十一月の五雲会、の感想アレコレ | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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え~、11月度の五雲会に行ってまいりました。
毎年10月~12月まで、非常に能楽堂が混むし、いつぞやは立ち見も出て入場制限もしていたので、今日は何としても開場と同時に入って正面席を確保しようと意気込んで出かけました…、が、到着は11時30分。何とか正面席の良いところを友人の分も合わせて確保!
でも以外と空いています。今日のシテの顔ぶれならばゼッタイに満席だと思ったんだけど…。
実際、今日はハズレなしの素晴らしい一日だったのです。

 

 

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「枕慈童」は、観世流では「菊慈童」という、短いけれど晴れやかなお能。です。
周の穆王(ボクオウ)に仕えた慈童という少年が、王の枕をまたいだ罪で酈県山(テッケンザン)の山中に流されたが、その時に賜った枕に書かれたありがたい経文を伝わって滴る菊の露を飲んで七百年もの長寿を得ていて、当代を祝福して舞を舞う、というお話。

 

 

 

シテの大友順師は、まさに少年の姿で、このお能の雰囲気にピッタリ!
ワタシ的には、この方はどっちかというと情念の濃い女物がすごくハマって本領発揮するタイプと思っていましたが、今回の「枕慈童」がすごく良かったです。
葡萄鼠といった地色に金の唐草?の箔の半切袴に、亀甲の唐織をつけて、なんだかお人形が舞っているように見えました。

 

 

「枕慈童」の舞事は「楽(ガク)」というものになりますが、今回、かなりのスローテンポで、それが齢七百歳の少年が、満開の菊の咲き乱れる中をのびやかに楽しげに喜びの舞を舞う、という趣旨に合って、拝見しているこちらも楽しい気持ちになりました。
シテは、しっかり腰が落ちているので、かるく踏んでいるのに足拍子の音がよく響きます。(スバラシイ!!!)また、袖の扱いとかが非常に丁寧で、全体的に清清しい印象を受けました。

 

 

今回、笛も太鼓も良かったし、もちろん大小(小鼓&大鼓)も良かったです。「楽」は非常にノリが良く、大小コンビの息もピッタリだったんですが、あまりにノリが良くって、掛け声も「ヨッホッ、ヨッホッ、…」って聞こえて、なんだか駕籠担ぎが前後で声を掛け合って走ってるような錯覚に陥ってしまいました。

 

 

 

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「清経」は、いわゆる修羅物(それも負修羅)なのですが、むしろ、武将としてよりも風流を愛する公達としてしか生きられなかった男の話、とも言えると思います。
平家一門は九州まで落ちて行ったが、宇佐八幡のご神託で平家に望みが無いことに絶望した清経は、亡魂となって妻に再会するべく海中に入水して果てる。はたして都に残した妻の夢に現れるが、死ぬときは一緒にと誓った妻は恨み言を述べる…。

 

 

 

というようにこのお能は妻(ツレ)が重要な役割を果たすため、妻によって大きく印象が変わってしまうと思います。
一度前に観た時は、ちょっと妻がガッカリで、あまり良い印象がありませんでした…。

 

 

最初に清経の家来の粟津三郎(ワキ)が清経の遺髪を妻に届けにやってきます。このワキ、ワタシは初めて拝見する方です。
清経の妻は、ツレなので高めに張った声で謡います。ワタシはこのツレの方がこんな風に謡うとは思いませんでした。
この清経の妻って本当に難しいと思います。夫を愛しているからつい恨み言が出るのであって、そこのところが伝わらないと、単に夫をなじるだけになってしまうので、それだと狂言のわわしい女房殿とあんまり変わらなくなってしまいます。
今日の妻はちょっと気が強めかな?って感じがしました。

 

 

で、妻は遺髪があると思い出すので手元に置きたくない、夢にでも現れてほしいのに、と、まどろみ、そこにシテが登場します。(その間、ワキはそっと切戸口から退場)
普通、お能ではシテが登場するときには、それに合った笛にあわせて登場するのですが、これでは、妻が「夢になりとも見え給えと」と謡っている間に静かに揚幕があがって、静かに静かにシテが登場するのです。
本当に、妻が眠りについた夢の中をのぞいているような印象の登場です。

 

 

シテの山内崇生師は、これ以上ハマリようがないぐらい、姿といい声といい、清経そのものと言ってもいいぐらいでした。声はどっちかというと高めなんだけど、何と言うか、明るく響くというよりどこかに哀愁を含む美声です。(コレが清経にピッタリなの~。)
装束は、平家の公達の定番、白大口に、亀甲&花のオレンジがかった朱色ベースの厚板、草色の長絹でした。

