かかわりすぎない子育て -6ページ目

年末に

ことしの後半は ブログを更新できない年に なってしまいました。


ブログを 更新できなかった理由など 

記事にしたいことは たくさんあるのですが

どう 書くのが よいのか わからずに 時間がながれ

気がつくと 年末に なっていました。


わたしのブログ・・

教育問題については 

ほんとうに お伝えしたい 核心部分が 

まだ 書けないまま きょうに いたっています。


来年以降 お伝えできると いいなと おもっています。


この夏以降 ブログを 更新できなかった理由は

想像してきた以上に 教育の現場が 幼稚化していることを

いくつも 目の当たりにしたことが きっかけでした。


幼稚化しているのは オトナです。


母親、父親、そして 教育にたずさわっている オトナです。



日本では ここ何十年も

生きる力や 生きる喜びについて ないがしろにされてきました。


ですから いまの 日本のオトナは 外見は おとなですが

なかみは どうでしょう?



こうした オトナに 

未来へはばたく こどもたちを 育てることが できるのか・・

疑問です。


よく ゆとり教育について 批判的な意見を きくことが あります。

おもうに

ゆとり教育も そうじゃない教育も たいして 変わりありません。

ちがいは こどもたちの ある特定分野についての つめこむ知識の量が

ちょっぴり 増減しただけのこと。


たとえば そうした ちょっとしたことや 目先のことばかりを 気にして

大局を みようとしない・・

大局を みる方法を 知らない・・オトナが 大勢になってしまいました。



そして それは 日本全体に いきわたっていますから

悲しいことに

東大、早慶など 有名大学に進学する 親子たちも 例外では ありません。


むしろ 有名大学に進学する 親子ほど

じぶんたちの利益を 追及することに かられて

考える力や 心を うしなってしまっていると 感じています。



こういう ひとびとで つくる ニッポン

どういう 社会を めざすのでしょう。


これから先 しばらく 

日本は 混迷の時代に はいっていくかもしれません。













 




西辻一真氏

こんにちは。



しばらく 更新を できずにおりました。


そろそろ 再開したいと おもっていたのですが


さくばん ある番組を みて

そのことについて まず お伝えしたいと おもったので

きょうは その番組のことを・・。


きのうの夜に はいっていた この番組

たまたま 途中から みたのですが

番組を 見終わったとき

主人も わたしも ことばを うしないました




  被災農家を救え
  若きビジネスマンが挑んだ農業再生550日
 
(←クリックするとひらきます)


   再放送 11月4日(日) 午前0時50分 






東北震災の復興のための 予算が

復興とは 関係のないところに つかわれていることが 発覚しましたが


義援金や 復興の税金は

被災地に とどけられ 有用に つかわれているのでしょうか?




原発事故も戦争も我慢しなければいけないこと?

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原発事故の被害を 直接うけたかたがたについて

すこしでも 理解が ひろがれば・・と

前回の 記事を のせました。


”おかみに従うことをよし” と しがちな 日本の風潮のなかでは

こうした 被害について 

個人は 国や電力会社にたいして 泣き寝入りしなければいけないかのように

考えてしまうかたも いるのではないでしょうか?


きょうは 

わたしが 原発事故直後から ずっと かんがえてきたことに 関係した 記事を みつけたので

それを 紹介したいと おもいます。



* * *


現代をみる:ノンフィクション時評 8月 原発事故と「受忍論」

  http://mainichi.jp/feature/news/20120828dde018040003000c.html         (←クリックするとひらきます)



  毎日新聞 栗原俊雄記者が

  斎藤貴男氏の 著書 『「東京電力」研究 排除の系譜』に ついて 書いた 

  一部を 下記に 抜粋いたします。



(福島原発事故の)責任追及とともに 急がれるべきは、被害者への 補償だ。

これからの 訴訟は 膨大な数に 上るだろう。


斎藤は、司法で まかり通る 「受忍論」から 警鐘を 鳴らしている。

たとえば 東京大空襲のように、

戦争で 被害にあった 国民や遺族が 国に 補償を求めて 訴訟する。


すると 司法は

「戦争でみんな被害にあった。だから、みんなでがまんしなければならない」

という判断を しばしば 下す。

これが 「受忍論」だ。

 斎藤は この受忍論が 東電への 損賠訴訟に 転用されるとみる。

「戦後補償に限らず、重要な国策にかかわる訴訟では

 ことごとくこの 受忍論で しりぞけられてきたから」。








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福島より

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きょうは

前回 ご紹介した Kaoriさんのブログ で 知った

べつの 記事を 紹介します。


 福島より、SOS!


  ワンダフルわーるどさんのブログより




 ・・わたしのコメントは 不要でしょうね





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野田まるで笑いをとるためかのような

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 ひきつづき

 読者のかたに 関係した内容を おつたえしています。



おおくのかたは ワイドショーや雑誌などで ごぞんじでしょうが

わたしのように ご存じないかたのために

記事を 紹介させていただきます。


ここのところ

あまり テレビを みなくなったので

kaoriさんの記事で はじめて 知りました。



 消費税増税 シロアリ取りがシロアリになった理由




ここまでの こんなことって あるんですね・・・・



まぁ 政治家には ありがちなことなのかもしれませんが。

とくに

テレビの コメンテーターを していたときの 発言と

その後 国会議員に なってからの 発言が 変わったひとは

たくさん いますね。



人が 意見を 変えることが あるのは

当然のことだと おもいます。


でも それが 政治家の 発言となると

しかも どの政治家のかたも

変わりかたのパターンが 同じなので

庶民には げせないわけですね。


どうして そう 変わったか

政治家には 説明する責任が あると おもいます。

当然でしょ??


政治家って 国民のためのサービス業ですからね。

黒塗りの車に のったりして

なんだか かんちがいしてしまう人が 多いですケド。



まぁ 理由は

たぶん

先日の 湯浅さんの言葉 に あったことと おなじようなことなのでしょう。

     (クリックするとひらきます)



いぜん 公的機関で はたらく 友人が 言っていました。

取引している会社への 支払単価が 高かったり

               質が 悪かったりするために

それについて その 取引会社と

交渉するとか あるいは、取引をうちきるとか したくても

それによって その取引会社が

経営危機に おちいったりするかもしれないとなると

簡単には いかないことが あると。


バブルはじけるまえの 日本の お役所では とくに

こうしたことが 多かったことでしょう



電力会社では バブル崩壊の 影響もなかったどころか

かえって うるおい

こうした怠慢経営が つづいていたことが 

原発事故によって 発覚しましたが・・。






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