようです。


こんかいの件で 

いちばん よくないと おもったのは

”ボールの 数値を すこし 変えたことを 公表すると

 面倒なことに なるから 

 公表しない                         ”

というような 

日本の 組織で よくみられる姿勢です。


とくに 今回のように 法律をおかしたようなことでも ないくらいのことで

いんぺいしようと するということは

ほかに 多くのことを 隠している組織なのだろうと

推測されるのは とうぜんのことです。 


こうした 

”公表すると 面倒なことが おきるから 国民に 知らせない”

ってこと

原子力問題だけに かぎらず

日本の 考え方の 根底に ありますね。


この風潮が

日本の ほんとうの近代化を さまたげている 

大きな要因の ひとつではないでしょうか?





それにしても

いまの 日本は 

上司などに 意見を 言えないどころか

対等な立場で あっても 意見の違いを 単に 伝え 話しあうということが

できなくなって しまいました。


そのため・・・


わたしの まわりでは

学校・幼稚園などのPTAでも 部活動や地域の少年スポーツチームでも

ミニ渡邉氏のようなかたが リーダーに なりたがることが 多いのですが


日本人は ほんとうの話し合いが できないので

いったん ミニ渡邉氏のようなひとが リーダーに なってしまうと

ミニ渡邉氏の 一存で 

PTAや部活動の ことが

すき勝手に どんどん はこばれていくことが とっても 多いのです。


おとなだけで すむ 話なら まだ よいのですが

いま

こどもに 勉強やスポーツなどで よい結果を ださせるかどうかは

親が どれだけ 一生懸命 かかわってあげるかで きまると

考える親が 大多数なので


この結果 こどもたちに

みんなで 過保護・過干渉な状況を どんどん つくることになっていて


いまの こどもたちは

勉強の面で 親や 塾の先生たちなど オトナに したがう生活を おくるだけでなく

生活全体で オトナが あれこれ やってくれるので

じぶんで考えて行動することが できない社会人に なっても

ちっとも 不思議では ない状況に なっているのです。




2020年のオリンピックに 東京が 立候補していますが

わたしたちも 

いま もっと 意見を 表現しなければいけないこと

いま もっと やらなければいけないこと が あるのでは ないでしょうか?


「ビルを建てたり オリンピックを誘致したりすれば

 お金が はいって

 日本は 幸せになれるんだよ             」

というような 考え方は もう 転換しませんか?



わたしは スポーツは だいすきなんですけど


 ・いまの いきすぎた お金もうけ主義の スポーツ


 ・ただ ただ 監督や両親に したがって 練習する結果

  加藤コミッショナーのような 東大法学部出身でも ただのイエスマンしか うまれない

  いまの 日本の こどもたちの 部活動


など、 とりまく 環境を みていると

スポーツをして ほんとうの幸せを てにしているひとは どれだけいるのだろう??

まわりのかたがたを みていて つよく感じます。



トルコのことを きいて

  日本の 

  雰囲気などに ただ したがうだけで 

  意見の言えない おとなしい 日本人の国民性について 

感じている

きょう このごろです。





にほんブログ村 教育ブログへ

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ     訪問いただきまして ありがとうございます

    応援のクリックいただけると幸いです


 にほんブログ村


ペタしてね













 



どうしてこんなに幼稚化したのかな


にほんブログ村 教育ブログへ

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ     




せんじつ 原子力発電所問題の会に でたときのことです。


70才をすぎたふうの 女性の かたが いらしていて

おっしゃいました。


  「原子力発電所の 事故は

   わたしたちの世代が つくって ひきおこしたことなので

   孫や つぎの世代の ひとたちに

       あやまちを のこしていかないように

   つくった わたしたちが

   この問題を なんとかする責任が あると おもいました。


   わたしたちの世代はね、

   おかみの言うことは すべて正しいと 教育されたんですよ。

   さからわずに 従順になるように。


   でも それでは いけないと・・

 

   なにか したいなと思って 

   それで きょう 来ました                   」




ちょっと はなしは かわりますが

これまで このブログで

”おとなが 幼稚化してきている・・” ことを なんどか 書きました。


せんじつも こんなことが ありました。

中学生の お嬢さんが おとこの子から 告白されたのですが

親どうしで

「おたくの お嬢さん コクラレタと ききましたよ~。スゴイねぇ・・」

などと たくさん メールが いきかったのです。


ちなみに このときの メールを 送り合った親というのは

たいはんが 父親たちでした。


地域で サークル活動を している お父さんたちなので

みんな メルアドを 交換していたようです。



こうした 

「えっ? おとなが そんなこと 言うの? するの?」

というような ちょっと 信じられないこと 多いです。


まるで 

親が こどもの からだのなかに はいりこんで

 (ど根性ガエルの ピョン吉みたいに)

学校や 部活や うわさ話を 

こどもと 同時体験しているように かんじます。



幼稚園~大学まで

私立でも 公立でも

偏差値の高い学校でも 低い学校でも

どこでも おこっていることです。



あまりに こうしたことが 多くて

どうして こんなことに なったのかな~と 考えてしまいます。


原因は いろいろ あることでしょうね。



大きな原因の ひとつは

冒頭に かいた

 「おかみの言うことは すべて正しいと 教育されました。

  さからわずに 従順になるようにと。             」

に あるような



ただ まわりに あわせて さからわない 

日本人の姿に あるかなと おもいます。


 これネ、

 幼稚園や学校の ママさんたちの はなしを たくさん きいて

 実感させられているのです。



じぶんで考えると 

まわりの ながれに さからうことになるから

考えない・・ 

そうして

考えられなく なってしまったのかもしれません







にほんブログ村 教育ブログへ

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ     訪問いただきまして ありがとうございます

    応援のクリックいただけると幸いです 


 にほんブログ村


ペタしてね