 

 

舞台に入ると、妻との対話が始まります。
妻は「どうして入水なんかしちゃったのヒドイじゃない」と、恨み言を述べますが、清経も「だったらこっちも言うけど、せっかく形見の髪を届けてもらったのに返すなんてヒドイじゃないか」と恨み言。(ここが濃厚な愛の表現に見えるのがベストなんでしょうが…。)

 

 

この対話を経て、清経はいよいよ一門が九州に落ちてゆくところから入水するところまでを語り、舞い、最後は修羅道の苦しみを述べて夜明けとともに去ってゆきます。

 

 

シテは、型がすごくキレイでシャープです。松林の白鷺を源氏の白旗と見ておののくところとか、入水する前に笛を吹くところとか、景色が浮かんでくるようで、雑兵に首とられるよりは入水を選ばざるを得なかった清経が感極まって平臥してシオルところが本当に泣いているようで、本当に清経が可哀想で、ちょっと泣きそうになりました。

 

 

笛の栗林さんは確か松田さんのお弟子さんで、くっきりしていながら哀愁を含む音色を奏で、シテと笛とに人を得て、この一番は素晴らしかったです。

 

 

 

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「葛城」は、秋というよりは冬のお能だと思うのですが、淡々とした中に味わいのあるお話で、ワタシはけっこう好きなお能です。
出羽の国から来た山伏たちが、大和の葛城山で吹雪の立ち往生したとき、葛城明神の化身の女が現れ、醜貌を恥じて夜の間だけ岩橋を架ける仕事をしなかったので、役行者(エンノギョウシジャ)に戒められて苦しんでいる、どうか加持祈祷で救ってほしいと頼む。
救われた女神は序ノ舞を舞い、神隠れする。

 

 

 

シテの朝倉俊樹師は、何度見ても「ウマイッ」って思う能楽師さんで、今日も納得の「葛城」でした。
(が、疲労&能楽堂ポカポカで、半分ぐらいトリップしてしまいました。)

 

 

後半は、白の(金の鳳凰に紅葉が散っている模様の)長絹に緋の大口、天冠には縛られていた蔦の葉をあしらった装束で出てきます。
このシテは、本当に袖の扱いなど、ため息がでるほとウマイです。

 

 

今日は一噌幸弘さんの笛が、イマひとつ冴えが足りなかったような…。

 

 

 

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最後の「項羽」は、以前、東京大薪能で半能として拝見したことがありますが、全部見るのは初めて。
小舟を操る老翁が仕事を終えた草刈男たちを舟に乗せ、船賃として男の刈ってきた花を欲しいという。その花は「虞美人草」で、老翁は項羽とその妻虞氏の最後を語ってきかせる。やがて項羽の亡霊が現れてその時の様を再現する。

 

 

 

シテは辰巳孝弥師。出てきた謡の声を聞いた時、耳を疑いました。
え~、こんな風に謡うんだったっけ?
なんと、辰巳満次郎師にソックリ…。

 

 

低音の出し方から、唸り方から、声の張り方まで、ミニ満次郎様と言っていいくらいの謡で、ほとんど衝撃でした。
また、型もそっくり!
叔父・甥と言っても、ここまで似るかぁ、と言いたいぐらいです。
だからね、謡がすっごくすっごく良いの。
ハッキリ言って、上手なのは知っていたけど、ここまでスゴイとは思いませんでした。

 

 

後半は、なんと言ったか、項羽専用?なのか特殊な面を付けて登場。ちょっと面が大きいので、孝弥師の体型にはちょっと大きすぎる感じ。(満次郎師にはちょうどイイと思う。)
それがあってか、前シテの方が良かったです。
後ジテは悪くない、むしろ良いと思うんだけど、こういう演目だとミニ満次郎様が裏目に出て、自然と満次郎師と比較して観ちゃうんです。(ゴメンね…。)

 

 

でも良かったです~。来年も孝弥師のシテを逃さず見ようっと。

 

 

で、あらまあ今日の小鼓はボクの住駒俊介さんです。
シテの語りの時、囃子はお休みしてるんだけど、どうも眠かったらしく、時々ハっとしてはむにゃむにゃ、してる。なんだか子供みたいで、うっかり笑いそうになりました。
やっぱり、鼓の革を直接舌をめいっぱい出してベロリ~ンってなめるし…。
今日もカワイイ?天然全開でした。(ひそかにファンですわ~、もう♪)

 

 

 

で、今日はハズレなしの素晴らしい一日でした。ああ、オシリが痛い…。
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