仕舞のお稽古について(その1) | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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ワタシとしてはお稽古は謡メインと思っている(割には独吟はこわくてまだできない…)ので、謡以外の舞囃子なり仕舞なりは発表会で何を舞うかを決めてから逆算してお稽古スタートします。
(邪道かも~ f^_^;?)
そういう意味では、謡も舞いと同じ曲をお稽古できるよう考えて選んだりしています。
(やっぱり邪道かも~ f^_^;?)

なんでそういう風にするかというと、謡(というか歌詞や曲?)を覚えないとちゃんと舞えないからです。

これは上方(地唄)舞のお稽古で得た感覚が大きく影響しています。
振り付けとは出鱈目に付けられている訳ではなく歌詞や音楽に合わせて考えられている訳で、それはず~っと頭では分かってました。が、それを体感出来たのは名取を許していただき、名披露目でお家元の主催する会に出させていただいた時からです。
衣裳・鬘を着け、白塗りの化粧(手も足も背中も塗る)をして、独りで舞台に立つということは誰にも助けてもらえない訳で、実際舞台では、観客を前に緊張し、板が滑る逆に滑らないとか、帯が重いとか苦しいとか、(裾を引くので)裾を踏んだとか裾がからみついたとか、ライトがまぶしいとか、扇が指に引っかかるとか、実際何が起こるかわかりません。師匠には「ささいな事でぱぁっとアガって動けなくなるんだから、眠ってても音が鳴ったら体が勝手に舞えるようでなくてはダメ!」とさんざん言われてお稽古しました。(今はかなりズルしてますが…)
その成果か、下ざらえの時に初めて地方さん(ジカタ、と読む。主に三絃つまり三味線を弾いたり唄を唄ったりする、それに対して舞う方は立方=タチカタ、と言います)が付いてくださるんですが、非常によく音が聞こえただけでなく、何て良い声で唄うのかしら、そして何て良い曲なんだ、と楽しみながら、カラダの向きはこれでいいかなとか、もう少しゆっくり動いた方がいいかな、とか考えながら舞うことができたのです。
なんかエラそうに書きましたが、これをきっかけにして何か掴めたような気がして、それ以来はこの感覚をトレースできるように持って行くようにしています。
(本当はこんな事、書くまでもなくアタリマエの事なんでしょうが…。)

なので、少なくとも心の中で歌詞を口ずさめるぐらいにはなってからがスタートの(最近はサボリ気味でスタートしてまもなくゴールがやってくるという感じ…、かなりマズイ)つもりでいるのです。

ありがたいことに、仕舞や囃子には流儀の教科書?みたいなのがあるので、すごく助かっています。
(つづく)