今年で無くなってしまう夜能…。今回をいれてあと2回になってしまいました。仕事の都合もつけられるし、今年は皆勤するぞ、と決めていたので、今月の演目をあまりチェックしなかったら、マズイ、狂言が野村萬斎!さん…。
能楽堂が混みます。早く行かねば(良い)席が無くなる…。
案の定、17時半に能楽堂入りできたのに、正面席はほぼ埋まってました。ちっ!
なので、ちょっと面白みが判ってきた脇正面席へ…。
能楽堂が混みます。早く行かねば(良い)席が無くなる…。
案の定、17時半に能楽堂入りできたのに、正面席はほぼ埋まってました。ちっ!
なので、ちょっと面白みが判ってきた脇正面席へ…。
ちなみに、今回はじめて狂言の感想を別記事にしましたので、こちらでは省略します。
本日の最初のお能は「敦盛」。悲劇の美少年公達の物語です。
使われる面は「十六」。この年頃で悲劇の最後を遂げた少年たちのお能で使われます。
このお能のワキの旅の僧侶は、奇しくも平敦盛を討ち取った熊谷直実が出家した「蓮生法師」、この「蓮生」という法名がキーワードになってます。
今日のワキの高井松男師は右足の具合が悪いのか、このところずっと辛そうな足運び…。体調も悪そう。しかしこの日はそんなことが気にならない程、ワキの謡がすごく良く、一噌幸弘師の冴え渡る笛の音に応えるかのようなしみじみとした謡で、聴かせます。
出家するきっかけともなった敦盛最後の地を訪れた蓮生法師の気持ちにシンクロして、敦盛の世界へと観見所を誘います。ふと、この方、このお能がすごく好きなんだな~、って思っちゃいました。
使われる面は「十六」。この年頃で悲劇の最後を遂げた少年たちのお能で使われます。
このお能のワキの旅の僧侶は、奇しくも平敦盛を討ち取った熊谷直実が出家した「蓮生法師」、この「蓮生」という法名がキーワードになってます。
今日のワキの高井松男師は右足の具合が悪いのか、このところずっと辛そうな足運び…。体調も悪そう。しかしこの日はそんなことが気にならない程、ワキの謡がすごく良く、一噌幸弘師の冴え渡る笛の音に応えるかのようなしみじみとした謡で、聴かせます。
出家するきっかけともなった敦盛最後の地を訪れた蓮生法師の気持ちにシンクロして、敦盛の世界へと観見所を誘います。ふと、この方、このお能がすごく好きなんだな~、って思っちゃいました。
そこへシテの敦盛の亡霊の化身である草刈の男とツレの仲間達、登場。
このところ、ツレは若い書生さんたちがほとんど務めてらっしゃいます。最後の藤井秋雅クンなんて、ついこの間まで子方をしていたのに…。時間が経つのは早いものです。
シテの小倉伸二郎師は、直面も端正ですが、以前「忠信」の時の義経の印象が強く、ワタシには平家の公達より義経に見えます。まあ、りりしくて品があることに変わりはないのですが。
前ジテの装束は、草色の水衣に深緑の熨斗目に白大口。グリーンベースの装束(後ジテも同じグリーンベース)です。
敦盛は謡も仕舞もまだお勉強したことがないので、歌詞が聞き取れなかったりしたけれど、地謡が気持ちよくて、前半はもう睡魔と必死に闘いながらの鑑賞でした。そして中入り後の間狂言で耐え切れずトリップ、気づいたらもう待謡になっていました。
このところ、ツレは若い書生さんたちがほとんど務めてらっしゃいます。最後の藤井秋雅クンなんて、ついこの間まで子方をしていたのに…。時間が経つのは早いものです。
シテの小倉伸二郎師は、直面も端正ですが、以前「忠信」の時の義経の印象が強く、ワタシには平家の公達より義経に見えます。まあ、りりしくて品があることに変わりはないのですが。
前ジテの装束は、草色の水衣に深緑の熨斗目に白大口。グリーンベースの装束(後ジテも同じグリーンベース)です。
敦盛は謡も仕舞もまだお勉強したことがないので、歌詞が聞き取れなかったりしたけれど、地謡が気持ちよくて、前半はもう睡魔と必死に闘いながらの鑑賞でした。そして中入り後の間狂言で耐え切れずトリップ、気づいたらもう待謡になっていました。
後半はりりしい平家の公達として登場。濃い緑色の長絹(鳳凰の箔押し)に朱の露に、厚板は白&朱の市松に車輪の刺繍、白大口の装束です。長絹と厚板のコントラストがくっきりして若さを強調して、非常に美しいです。
