GWらしいお天気が嬉しい、今日この頃…

でも明日から下り坂らしいの…。
明日は、豊田能楽堂(名鉄豊田線・三河線「豊田市」駅前)にて「さつき能」なのにぃ。

「俊寛」ですよ~、「俊寛」!

東海・関西地区の方々はモチロンお出かけと思いますがっ

辰巳満次郎様

いろいろと、さらに深みを加えて演じられることでありましょう。
くぅ~っ、観られる人が羨ましい~

さて、それはさておき!
昨日は「難波」のおさらいをしてみたので、
今日は「俊寛」のおさらいをしてみようかなぁ、と思います。
あまりに有名なお話なのでさしたる粗筋は要らないとは思うのですが、
これまたあちこちネット検索していたら、
あの?芥川龍之介が書いた「俊寛」ってお話があるんですね。
不勉強なまり子は知りませんでした。ハズカシ~っ。
そのお話がこちら。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/159_15201.html
ネット上ではちょい読みづらいのが難点ですが、
ただ一人取り残された俊寛の後日譚になっています。
で、なんだか新鮮でメチャメチャ魅力的でサバイバルな俊寛です。
辰巳満次郎様


ウィキペディアで「俊寛」を調べてみると、
康治2年(1143年)から治承3年(1179年)の生涯で、
アララ、たったの36年の生涯です。
イメージはお爺さんだったんですが、バリバリ若かったんですね。
だったら、気を取り直せばサバイバル生活も可能だったんでしょう。
一緒に流された丹波少将藤原成経は1156年~1202年で46歳、
平判官康頼は1146年~1220年で74歳で、
この二人が赦免された時は、ナント、22歳と32歳です。
いや~、若かったんだぁ。
そう考えると、昨年の名古屋での「俊寛」でツレを務めた二人は
リアル年齢に近かったということですね。
ただ、当時の寿命から考えてみると、
俊寛は今の辰巳満次郎様

さてさて、今回まり子が訴えたいのは、フィクションではありますが、
ツレの若い方、つまり丹波少将成経には現地妻がいたらしい、ということです。
現地妻の名は、千鳥。
ヒドイ男よ~、藤原成経

当然の如く、千鳥を置いて帰っちゃうんだからさ!
ただ、人形浄瑠璃『平家女護島(へいけにょごのしま)』by 近松門左衛門では、
俊寛は都に執着する理由が亡くなって、自分が残る替わりに
千鳥を舟に乗せる、というお話になっていますが。
で、ここでご紹介したいのが、繁太夫節(地唄)の『千鳥』なのです。
これでは、置いてゆかれた千鳥の慟哭が歌われています。
なんだか、俊寛ともおおいに重なる気がして…。
まり子、限定公開で YouTube にアップしてみました。
歌詞は動画中に付けてみました。(←ヒマ人

約12分の動画ですが、タップリ「俊寛」ワールドに浸って下さいませ。
この歌を聞くたび、泣けます。
できたら明日は、この「千鳥」を思い出して、泣いて下さいませ。

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