最後の夜能の遅ればせな感想 | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

こちらは、不休で普及に励む宝生流グレート能楽師の辰巳満次郎先生♥に「惚れてまったやないかぁ~!」なファン達が、辰巳満次郎先生♥と能楽の魅力をお伝えしたいな~、と休み休み、熱い思いをぶつけるブログです。

もう2週間も経ってしまった…、最後の夜能。
感想を書くのって、集中しないと書けないし、また以外と時間がかかるため、ついズルズルとここまで延ばしてしまいました。ポチポチと携帯には下書きしてたんですけれど…。  ココ→十二月 宝生夜能

 

さて、今年は幸いにもここ水道橋の能楽堂まで徒歩10分程度の所での仕事が入り、それも日程を都合よく調整可能という願ってもない好条件だったので、その特権を十二分に活用させていただき、年6回の夜能を皆勤できました。快挙です♪ こんな良い仕事をいただけてホントに感謝です♪

 

 

この日の演目は「三輪」と「鵺」、後者は初見です。
狂言は「柑子」by山本東次郎師。山本家は何となく好きなので、狂言も間狂言も寝ないで積極的に観ます。ワタシにしては大いなる進歩です…。

 

 

 

さて「三輪」は好きな演目のひとつ。シテも芸風が好みの方なので期待満々でゴザイマス。
三輪山の玄賓僧都のもとへ毎日樒(シキミ)と水を届けていた女が、ある日二本杉の下待てと言い残して姿を消す。僧都が女に与えた衣の掛かる杉の下で祈ると、三輪明神が現れ、三輪山伝説などを物語り、神遊びの神楽を奏して舞を舞う。
略脇能/四番目物、季節:秋
  ☆社団法人能楽協会HPの曲目データベースより引用☆
前ジテは若くない里女、かなり地味な唐織を着付にして登場。ワキとのやり取りの後、衣を借りて作り物に入って着替えます。
前から思うことなのだけれど、作り物って多分床面積は畳半畳分ぐらいだと思うのです。その中で大口を付けたり長絹を付けたり、演目によっては鬘や面までも付け替えているんだけど、よくぞ見所からその気配を見せずにできるものだと感心します。

 

 

 

さて後半、引き廻しが取られて作り物の中で腰掛けている後ジテは、ミルキィオレンジ?の長絹に緋大口、金の烏帽子を付けています。
この装束は去年の「龍田」と同じ、ワタシ的にはちょっと曲のイメージと違うのですが、まあ、美しいことには変りないので、これもアリ、と楽しみます。

 

 

ワタシは「三輪」はクセが一番魅力的、と思うのですが、この部分が三輪の神が妻訪い~別れの場面で、文楽や舞踊の「妹背山」に取り入れられています。舞もこの場面は珍しくリアルな振りで、初めて観た時にはすごく感動しました。(この時のシテがまた良かったのよ~)
歌詞から想像される場面が非常にエロティックで、夜にしかに訪れない心を許した愛しい男の素性を知りたいと思っていた女が、ある夜の睦言でつい「貴方は何処の誰?」と聞いてしまい「契りは今宵限り」となってしまう、という内容がヨワ吟で美しく謡われます。くぅ~、たまりません!
そういえば、このくだりって「ローエングリン」と同じですね。ローエングリンは同じこと聞かれると「私は聖杯の騎士パルシファルの子ローエングリン!」とファンフーレ付で朗々と歌って去ってゆくんだけど、三輪の神は主張なんかしません。(笑)
なので女は「苧環に針をつけ裳裾にこれを綴じつけて」跡を追ってゆきます。
しかし行きついた先は、三輪明神の杉の木…。

 

 

このシテも実に丁寧にさらさらと上品に舞い、地謡の良さもあって非常に印象的なクセとなりました。
この後、いきなりの天岩戸に隠れてしまった天照大神を誘い出すために舞われたのが「神楽」の始まりであると語り、神楽が舞われます。神楽もノリが良く素晴らしかったです。
「三輪」は「巻絹」のようなドラマティックな終わり方はしませんが、それでも本当に夢のから覚めるように(寝てはいませんですけど)終わってしまいました。

 

 

 * *  * *  * *  * *  * *

 

 

「鵺」は今まで何回も見逃しているので、今回はゼッタイ逃したくありませんでした。
また、こういう系統のお能が以外と好きなんです。何だか主人公が可哀相で…。う~ん、ワタシと類友なのかもしれません。来年の発表会は「鵺」の舞囃子にしようかと一時真剣に考えました。
旅の僧は芦屋の里で何者とも知れぬ陰鬱な相貌の舟人に出会う。僧との問答の末、男はついに自分が鵺の亡霊であると明かし、帝を苦しめた罪により源頼政に退治されたときの有様を仕方話で物語る。詩情味豊かな鬼能。(鵺とは顔は猿、手足は虎、尾は蛇という化け物)
五/四番目物、季節:秋
  ☆社団法人能楽協会HPの曲目データベースより引用☆

 

 

「鵺」と言えば、これはまったくの余談ですが、ワープロがまだすごく高価で個人購入なんてトンデモなかった時代(ワープロ黎明期)の話なんですが、当時のわが部署にもワープロが導入され、それこそ何人もが交代で仕事に使ってた(紙もずいぶんムダにしました)んだけど、最初はオモチャみたいでした。
そのワープロは「とりあつかいせつめいしょ」って入力すると「鳥圧解接名所」って変換するくせに、当時流行っていたフレーズ「ぬえのなくよはおそろしい」を一発で「鵺の鳴く夜は恐ろしい」と変換する大バカなワープロでした。

 

 

しかしお話はメチャクチャ可哀想(だとワタシは思うの)です。
得体の知れない怪物に生まれたからって、帝を苦しめたとして退治されちゃったんだけど、もしかしたら帝が異常に臆病だったかもしれないし、鵺チャンはお友達になりたかったのかもしれないのに(←考えすぎ?)頼政に退治されてしまって、頼政は手柄を立ててもてはやされたのに、鵺はうつお舟に押し込められて淀川に流されてしまった訳です。
和泉式部の歌「暗きよりくらき道にぞ入りにける遥かに照らせ山の端の月」がこの曲の最後に効果的に使われていて、ちょっと泣けそうでした。

 

 

シテの方は、最初に登場して謡った時やはりお父上にそっくりで、謡い方って似るのね~、と妙に感心してしまいました。
また、多分すごく優しい性格なんだろうな~、と思われる芸風で、前シテも後シテもいっそう「鵺」自体がバケモノ譚ではない、もっと深いものなんだ~、というのを感じさせてくれました。

 

 

それで、最後の夜能だったのに、あっさり附祝言もなく普通に終わっちゃいました。
最後にアナウンスがあっただけ…。
なんだか、夜能の最後の演目が「鵺」っていうのが象徴的なような感じがしてしまいました。