「満次郎の会」では辰巳満次郎様の心尽くしの立派のプログラムが各座席に置いてありました♪
そこにはアンケート用紙も入っていました。
まり子はあることをちょびっと書いたけれど、帰りに出してくるのを忘れちゃいました。
あることとは…。
「満次郎の会」では、開演前のアナウンスで、
◎許可のない方の録音・録画・撮影のご遠慮
◎携帯電話の電源オフ、またはマナーモードへの切替
◎拍手は舞台から演者がいなくなってから、のお願い
をしていました。
(プロ? 美しいアナウンスだった…)
なのに、それを無視っていうかアナウンスなんか聞いてないっていうか…。
特に夜の部がひどかった…。(-゙-;)
最近の、一部の「我良し」の観客のマナーの悪さ?には、主催者側にも、マナーを守って舞台の感動を味わいたい観客にも、頭痛のタネ、だと思ってます。
それも、当のご本人達に自覚なし… (T_T)
興は削ぐんだけど、これはアナウンスの回数を増やして、自覚を促すしかないんでしょうかねぇ… (-゙-。)
そんな思いを何年も前から形にしているHPがあります。
まり子がお能を観始めた頃、お能(宝生流関連)のイロイロな情報を求めて、ネットサーフィンしてて、行き当たったのが、そのページ。
能が終わっても拍手はしないで!「拍手いや~んの会」
まり子は、非常に共感いたしました。
素晴らしい舞台に出会った時、その感動を万雷の拍手で演者に伝えたい、演者を讃えたい、というのは、観客の偽らざる気持ちです。
しかしお能では、特に演目によっては余韻を味わいたい、大切にしたい場合があるのです。
「満次郎の会」でもだからこそ「拍手は舞台から誰も居なくなってから」というお願いをしていると思うのです。
いま現在はこのHP本体は更新されていないようですが、「拍手いや~ん」をお能鑑賞のマナーにしてゆきたいものです。
残念ながら、宝生会の見所のマナーが最悪らしいですけど…。
以下、一部を引用いたします。
全文は上のリンクへジャンプして、ぜひお読み下さいませ。
まり子

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よく聞かれる質問に「能の拍手はいつしたらいいの?」というものがあります。
確かに、「ブラボー」の掛け声がかかり、何度もカーテンコールがあるクラシックコンサートや、見せ場で必ず「よッ、○○屋」と大向こうから声が飛び拍手が起こる歌舞伎などのイメージが頭にあると、能でも拍手をしなくてはいけないんだろうと思ってしまっても無理からぬことかもしれません。
しかし、能は拍手が邪魔になる演劇なのです
能舞台の最大の特徴は、客席と舞台とを仕切る幕がないということでしょう。
三間四方の舞台空間は、観客が客席に入った時から能を見終わって席を立つまで終始、暗転することもなく、観客の目の前にさらされています。
ざわついていた客席が次第に静まり、やがてしずしずと橋掛リから囃子方が登場する・・・そう、「いつの間にか」舞台は始まっているのです。
そして、今まで舞台上で演技をしていたシテ・ワキがなにごともなかったかのように退場し、地謡・囃子方も舞台から下がって、「いつの間にか」舞台の上には誰もいなくなっている。
始まりもなければ終わりもないのですから、本当なら、拍手のしようはないのです。
能が終わった後、今まで見ていたあれは夢だったのかしら?・・・そんな錯覚にとらわれることがあります。
その意味で、演能が与える印象は、まさしく「物象化された夢」だといえるでしょう。
ワキが見ている夢を、観客の私たちも客席で追体験していることになるわけです。
夢から覚めて拍手する人なんて、いませんよね?
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