役者の個性が反映してか「十六」をつけていても、もう少しオニイサンに見えます。
で、この「十六」、誰かに似ていると思ってみていたら思い出しました。そう、この顔は佐野玄宜クンのお顔です。そうか、彼の顔は白塗りしたら「十六」になるんだ~、と妙に納得。
シテは舞台に入るとクセまでは床机に腰をかけます。あれっと思ったのが、床机に腰をかけるときに袖を返して大口を少し持ち上げるようにしなかったこと…。長絹を着た平家の公達はそういうことやらないのかな~。来月の清経で確認してみよう…。
クセから舞が始まります。出陣の前夜の様子から、御座船に乗り遅れついには熊谷直実に討ち取られるところまでが、中ノ舞を挟んで地謡と舞とで語られます。そして最後には自分の目の前にいる蓮生法師に仇を討たんと詰め寄りますが、憎い仇はもう熊谷直実ではなく「同じ蓮(ハチス)の上に生き」る法師であることを悟り「跡弔いてたび給へ」と消えてゆきます。
一番最初に観た時は、敦盛が自分を殺した相手に迫る(舞では太刀を抜かないのに、ここで初めて太刀を抜いてワキに迫る)執念があるころがとても衝撃でしたが、このシーンがあるだけ一層、若くして討ち死にした敦盛の哀れさが胸にせまる、すばらしいお能だと思いました。
小倉伸二郎師もぎりぎりまでを内に秘めて、舞い謡うストイックな感じが美しく、それを支える一噌幸弘師の笛がまたすばらしく、この一番を堪能したのでした。
役者の個性が反映してか「十六」をつけていても、もう少しオニイサンに見えます。
で、この「十六」、誰かに似ていると思ってみていたら思い出しました。そう、この顔は佐野玄宜クンのお顔です。そうか、彼の顔は白塗りしたら「十六」になるんだ~、と妙に納得。
シテは舞台に入るとクセまでは床机に腰をかけます。あれっと思ったのが、床机に腰をかけるときに袖を返して大口を少し持ち上げるようにしなかったこと…。長絹を着た平家の公達はそういうことやらないのかな~。来月の清経で確認してみよう…。
クセから舞が始まります。出陣の前夜の様子から、御座船に乗り遅れついには熊谷直実に討ち取られるところまでが、中ノ舞を挟んで地謡と舞とで語られます。そして最後には自分の目の前にいる蓮生法師に仇を討たんと詰め寄りますが、憎い仇はもう熊谷直実ではなく「同じ蓮(ハチス)の上に生き」る法師であることを悟り「跡弔いてたび給へ」と消えてゆきます。
一番最初に観た時は、敦盛が自分を殺した相手に迫る(舞では太刀を抜かないのに、ここで初めて太刀を抜いてワキに迫る)執念があるころがとても衝撃でしたが、このシーンがあるだけ一層、若くして討ち死にした敦盛の哀れさが胸にせまる、すばらしいお能だと思いました。
小倉伸二郎師もぎりぎりまでを内に秘めて、舞い謡うストイックな感じが美しく、それを支える一噌幸弘師の笛がまたすばらしく、この一番を堪能したのでした。
* * * * * * * * * *
「葵上」は人気もあるし演能の機会も多いので、いろいろな役者で拝見することができる曲ですが、シテの個性をくっきりと映し出すお能でもあると思います。そういう意味では、今回のシテの當山孝道師が、こういう風に「葵上」を演じるんだ、と新鮮な驚きで鑑賞させていただきました。
舞台にはまず照日の巫女(ツレ)が登場。ツレの大友順師は非常に華奢な方で照日の巫女がまだいとけない少女に見えます。
ワキヅレ(朱雀院の臣下)が続いて着座し、後見が舞台正先に、朱の縫箔を(片身だけ)広げて置きます。これが病に臥す葵上です。
(ちなみに地唄舞では、この出し小袖は、普通は置きません。舞うのにジャマだし。)
梓にかけて物の怪を呼び出せとの命令に、巫女は謡い始めます。この方はこういう謡がすごくイイです。
ワキヅレ(朱雀院の臣下)が続いて着座し、後見が舞台正先に、朱の縫箔を(片身だけ)広げて置きます。これが病に臥す葵上です。
(ちなみに地唄舞では、この出し小袖は、普通は置きません。舞うのにジャマだし。)
梓にかけて物の怪を呼び出せとの命令に、巫女は謡い始めます。この方はこういう謡がすごくイイです。
