こんばんは。

 

 

当ブログにお越しいただきありがとうございます。

 

 

仲谷一祐(ナカヤ カズヒロ)と申します。

 

 

現在、大阪にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。

 

 

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

夜も引き続き「道教」に関する話をお届けします。

 

 

 

前回の記事では「道教では、悟りを開く目的の中に修行して仙人になることが含まれる」ということをお伝えしました。

 

 

 

 

 

 

実は道教に登場する「仙人」は、不思議な力を使い、より自由度の高い生き方をしています。

 

 

そのため、道教そのものが自由で遊び心があるように感じる方もおられるかもしれません。

 

 

ところが実は、道教のスタンダードは、むしろ真面目で厳しく、教条的です。

 

 

教えを絶対的なもの(善)と捉え、反すれば「罰する」「反省する」という傾向にあるのです。

 

 

例えば、「人をひとり助けたらプラス何点、ひとり殺したらマイナス何点。悪口言ったらマイナス何点、嘘をついたらマイナス何点」などと善行を積むための一覧表を作り、教えを守っている人たちもいます。

 

 

また、「杜子春伝(とししゅんでん)」(芥川龍之介の「杜子春」の原作)という仙人修行に関する物語も、教条的な内容です。

 

 

"杜子春という不真面目な青年が、周囲の人たちに嫌われ生活に困った時、道士(道教の僧)に出会い三度助けられ、高い身分のお金持ちになりました。

 

 

そこで杜子春は、その恩に報いるため、仙人になって協力したいと道士に申し出ます。

 

 

すると、道士は「これから目にするものは幻だから、何が起こっても黙っているように」と約束させ、杜子春を地獄に連れていきました。

 

 

地獄で沈黙を貫いた杜子春は、女性に生まれ変わり、結婚して子どもが出来ます。

 

 

ところが、杜子春が一向に喋らないことに腹を立てた夫が、目の前で子どもを殺してしまいました。

 

 

感情的になった杜子春は思わず声を出してしまい、幻術が破れてしまいます。

 

 

図らずも約束を破ってしまった杜子春は、仙人になれず、道士への恩返しは叶いませんでした。

 

 

そして、杜子春は現世でこのことを恥じて悔いて生きたのでした。"

 

 

というように、なんとも道教的なストーリーなのですね。

 

 

 

また、日本においても、道教の教条的な部分を表すような風習がありました。

 

 

江戸時代の話です。

 

 

人々は、「人間の体の中には悪さをする匹の虫がいて一年に一度、人が眠っている間に体から出て、天界に告げ口に上がる日がある」と信じていました。

 

 

そのため、その日は徹夜して虫に告げ口させないように見張るというのが、当時の風習でした。

 

 

この三匹の虫を「三尸虫(さんしちゅう)」と言いますが、このような考えも道教に由来するとされています。

 

 

 

このように道教には教条的な部分があります。

 

 

そうでありながらも一方で、「タオ」というおおいなる自由に通ずる考え方のもとになっているのが、不思議でもあり面白いところなのです。

 

 

 

 

 

ということで今日も道教の特徴についてお話しさせていただきました。

 

 

実は道教には教条的な部分があること、そして日本もその影響を受けていたことを知ることで、身近に感じていただけると幸いです。

 

 

公式LINEでは、易と風水とタオ的世界について、

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

明日もまたお会いしましょう!