まる子でございます。
★能「海人」について
沖縄では「うみんちゅ」と読みますよね。
古来から、海人はどこか神秘的な女性の色気を匂わす職業だった。
美しい女性が素肌をさらし素潜りする姿は、まるで人魚のように艶めかしい。
というのは、まる子の勝手なイメージ。
そんな海人がやんごとなき身分の大臣との間に子供をもうける。
しかし、大臣の思惑は「面向不背の珠」を竜宮から取り返すこと。
男の身勝手?
めちゃくちやファンタジーな理由です。
海人は子供を世継ぎにすることを約束として、命がけで海に潜る。
これまた、したたかでリアルな交換条件です。女は強し。
子供は、自分の出生の秘密を明かされ、亡き母に遭遇するのですよ!!
そして、そんな女性を救う法華経のありがたさを説く。
面白いお話ですね~~。
竜宮にある玉を取り返すシーン「玉之段」を、「懐中之舞」の小書では
床机に座ったまま演ずる。
これは、初見でした。
そもそも最小限度の所作で、たくさんを表現する「能の型」ですが、
さらにもっと省略してみよう(記録に挑戦?)
いっそのこと座ってみるか・・・
いったいどんな目的があるの?
ますます、わけわからなくなるじゃない(笑)
というのが正直なところです。
しかし。満次郎先生の熱演を拝見して、またまたお能の深遠さを感じたのです。
かえって「玉之段」の美しい謡の詞が染み渡って聞こえてきました。
いろんな情景が浮かんできたのです。
演じる側のテクニックもさることながら、観る側も強い“イメージ力”が要求されます。
それを狙ってるの?そういうものなの?
観音菩薩さまに祈りを捧げ拍子を踏むところは、舞で観るよりも強い情感を感じました。
強い決意と覚悟。愛する人への思いと我が子への愛情。
凄いなぁ~。
でも、舞を観たことない、謡の意味がわからない、
玉之段の舞が好き・・の場合は、おそらく???だと思われます。
床几に座りながらの微妙繊細な演技、凄い迫力。
でも、わけわからなさ(笑)のボルテージは絶頂となり、
宝珠を盗みとるあたりから、すっと立ち上がり動き回るのでした。
緊張感のある場面転換!インパクトありました。
見所を暗くした演出は、月明かりの志度の浦をイメージしたのでしょうか。
玉之段では、美しい海人が深い海の底へ潜ってくようであり、
後場の龍女のまばゆいオレンジ色の装束は、闇の中に金色に輝く紅龍のように鮮やか。
もの凄く映えて素敵!
「今年の能装束ベストドレッサー賞」に勝手に決定!です

同じ曲を連続で拝見するのは不思議な感覚です。
昼と夜のどちらが良かったとは、特に思いませんでした。
装束の違い、夜の部の龍女は黒頭だぁ~!などと、
微妙な演出の変化を楽しみました。
夜と昼両方観た知人は、
「子方が違うと雰囲気が変る。特に夜の部は、シテが母親になりきった
ように見えて感動で涙が出そうなった。
宝生能楽堂で2公演は凄い。お囃子方やワキ方はご苦労さまでしたね(笑)。」
観世流のお稽古をされてる方なので、
「面白かった。勉強になりました!」と仰ってました。
本当に、いろいろな感動を頂きました。
まだ長引く余韻でいっぱいですが、この辺でピリオドといたします。
来年も楽しみ~(^O^)
期待しております♪
まる子