で、小鼓がメリハリなく一定のリズムで打つのが、いかにも梓弓の弓弦をビンビン鳴らして、霊を呼び出している感じがしてステキです~。
橋掛かりに六条御息所登場。
黒地に鏡紋(いろいろの丸い意匠の刺繍)の縫箔を腰巻にして、鱗模様の摺箔の上に朱赤の唐織を壷折しています。朱赤の唐織には、大きな蝶が織り出されています。ちょっと、六条御息所にしてはハデなんじゃないかな~。
でも唐織はハデですが、面の泥眼が痛々しいくらいに悲しげに、苦しげに、見えます。そしてシテはこんな風に謡うのか、と思うぐらい、御息所の内面の苦しさを絞り出すように謡います。胸が痛くなるような謡で、見所も聞き逃すまいと、静まり返っています。
この壷折装束というのは、お腹の周りに袋帯が何重にも巻きついている状態だそうなので、下ニ居は中腰のまま腰を下ろせないことがあるそうです。脇正面から観ていると良くわかります。
呼び出された物の怪が六条御息所の生霊とわかると、照日巫女は「そんな高貴のお方が(正妻を攻めてるんだけど)後妻打ちなんてはしたない振る舞いは、ご身分にふさわしくありませんよ」と説得にかかるのですが、それが逆効果で、六条御息所を逆上させてしまうのです。
橋掛かりに六条御息所登場。
黒地に鏡紋(いろいろの丸い意匠の刺繍)の縫箔を腰巻にして、鱗模様の摺箔の上に朱赤の唐織を壷折しています。朱赤の唐織には、大きな蝶が織り出されています。ちょっと、六条御息所にしてはハデなんじゃないかな~。
でも唐織はハデですが、面の泥眼が痛々しいくらいに悲しげに、苦しげに、見えます。そしてシテはこんな風に謡うのか、と思うぐらい、御息所の内面の苦しさを絞り出すように謡います。胸が痛くなるような謡で、見所も聞き逃すまいと、静まり返っています。
ところで、吉村流の「葵上」は、冒頭が実は謡で始まります。国立劇場とかでこの演目が出るときは、よく観世流の清水寛二師が謡って下さいます。 ワタシも舞台に出したことがあるのですが、小さな会だし、お師匠様の従兄弟殿が宝生流を習っていたので、その方に謡っていただきました。またいつか記事にするかも…。 浮世は牛の小車の 浮世は牛の小車の めぐるや報なるらん 梓の弓の音はいずくぞ 梓の弓の音はいずくぞ ここを三絃なしの謡いだけで、御息所の生霊が呼び出される様子を舞台をただただゆっくりと回ることで表現します。いちばんお能かかった舞です。六条御息所の生霊は呼び出されて、舞台中央で下ニ居し、つぶやくが如き長い長い独白を謡います。
この壷折装束というのは、お腹の周りに袋帯が何重にも巻きついている状態だそうなので、下ニ居は中腰のまま腰を下ろせないことがあるそうです。脇正面から観ていると良くわかります。
呼び出された物の怪が六条御息所の生霊とわかると、照日巫女は「そんな高貴のお方が(正妻を攻めてるんだけど)後妻打ちなんてはしたない振る舞いは、ご身分にふさわしくありませんよ」と説得にかかるのですが、それが逆効果で、六条御息所を逆上させてしまうのです。
ここからがいわゆる「枕ノ段」とも言われるところです。もう歌詞が悲痛!
六条御息所を調伏する横川小聖は、工藤和哉師ですが、あれ~これじゃ勝てないのでは…、と思いましたが、御息所が上品な鬼だったので、なんとか無事に納まったのです。
でも、いつも納得いきません。六条御息所だって、本当は納得なんかしてないと思うんだけど…。
生きてこの世にましまさば、光る君とぞ契らん あなた(葵上)は生きていれば、堂々と源氏の君の正妻じゃないの。それにくらべて私は…。シテの當山孝道師は、どちらかというと非常に上品な感じがして、そういう意味では六条御息所らしいと思いました。後半、般若の面をかぶって鬼となって登場する訳ですが、その時も非常に上品で、物足りないようにも思われましたけれど、高貴な女人なんだし本来はそうあるべきなんだ、と思いました。
六条御息所を調伏する横川小聖は、工藤和哉師ですが、あれ~これじゃ勝てないのでは…、と思いましたが、御息所が上品な鬼だったので、なんとか無事に納まったのです。
でも、いつも納得いきません。六条御息所だって、本当は納得なんかしてないと思うんだけど…。