
やっぱりひっぱってしまいましたね~。
新作能「オセロ」のレポの続き、くどくど、もう一日参ります。
さて、中入りするとイアーゴが再登場いたします。
ここら辺、「マクベス」と感じが似ていますね。
狂言廻しとはよくぞ言ったものです。
この新作能は、このイアーゴの狂言方がスパイスになって引き締まってます。
ただぁ、まり子的にはぁ、もっと自虐的にもっとシニカルに、ブラックな笑いを取りにゆくようなセリフ廻しに大胆に脚色してもヨカッタんじゃないかなぁ、と思っちゃいましたよ。
ふと、野村萬斎サンってこのイアーゴにピッタリでは?なんて妄想が、妄想が、妄想がぁ~(^_^;)
イアーゴが使った罠にハメる為に使ったハンカチは、ここでは「扇」として活用されます。
「廻れ廻れ毒よ廻れ」というセリフを象徴するような舞を舞いながら、舞台正面のスポットが当たっているところに「扇」を落として、イアーゴは退場です。
そして、いよいよ後シテの登場でゴザイマス!
満つぁま(辰巳満次郎様)

なんせ、付けている面は平太…、いえ新作面「黒平太」なのです。

新作面「黒平太」…オセロ(後シテ)用
ただ、実際に舞台上の後シテを観た時、まり子には照明のせいかあまり黒く見えませんでした。せいぜい日焼けしたぐらいって感じ? もともと「平太」は日焼けした坂東武者の顔だからやや色黒なんですけど…。
オセロはムーア人(北アフリカのムスリム、黒人)の設定なので、黒尉なみにもっと黒くても良いんじゃないかとも思ったのですが、あんまり黒いと表情がわかんなくなっちゃうし、これは是非、能楽堂で再確認したいものであります。
ちなみにオペラ映画のドミンゴのオセロ(オテロ)だとこんな感じ。

顔はそんなに真っ黒ではありませんね。
そういえば、後シテの装束も赤ベース、赤地の錦の直垂…って感じなのです。
(半切も赤ベース、厚板も赤ベース!)
梨打烏帽子を被っていない坂上田村麻呂なので、髪は黒垂、ツヤツヤのストレート黒髪なのであります。烏帽子被ってないと、ナンカまり子、落ち着きません。
しかし、サスガ満つぁま

そこへデズデモーナ登場です。
特注の真っ白な絹のヴェール(斎栄織物株式会社謹製)を被り、白地に花が散った唐織を壺折に着、白地の半切?、こちらは白ベースです。
ほほ~う、そう言えばイアーゴは全身黒、オセロは赤、デズデモーナが白、というヴィジュアルになっていたんですね~。

新作面「ぬばたま」…デズデモーナ用
デズデモーナも新作面だそうです。最初の解説時にスライドで表示された画像を見た限りでは、なんか「万眉」っぽいかなとも思いましたが、目尻がやや上がっていて、妖艶さはあるけれど毅然とした貞淑さを持っている感じです。
とにかくとにかく、神々しいくらい美しいのです。
ちなみにオペラ映画のリッチャレッリのデズデモーナはこんな感じ。

オペラ「オテロ」の第4幕では、夫オテロに殺されるかもしれないと予感したデズデモーナが、婚礼の時の衣裳(ヴェール)を取り出しながらアヴェ・マリアを歌うのですが、ここのツレのデズデモーナ@和久師が被っている真っ白の絹のヴェールってそういうことだったのね…。
デズデモーナは橋掛りからオセロに呼びかけます。
いかにいにしへ人。あまりに自ら責め給うな。
うつろひやすき世なれども。
末の松山波越さじ。
神かけて変わらじと誓いし我なれば。
確かここらあたりで、橋掛り上のデズデモーナと舞台上のオセロとが向き合い、見つめ合うのですがっっっ!
ひゃ~っ

なんか、妙に色っぽく、いやエロっぽくさえ感じられる濃密さナンデス~!
昔の人がコレ観たら、鼻血ブーなんじゃなぁい?ぐらい、なラブシーンなのよ~!
しかし、自分を許せないオセロは、デズデモーナの言葉なんか聞いちゃいません。
ひたすら苦悩し、泣くばかりなんですよ。
なんかさ~、白い花もオセロの思い込みで散らしてるんちゃう?って思えてきた、まり子。
そもそも、オセロは白人社会の中の異端であり、どんなに勇敢で高潔な軍人であっても、自分が黒人であることには劣等感を持ち続けていた訳で、デズデモーナがオセロの精神を愛していることを、結局は信じきれないんでしょうね。
だから、「言葉に裏切られたオセロは、言葉に対する絶望感から逃れられない」っていうより、おのれの劣等感から逃れなれないのではないでしょうか?
デズデモーナは、すれ違うばかりのオセロに愛想を尽かし…、チガ~ウ!
オセロの心の闇を救えないことを悲しみつつ、退場します。
残されたオセロは、この果てしない苦しみを救ってくれ、と吟遊詩人に言い残して消えてゆきます。
ここでも、吟遊詩人が見送る形で、シテは笛の音の残る中、幕に消えてゆきます。
これは、新作能ならではですよね~。
ということで、新作能「オセロ」初演は終わりました。
なかなか素晴しい作品だと思いました。
予想と全然違って、メロドラマ仕立てでございました。
ただ、まり子のシュミとしては、ちと、物足りなかったです。
国立劇場で「影媛」を観た時と、似た印象を受けました。
http://ameblo.jp/manjirofanclub/entry-10969533133.html
後半が、ただひたすらオセロは苦悩して涙して、って感じでちょっと感傷的過ぎるように思いました。(それが狙いだったかもしれませんが…)
さっきオセロの劣等感と書いたけれど、デズデモーナを殺害した罪悪感からも逃れられない訳で、でも詞章からはその苦悩の深さは、あまり伝わってきません。
満つぁま

ま、出来上がったものにアレコレ言うのは簡単です。
ここまで創作なさった過程にはどれほどの準備とご苦労があったことか…。
でもさ~、だからこそ、物足りなく思っちゃうのよ。
もっと、宝生流の謡の力で「オセロ」を盛り上げて欲しかったと思っちゃうのよ。
例えば言葉巧みに…、ってどういうふうに巧みなのか分かんないから、シテと地謡との掛け合いでイアーゴ(地謡)の言葉の毒でオセロが嫉妬の鬼になってゆく過程とか、オセロがデズデモーナを殺害するところを、今度はデズデモーナ(地謡)とオセロの掛け合いとするとか…。
(いや、本人どうしが謡ってもイイナ~

その際には、正先に置かれた扇の前で、最初はオセロが、入れ替わってデズデモーナが、みたいにして、殺害シーン(の回想)を地謡で盛り上げて、その後にデズデモーナの許しがあって、でも苦しみ続けるオセロがいる…、って感じでさ。
すでに再来年に再演が決まっている「オセロ」でありますが、
どのようにブラッシュアップして再演されるか、
ゼッタイに再演を見届けるんだ~、とココロに誓う、まり子でありまする。
それにしても、男の嫉妬ってさ、怒りの矛先が女に向かうのね。
女の場合は、怒りの矛先は相手の女に向かうのに…。
蛇足も含め、レポ&感想を終わらせていただきまする~。
ごめんあそばせ。

どっちのボタンもポチっと押して、辰巳満次郎様


