実際のところ、ワタシは狂言にはほとんど興味がなくて、なんとなく観てるか寝てるか、という大変失礼な観客でございました。
それでもお能と一緒にそれなりの数を拝見しているうちに、自分の好みの流派と家とが出来てきました。
それが、大蔵流で、山本家って感じなんです。
それでもお能と一緒にそれなりの数を拝見しているうちに、自分の好みの流派と家とが出来てきました。
それが、大蔵流で、山本家って感じなんです。
※大藏&善竹ファミリーも割と好み。5月31日に「狸腹鼓」があるんだけど、この日はNG!なのよ。
ということで、山本家ファンのワタシは、初めての狂言のみの会というのに足を運んでみたのです。
さらにこの記事を書くにあたってWEBを検索したら、この会の新聞記事がでてました。知らなかったよ…。
さらにこの記事を書くにあたってWEBを検索したら、この会の新聞記事がでてました。知らなかったよ…。
新世代が大曲「花子」「獅子聟」に挑戦 17日、狂言山本会別会
狂言大蔵流の山本東次郎家による公演「山本会別会」が17日、東京・千駄ケ谷の国立能楽堂で行われる。若い世代の山本則孝(36)が狂言「花子(はなご)」、山本則秀(30)が狂言「獅子聟(ししむこ)」と、それぞれ大曲を初演する。
昭和10年代生まれの四世山本東次郎、山本則直、山本則俊の3兄弟を中心に運営されてきた山本会だが、近年は息子やおいたちの世代が大曲に挑戦する舞台が続いている。その中でも、能「班女」を下敷きにした「花子」は「釣狐(つりぎつね)」と並ぶ大曲だ。則直の次男の則孝は、妻の目を盗んで愛人の花子のもとに出掛けた夫(シテ)を演じるにあたり、「謡を覚えるのには苦労しました。息づかいが難しい」と語る。
一方、「獅子聟」は山本家が復活させた曲で、妻を迎えた聟(シテ)が舅(しゅうと)の前でめでたい獅子舞を舞う。狂言の中に獅子舞が登場することは珍しく、「花子」とは違う特別な意味の祝祭曲だ。「伯父たちとの舞台では教えられ、助けられることが多い。兄やいとこたちとは常にけいこすることが多いし、息は合っていると思う」と則俊の次男の則秀は話している。
※産経ニュースより引用
狂言大蔵流の山本東次郎家による公演「山本会別会」が17日、東京・千駄ケ谷の国立能楽堂で行われる。若い世代の山本則孝(36)が狂言「花子(はなご)」、山本則秀(30)が狂言「獅子聟(ししむこ)」と、それぞれ大曲を初演する。
昭和10年代生まれの四世山本東次郎、山本則直、山本則俊の3兄弟を中心に運営されてきた山本会だが、近年は息子やおいたちの世代が大曲に挑戦する舞台が続いている。その中でも、能「班女」を下敷きにした「花子」は「釣狐(つりぎつね)」と並ぶ大曲だ。則直の次男の則孝は、妻の目を盗んで愛人の花子のもとに出掛けた夫(シテ)を演じるにあたり、「謡を覚えるのには苦労しました。息づかいが難しい」と語る。
一方、「獅子聟」は山本家が復活させた曲で、妻を迎えた聟(シテ)が舅(しゅうと)の前でめでたい獅子舞を舞う。狂言の中に獅子舞が登場することは珍しく、「花子」とは違う特別な意味の祝祭曲だ。「伯父たちとの舞台では教えられ、助けられることが多い。兄やいとこたちとは常にけいこすることが多いし、息は合っていると思う」と則俊の次男の則秀は話している。
※産経ニュースより引用
で、まず「花子」ですが、これは本当に、本当に、大変な演目です。
前半(シテが愛人の花子との逢瀬から戻るまで)は、普通の狂言っぽい展開ですが、後半がスゴイ!
非常に謡が難しく、まずは橋掛リで明け方の帰り道で余韻を楽しみながら謡い、思い出して独り言で語っては謡い、本舞台に入ります。
本舞台に入ると一度後見座にクツロギ(っていうのかな?)、山本東次郎師がタオルで汗を拭いてあげてます。この時、一言二言声をかけたようで、シテが微かに頷いているのが見えちゃいました♪
前半(シテが愛人の花子との逢瀬から戻るまで)は、普通の狂言っぽい展開ですが、後半がスゴイ!
愛人の花子から手紙がきたシテは、なんとか妻の目を盗んで逢いに行こうと、一晩座禅をしてお堂にお籠りをすると妻に許可をもらいます。そこで太郎冠者に座禅衾(ザゼンブスマ)を被せて身代わりにします。しかし妻は夫が神妙に窮屈そうにしているのを見かねて(愛してるのね)それを剥ぎ取るとなんと太郎冠者が…! 事情を聴き、太郎冠者は無罪放免されますが、今度は妻が太郎冠者の代わりに座禅衾を被って夫を待ち構えるのです。(ここまで前半) 逢瀬の夢見心地で戻った夫は、太郎冠者に花子との逢瀬をさんざん聞かせるのですが、聞かせた相手は実は…、というストーリー。ここの、花子との逢瀬を聞かせるところが見せ場になっています。
非常に謡が難しく、まずは橋掛リで明け方の帰り道で余韻を楽しみながら謡い、思い出して独り言で語っては謡い、本舞台に入ります。
本舞台に入ると一度後見座にクツロギ(っていうのかな?)、山本東次郎師がタオルで汗を拭いてあげてます。この時、一言二言声をかけたようで、シテが微かに頷いているのが見えちゃいました♪
本舞台に入ると、そこはもうお堂の中。今度は太郎冠者(実は妻)に「お前も恥ずかしいだろうが自分も恥ずかしいので、その座禅衾を被ったまま聞け」と、さらにさらに、ノロケて語っては謡い、謡っては語りするシテ。
山本家の謡は強めのスピントがかった高めの声が特徴だと思うのですが、これだけ長い時間の謡&語りを続けるのは本当に大変で、さらにこれが、夢見心地のおノロケを語るのだからなお大変。
お能の「道成寺」も大曲ですが、比較したらこっちの方が大変なようも思えます。
お能の「道成寺」も大曲ですが、比較したらこっちの方が大変なようも思えます。
最後の方ではちょっと息切れ気味でしたが、シテが極限まで集中しているのが見所にも伝わり、すごく良い舞台でした。
(つづく)