

ちょちょっとお時間がズレました

辰巳満次郎様

(下の写真をクリック

第一弾のお話は、今年の大阪&東京で、まさにその道成寺からいらして下さる
道成寺のご院主、小野俊成様が能舞台で語って下さる絵解き「道成寺」縁起に
ついてでございます。
(ちなみに大阪と東京とでは、趣向が違っているとのこと、乞うご期待でアリマス)
さて、どうせだったら道成寺そのものについても、ちょとお勉強いたしましょう。
だったら本家本元の道成寺HPに参りましょう!
コレってなかなか良く出来ていて、なんか道成寺に行った気になりまする~。
詳しくは(PCで)じっくりとチェックしていただきたいのですが、
その中でひとつ、まり子が気になっているのが…、
辰巳満次郎様

HP(http://www.dojoji.com/miyako/index.html)からそっくり引用しますね。
今から千三百年前、九海士(現在の和歌山県御坊市湯川町下富安)の村長に娘が生まれましたが、髪の毛が全く生えませんでした。
時を同じくして、九海士の入り海に光るものが現れ不漁が続きました。髪の無い娘の母が海底に探りに行くと、小さい観音様が光り輝いていました。
命がけで海底から引き揚げ、毎日拝んでいると、娘にも髪が生え始め、村人から「髪長姫」と呼ばれる美少女に成長しました。その姿が都人の眼にとまり…、
髪長姫は藤原不比等の養女として奈良に召し出され、宮子姫という名を貰い、宮中に仕えることとなりました。
宮子姫は、その美貌と才能を見込まれ、持統天皇十一年(697)に文武天皇の夫人に選ばれました。
宮子姫は、黒髪を授けてくれた観音様と両親を粗末な所に残してきた事を悩んでいました。
文武天皇は宮子姫がご恩返しをするための寺を建てることを命じ、大宝元年(701)道成寺が建てられました。
時を同じくして、九海士の入り海に光るものが現れ不漁が続きました。髪の無い娘の母が海底に探りに行くと、小さい観音様が光り輝いていました。
命がけで海底から引き揚げ、毎日拝んでいると、娘にも髪が生え始め、村人から「髪長姫」と呼ばれる美少女に成長しました。その姿が都人の眼にとまり…、
髪長姫は藤原不比等の養女として奈良に召し出され、宮子姫という名を貰い、宮中に仕えることとなりました。
宮子姫は、その美貌と才能を見込まれ、持統天皇十一年(697)に文武天皇の夫人に選ばれました。
宮子姫は、黒髪を授けてくれた観音様と両親を粗末な所に残してきた事を悩んでいました。
文武天皇は宮子姫がご恩返しをするための寺を建てることを命じ、大宝元年(701)道成寺が建てられました。
ほほ~う、でも、何かどこかで聞いたことのあるような…。
そうです!
能「海人」プラス浅草寺縁起(観音像を漁師が引き上げた)ではアリマセンカ?
だから、演目に仕舞「玉之段」が組み込まれているのね~。
まり子、納得ぅ~

納得したところで、また明日、インタビューの第二弾をお届けしますね。
と、それから辰巳満次郎様

リアル道成寺の景色をオマケにつけて…


それでは、チャオ~


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