しみついたものは

容易に薄くならないモノです。

イケベユキコです。

 

 

 

 

服のシミをとろうと

生地を揉んだりすると逆に

しみの周りに滲んで広がったりして。

 

 

 

 

 

シミがついたら

汚れの性質に合わせたとり方をすること。

だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

共通しているのは

長時間放置しないこと。

放置するほど落としにくくなること。

 

 

 

 

 

 

水溶性(コーヒー・ジュース)は

水に溶けやすいので洗濯だけでもきれいになる。
 

 

油溶性(チョコ・口紅など)は、

油に溶けやすくクレンジングオイルや食器用洗剤で落とせる。
 

 

不要性(泥・墨汁など)は

溶けにくいので難しく、家で対処できないこともある。
 

 

 

 

 

 

染みついたものは

思考のクセと似ているなと思います。

時間が経つととれにくいのも。

気づけないところや対処方法も。

 

 

 

 

ソースのシミがついても

シミに気づかないことって、よくあります。

 

 

 

 

気づかないとソースのシミは

「ついてない」ことになりますから

気づけない。

 

 

 

 

ノートレッスンで

思考のクセはどうしたらいいですか?

聞かれるタイミングがあります。

 

 

 

 

そう思うのがもうクセなんですね。

「思考のクセが無くなったら解決する。」

と思う。という自我意識のパターン。

 

 

 

 


なんにもしなくていいです。

とお伝えしています。

その都度気づいていくと、いずれ終わります。

 

 

 

 

思考は自我意識です。

肉体と思考を「コレが私」と、認識しています。

でも「私」ではないのです。





私は…下記にある、この感覚です。

その一部が思考です。

 

 

 

 

 

赤ちゃんの頃からや

小学生時代からを思えば

完全に別人のごとく変貌しているけど

 

 

変わらず内面に

在り続けているものが確かにある。

 

 

経験が増え知識も増え。

たくましくなっても

それでも変わらない自分がいる。

 

 

再生を繰り返し細胞も徐々に老いて

変化して続けているのに

 

 

変わらず在るものが在る。

それが内面で感じる

ほんとうの「わたし」。

 

 

 

みなさまも

見た目などの外側は変化していても

内側に年齢不詳の

「わたし」がいませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レッスンのプチ講座でお伝えしますが

それもしつこくしつこく、くどいぐらい(笑)

お伝えしますが、

 

 

 

 


みなさん

思考にのみこまれ、忘れてしまうのです。

思考が私と同化してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもこの「忘れる」で

苦しくなる思考の罠に気づくことが

できるんですよね。この世はパラドックス。

 

 

 

 

失敗や、忘れる。って

ダメなことじゃないですよね。

状態を表す言葉と表現にすぎません

 

 

 

 

失敗があるから発明が生まれ、失敗したから

次はこうしようと考えることができる。

逆に失敗しなかったら

新しい展開は生まれないかもしれない。

 

 

 

 

忘れることがなければ

人間は生きていけません。






強烈な体験による記憶が体験した時と同じように

ずっと感じ続けることが出来ないのは

「忘れる」という機能のおかげです。

 

 

 

 

 

失敗は、問題じゃない。

問題にするのは、思考です。

 

 

 

 


問題を解決したら安全だ

考えるからです。

安全だと安心するためにわざわざ

問題にするということをしています。

 

 



なんでもすぐ問題にし、それを解決し

安全を確保しようと思考が働くのは

自我意識の最重要の任務です。ですが

 

 

 

 


厄介なのはいつも

「問題」を探すのがクセになっていること。

 

 

 

 

 

安全な時でも

問題を探していることに気づけますか?

わざわざ問題を作り不安になっている。

 

 

 

 

その問題は、幻です。

問題にして、解決することで

安心を感じようとする思考の動きです。

 




思考は

安全だと安心するためにわざわざ

問題にするということをしています。


 


 

 

 

 

 

 

 

この世は二元性で成り立っています。

影がないと明るさはわからないように

この世界は両極があります。

それは切り離せなくて、2つでひとつなのです。

 

 

 

 

光と影なら。

影がなくて明るさだけだと、真っ白で

何も見えなくなる。逆も然り。

 

 

 


自他なら。

他人がいないと、人類は滅びます。


 

 

 

自我意識は問題をつくりだして

その問題がイヤだと、

また問題をつくります。ぐるぐるしてる。





問題にしては、問題を解決しようとし。

次は問題が起こらないように

問題をつくってるのが思考のクセ。

 

 

 

 

こう書くと

じゃあどうするか。どうしたらいいのか。

と反応しますよね。

 

 

 

 


それはそういうものなので

問題ではないということです。

 

 

 

 

思考の働きは健気ではありますが

幻に1日のエネルギーをかけるのは

もったいなくないでしょうか?幻なのに。

それになにより、苦しい。

 

 



思考は喜びを生みますが

同時に苦しみが生まれるのです。





言葉に違いはありますが

言葉は方便なので

いずれにせよ、愛ということです。




 

 

 

 

 

頭でわかっても、できません。

何度も体験するしか、わかりません。





頭でわかって満足することを

わかったと思考する罠だからです。

少しの安心を得て終わらせるという罠。

 

 

 


思考は安心を得る本能によって動きますが

つかの間の安心で終わらないと

思考はお役御免になってしまう。

一大事なわけです。

 

 

 

だから思考はずっと

問題にしては解決してを繰り返すのです。わざわざ。

それをずっと繰り返してる。


 


実はなにも問題じゃないのです。


 

ありがとうございます。

 

 

 

 

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