「呂は音階でなく、サッカ音」 | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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こちらは、不休で普及に励む宝生流グレート能楽師の辰巳満次郎先生♥に「惚れてまったやないかぁ~!」なファン達が、辰巳満次郎先生♥と能楽の魅力をお伝えしたいな~、と休み休み、熱い思いをぶつけるブログです。

久々のお稽古記事です。

 

「黒塚」はひととおり、最後まで行きました。
あとは、最後のおさらいをしてから、最初から通します。

 

 

後半は全部がツヨ吟で、それも鬼女なので、本当に強く強く謡うので、大変だけど楽といえば楽です。(ツヨ吟のクセなんかの方が難しいと思っています。)
でも、奥州安達原の黒塚にすむ鬼女なのに、教養は深いんですよね~。
 如何に客僧、とまれとこそ。
 さるにても隠し置きたる、閨の内を。
 あさまになされ、申しつる。
 恨みの為に来たりたり。
 胸を焦がす焔は。咸陽宮の煙。ふんぷんたり。
ちょっと、お稽古していてワタシはこの鬼女に、感動していました。
「咸陽宮の煙」かぁ~。
ふつう、言わないよね~。いいよね~。
「黒塚」のこの箇所は、客僧達を泊めた時から殺すつもりでいたのに(獲物?に)逃げられたので怒り狂う、という解釈があるそうですが、別の解釈では、客僧のありがたい話に菩提心を起し、精一杯のもてなしにとして火を焚き暖かくしてあげようとしたのに、裏切られたので怒る、というものだそうです。

 

 

ワタシは絶対後者だと思います。だって、この謡本の挿絵では、ちゃんと背中に薪を背負っているのよ。

 

 

イメージ 1

 

 

客僧達は前半で、シテが、
 あさましや人界に生を受けながら。
 かかる浮世に明け暮らし。
 身を苦しむる悲しさよ。
と嘆くところを、
 はかなの人乃言の葉や。
 先ず生身を助けてこそ。
 佛心を願う便りもあれ。
と言っているのです。だからシテは嬉しかったんだと思うの。それに報いようとしたのに裏切られたと知った時の怒りは、

 

 

む、うぅ~ッ、ねぇえぇ~えぇをこがすほのウォはぁ~~~。
かんにょウォきうのけむりィ~~~。
ふんぷんッ、たぁあぁ~あぁりぃ~~~。

だったのですね~。かわいそうなシテ。
と、お稽古はこの辺など、もう鬼女のつもりで声をがんがん張り上げて謡ったら、まだ喉で謡ってるので、すぐ喉が痛くなります。
いけませんねぇ。

 

 

ところでそろそろ12月なので、忘年会、いや冬のお稽古会の話になりました。
で、「無本でやる?」って言ったのに案の定忘れているお師匠様…。
師:いいよ、無本でやっても。
え、そういう話とちょっと違うのでは…。ぶうぶう(←ココロの声)
で、範囲を決めていただき、謡本で独吟となっているところになりました。
最初はロンギのところだけ、っておっしゃったのですけれど、
私:ちょっと短くないですか?
師:だって憶えるんだよ。できるならクセからね。でも先にロンギからね。
あちゃ~。ということで、意地でもクセから憶えてやるぅ~。
と今日も楽しいお稽古でありました。

 

 

で、タイトルは、ファン登録させていただいた「スコス様」の記事から拝借いたしました。
前田晴啓先生による、嘱託の先生向けの講座でとったメモを公開して下さったものです。
スコス様は「羽衣」の例でコメントしてくださったのですが、ワタシはまだ「羽衣」のお稽古デビューをしていないので、よく分からなかったのですが、この「黒塚」のクセもそうでした。
ここのところ、すんなりできなかったんですが、ワタシもお師匠様に、
師:そこの「呂」は声で謡わない。息で。
と言われ、ハッとこのことが腑に落ちた訳です。