年末年始にちょいと考えたのですが、いままでの観能記事がズルズルと長文になってしまうので、一月からしばらく、会単位の感想ではなく、お能自体の感想としてべつべつの記事で感想などなどを書いてみようかと思います。(そうした方がちびちび記事をアップできるし…。)
「翁」というのは能よりもむしろ神事なんでしょうね。
昔は流儀の家元だけが務めることを許され、また舞台に上がるまでに様々な儀式があり、シテは精進潔斎して食事の火も別にしたそうです。そうして、神をお迎えする神籬(ヒモロギ)となったんですね~。
現代では、民主主義の所以か、流儀の家元でなくても「翁」を務めることができます。
宝生流では、毎年一月の月並能に於いて、中堅以上の能楽師が 披く 演目となっています。職分にとっては一生に一度かもしれない、一世一代の「翁」でしょう。それを共有させていただく幸せ…。
今回は、シテ(翁)ばかりでなく、ツレ(千歳)、狂言方(三番叟) のいずれもがこの「披き」だったように思いました。あと、大鼓も…。
昔は流儀の家元だけが務めることを許され、また舞台に上がるまでに様々な儀式があり、シテは精進潔斎して食事の火も別にしたそうです。そうして、神をお迎えする神籬(ヒモロギ)となったんですね~。
現代では、民主主義の所以か、流儀の家元でなくても「翁」を務めることができます。
宝生流では、毎年一月の月並能に於いて、中堅以上の能楽師が 披く 演目となっています。職分にとっては一生に一度かもしれない、一世一代の「翁」でしょう。それを共有させていただく幸せ…。
今回は、シテ(翁)ばかりでなく、ツレ(千歳)、狂言方(三番叟) のいずれもがこの「披き」だったように思いました。あと、大鼓も…。
神事なので、開演後は座席の出入りは禁止です。
いつもはどうなのか良く知りませんが、今回は宝生会の事務局の方が、ロビーでのんびりしている方々に「翁が始まると見所に入れませんから、早く座席に着いて下さい」と声をかけておられました。その時、ロビーに佐野萌師が!
お身内の「翁」披きを見所からご覧になるようでした。
いつもはどうなのか良く知りませんが、今回は宝生会の事務局の方が、ロビーでのんびりしている方々に「翁が始まると見所に入れませんから、早く座席に着いて下さい」と声をかけておられました。その時、ロビーに佐野萌師が!
お身内の「翁」披きを見所からご覧になるようでした。
さて、見所が静まり返った頃に音もなく揚幕が上がり、面箱を掲げた狂言方を先頭に、シテ(翁)、ツレ(千歳)、狂言方(三番叟)の順に橋掛リをしずしずと進んできます。
(その後に素襖を纏った囃子方が続きます。いずれも楽器は袖で覆っています。)
面箱には、翁の面、三番叟の面と鈴が納められています。舞台に面箱が入り、ワキ座あたりに着座してシテを待つ体制になり、シテは舞台中央の見所寄りに着座し、深々と(烏帽子が板にあたるまで) 拝礼します。
これは客席に敬意を表しているのではなく、(目には見えませんが)舞台正面の見所の向こうにある老松に降りている神に敬意を表しての礼なのです。
鏡板に描いてある松はその神が降りている松を写っているのもの、だから「鏡」板と呼ぶのだそうです。
(その後に素襖を纏った囃子方が続きます。いずれも楽器は袖で覆っています。)
面箱には、翁の面、三番叟の面と鈴が納められています。舞台に面箱が入り、ワキ座あたりに着座してシテを待つ体制になり、シテは舞台中央の見所寄りに着座し、深々と(烏帽子が板にあたるまで) 拝礼します。
これは客席に敬意を表しているのではなく、(目には見えませんが)舞台正面の見所の向こうにある老松に降りている神に敬意を表しての礼なのです。
鏡板に描いてある松はその神が降りている松を写っているのもの、だから「鏡」板と呼ぶのだそうです。
拝礼を終えると、シテに合わせて全員が立ち上がり、それぞれの位置に着きます。
同時に後見や地謡が切戸口から入り、三役は素襖を肩脱ぎし、いよいよスタートです。
同時に後見や地謡が切戸口から入り、三役は素襖を肩脱ぎし、いよいよスタートです。
小鼓三人が、あの特徴的な、
イヤー (ポン) イヤー(ポン) 、ホウ (ポン・ポポン)
という一定のリズムを繰り返す中、シテが厳かに
とうとうたらりたらりら…
と謡いだします。この文句は何を意味するのか謎なんだそうですが、言葉は易しいけれど、謡はメチャクチャ難しい!
そして続いて千歳(露払い)が立って舞台を清めるのですが、千歳役がすごく緊張していてアドレナリン満タン状態がこちらにも伝わります。どうも「披き」なのではないかと思われますが…。
そして続いて千歳(露払い)が立って舞台を清めるのですが、千歳役がすごく緊張していてアドレナリン満タン状態がこちらにも伝わります。どうも「披き」なのではないかと思われますが…。
鳴るは滝の水、鳴るは滝の水、日は照るとも。
と謡いながら左右の袖の袂を持ち、舞い始めます。謡う声がかなり高めになっていましたが、それを抑え抑え、力強く舞い、拍子を踏み、見事に千歳を舞い納めました。非常にキビキビした若者らしい颯爽とした舞いぶりで、立派に露払いの役目を終えました。
千歳が舞っている間にシテは「翁」の面を着け、神と一体となり、翁の登場となります。
天下泰平、国土安穏。今日の御祈禱なり。
右手を挙げて扇を立て、まるで扇が世界を照らす鏡のように、世界の隅々にまで祝福が行き渡るように、ゆっくりと舞台を回り、最後にあの翁のポーズ(左袖を烏帽子にかけて右手の扇で口元を隠す)で舞い納めます。
このシテの声はどちらかというと低めでくぐもった感じなのですが、よく響き、今のこの世の中に、やんわりと「喝」を入れているかのように聞こえました。
このシテの声はどちらかというと低めでくぐもった感じなのですが、よく響き、今のこの世の中に、やんわりと「喝」を入れているかのように聞こえました。
「翁」が帰ると次は三番叟です。
どうも、三番叟と大鼓の両方が、披きのようです。
大鼓は三番叟から入りますが、最初の掛け声がかなりうわずっていて、大鼓にとっても重い披き物であることが良くわかります。
三番叟は今回は和泉流でしたが、なんとなく、和泉流の方が振り付けが派手なような気がします。
前回の宗家継承能の時、鈴之段の最後の方で、種が芽吹いた、って感じを受けたところがあったんですが、今回はそう見えませんでした。ちょっとここら辺は次回、要チェックです。
どうも、三番叟と大鼓の両方が、披きのようです。
大鼓は三番叟から入りますが、最初の掛け声がかなりうわずっていて、大鼓にとっても重い披き物であることが良くわかります。
三番叟は今回は和泉流でしたが、なんとなく、和泉流の方が振り付けが派手なような気がします。
前回の宗家継承能の時、鈴之段の最後の方で、種が芽吹いた、って感じを受けたところがあったんですが、今回はそう見えませんでした。ちょっとここら辺は次回、要チェックです。