いやはや、なんとも…。
いわむら城址薪能に今年こそ行くぞぁ~っ!と決めて名古屋までの往復を押さえたまではよかったんですが…、何やら、土曜日の岩村駅20時10分発の名古屋行の明智鉄道列車には、どうやら辰巳満次郎様

な、なんの為にわざわざ…。

毎年薪能してるんだから、必ず最終に間に合うにように薪能は終わるはず…
と一瞬確信したまり子の希望的観測は、見事に打ち砕かれましたっ!

そりゃ、ないんじゃないの~



くそ~、恵那までタクシーらしいですぜ。同乗者求む…ですなぁ

さて、これを書いている時点で8月20日。
いよいよ明日が、新作能「散尊(サムソン)」のお披露目であります。
楽しみですね~、って予習してるから余計に楽しみなのかもしれません。
お勉強ってそういうもんかも~。
ところで、ちょと耳に入った情報によりますと、どうやら新作能「散尊(サムソン)」で描かれるデリラは、どうも今まで描かれてきたデリラとは(ミルトンが描いたデリラとも)かなり、違うようなのであります。
なので、本番を目前にしてデリラとサムソンが、今までどういう描かれ方をしてきたのかをみっちり?復習しておこうと思います。
ところで、散尊がサムソンに近い音の漢語を当てたんだったら、デリラにも漢字は当てられているのでしょうかね~?
デリラ(Delilah)はダリラとも書かれることもあるし、昔トム・ジョーンズ(古っ!)が歌っていた「デライラ」というのも、Delilah ですね。
ハイ、話を戻します。
旧約聖書の士師記(新共同訳)に描かれているところのデリラは、ソレクの谷に住む、というだけで、遊女であったとは書いてありません。
また、サムソンが愛するようになった、としか書いてないので、デリラはサムソンの正式の妻でなかったかもしれませんが、事実上の妻であったことは確かでありましょう。
ただ、デリラがサムソンを愛していたのかどうか、は全く書かれておりません。
ペリシテ人の女としてサムソンに復讐するために近づいたのか、それとも…?
遊女で色仕掛けで誘惑する、ってした方が(後で引用したように)都合がヨカッタのでしょう。
なので「デリラ」という名前はとびっきり魅力的な悪女の代名詞となっております。
トム・ジョーンズの歌だって、デリラというビッチ?に捨てられて暴挙に出た男の歌だし…。
赤毛のアンのシリーズで、アンの子供達のお話にもデリラ・グリーンというちょっとチャーミングだが性格の悪い女の子が出てきて、
「キリスト教徒の子供にデリラなんて名付けるのはどうかと思う」
ってな大人達の会話が載ってたなぁ、確か…。
と、話を元に戻して…。
デリラは実際、ペリシテ人の領主達に言いくるめられ、女の武器を全開にして、サムソンの怪力の秘密を探り出しました。
ミルトンの「闘士サムソン」の中では、盲いたサムソンの前で、デリラは以下のように弁明します。(佐野弘子訳をそのまま引用)
私を動かしたものは、あなたが私の咎とお責めになるような
黄金おかねではありませんでした。ご承知のように、
私の国の役人や貴人がわざわざやってきて、
要請し、命令し、脅し、迫り、勧告し、
かくも多くの同胞を殺した共通の敵を罠にかけることは
いかに正当で、いかに名誉で、
いかに光栄なことかと
説得したのです。祭司も
遅れじと、常に私の耳元で、
ダゴンを辱める不敬者を罠にかけることは
神々にとってどんなに功績となるかを
説くのでした。あのような力強い議論を反駁する
どんな術が私にあったでしょうか?
あなたに対する私の愛があったからこそ、長い論戦に耐え、
一切の理屈に悪戦苦闘しながら
黙って持ち堪えたのです。でも結局、
公益は私益に優先する、
という賢者の口で
広く賞賛され、確立した格言が、
厳しい権威をもって私の心を占め、圧倒したのです。
徳が、真理が、義務が、かく命ずる、と私は思いました。
う~ん、これはマインド・コントロールってやつですかい?
ただ、これが本心なら、以下の絵のデリラの表情が納得できるのでありますよ…。
さらにデリラは、今の弱ったサムソンこそ愛しい、一生お世話させて欲しいと懇願します。
しかし、サムソンはこれを徹底的に拒絶!
予想していたはいえ、あまりの頑なさ・拒絶の激しさに、デリラはついに逆ギレっていうか居直ったっていうか、あれほど求めたサムソンを見限る発言をするのであります。
私がこれほど身を低くして、和解を求めているのに、
なぜ拒絶と憎しみだけを受けねばならないのですか?
不吉な言葉を浴びせられ、私の名に汚名の烙印を押されて、
なぜ帰れを命じられなければならないのですか?
これからはあなたのことに関わるのは止めます。
また自分のしたことを過度に責めるのも止めます。
名声は、二つの顔を持たないまでも、二つの口を持っていて、
大概の行為を相反する音色で吹聴するものです。
一つは黒い、もう一つは白い翼の両方に、
偉大な名を乗せて激しく空を飛び回ります。
私の名も恐らくダン、ユダ、および近隣の部族のうちで
割礼を受けた者の間では、末代までも中傷されるでしょう。
呪いの言葉をかけられ、
夫婦の道に最も背いた嘘つきの
汚名を着せられるでしょう。
でも私が熱愛する祖国の
エシュトン、ガザ、アシュドド、ガトでは、
最も有名な女たちの中に数えられ、
行きている間も死んだ後も記録されて、
厳かな祭りの折に歌われるでしょう。
夫婦の契りの誓いよりも、
獰猛な破壊者から祖国を救う道を選んだのですから。
う~ん、どちらも本心なんですね…。
この後、サムソンは最後の怪力をふるって、デリラ諸共に多数のペリシテ人を神殿の下敷きとしたのであります。
デリラは、結果的に愛しいサムソンと共に死ぬことができて、本望だったのでしょうか?
能では幽霊となって出てくる訳ですから、死んだ後、地獄で何があったのか?
それはモチロン、ミルトンが想像すらできなかったこと…。
一体どんな展開が待っているのでしょう?
しかし、このサムソンに当てた「散尊」という漢語は、なかなか深いものがありますね。
尊く散った男サムソン、とも取れるし、散るのが尊いのか?という疑問形にも取れる。
その答えは、明日の夜、明らかになりまする。
だったら、デリラは?
本当は悪女でも毒婦でもなく、マインド・コントロールされてただけだったとしたら?
乏しいボキャブラリーと想像力から捻り出して、まり子だったら
「泥隣蘭」
の漢字を使ってみたいと思いまする。
この答えも、明日の夜、明らかになりまする。
今宵、リハーサル(申し合せ)らしゅうございますよ。
