能楽師 満次郎のメルマガ「能にみる日本人の文化」その44 能にとっての「花」ということ その2 | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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こちらは、不休で普及に励む宝生流グレート能楽師の辰巳満次郎先生♥に「惚れてまったやないかぁ~!」なファン達が、辰巳満次郎先生♥と能楽の魅力をお伝えしたいな~、と休み休み、熱い思いをぶつけるブログです。

みなさま、こんにちは。西 久美子です。

辰巳満次郎先生のメルマガ・アーカイブ、第44弾をお送りします。
どうぞ、お楽しみください。


あまりにも有名な「花伝書」で「花」については言及されておりますが、やはりその「花」は避けては通れませんね。


俗に言う「花がある」という言葉、これは決して「華やか」という意味ではありません。

世阿弥が書いているように(父の観阿弥からの教え、としてはいますが…)若い頃の美しさ、可愛いさ、身体の切れなどは「華やか」ではあるが「真の花」ではない、と説きます。

立ち会い能などで、ベテラン役者が若手役者に人気を持っていかれてしまうのは、真の花を持っていないからだ、と。

つまり、「若さ」という花はやがて枯れてしまいますが、真の花を持つ役者は、いつまでも見劣りせず、むしろ(いや当然)数段美しいというお話。

しかし、真の花を観る力量がなければ虚しいもの…

いえいえ、どなたが観ていただいても見える筈です。

我々能役者は、なんとかその種を宿し、死ぬまでその花を咲かし続けることを願うのみです。

辰巳満次郎



kumiko

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