こんにちは。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。
仲谷一祐(ナカヤ カズヒロ)と申します。
現在、大阪市内にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。
どうぞよろしくお願いします。
さて、一昨日から自己紹介記事をお届けしています。
本日はその第三弾。
最初の旅行の後、数年間続いたアジアの放浪の旅のエピソードや、今の私に至るまでについてのお話をさせていただきます。
外の世界に自分を探す生き方から、日本で根を張り、好きなことを極めていく生き方にシフトしていく様子を楽しんでいただければ幸いです。
【自分を探して!筋金入りのバックパッカーの生き方からの気付き】
ネパール旅行の後、日本でアルバイトをして小金を貯め、アジアを旅するという生活を4年ほど続けました。
この頃ちょうど、「勧め!電波少年」という番組で、猿岩石がヒッチハイクをしながら世界中を旅する姿がお茶の間に流れ、バックパッカーの人気が広がっていました。
バックパッカーは「一か所に滞在する系」と「各地を回って滞在する系」に分かれます。
私は、前回のネパールの旅の様子からもわかるように、どちらかというと前者のタイプでした。
後者のタイプのバックパッカーは、筋金入りの放浪者というイメージです。
彼らは世界中のバックパッカー専用の宿を転々としていて、私もたまたまそういった宿で出会うことがありました。
それは「DE999」という、マレーシアのコタバルにある日本人宿での出来事でした。
当初私は、垣根なく世界中を旅しているような彼らに、オープンマインドなイメージを持っていました。
ところが「DE999」では、何かが違うのです。
自分が行ったことのない国でのスケールの大きい話を聞くことは楽しかったのですが、私はなぜか彼らの姿に「暗さ」や「寂しさ」を感じていました。
超個人主義というか、旅は道連れというおおらかな感じではなく、むしろ心が閉じている印象を受けたのです。
なぜ自分がそのように感じていたのかを知るのは、あとからのことでした。
【失敗しないとわからない?危険な体験エピソード】
さて、何年かバックパッカーをやっていると、現地の人の中でも、いい人とヤバい人の見分けがつくようになってきます。
現地の人たちには、旅行者からお金をもらいたい人も多く、新米バックパッカーなどは標的になりやすいのです。
かくいう私もネパールで、「もっと安いホテルに案内してやるからついてこい」と言われてホイホイ着いていき、怖い思いをしたことがあります。
なんと連れていかれた先はホテルではなく、その人の実家だったのです。
土がむき出しの、ボロボロの家が集まる小さな村、いわゆるスラム地区の実家です。
本人はカラテの黒帯だと言っているうえに、背後には村の人たちも関わっている様子でした。私がその村に入ると、村の男が全員ニヤニヤしながら遠巻きに視線を投げかけてきました。獲物が来たぞ、そんな感じです。
これは私の思い込みではないのが後で分かったのですが、この村に来るために乗ってきたタクシーの運転手さんが、あまりに心配だったため村の外で私が戻ってくるまでずっと待ち続けてくれていたのです。それもあって助かりました。
運転手さんは、もし暗くなっても私が戻らなければその足で警察に行くつもりだったそうです。
そう言えば、村に着いたときに案内した男がタクシーの運転手さんにもうどこかへ行け!みたいな身振り手振りで、大きな声で何か言っていたのを思い出しました。
それでもどこにも行かずに待ち続けてくれていたなんて、なんと良い人なんだろうと今も思い出して感謝しています。
きっと、ヤバいカーストの村に連れて行かれていたのだと思います。
今でもネパールには外国人を決して入れない場所があります。なぜなら外国人はカーストからも外れた存在ですので、宗教色の強い村や集落には入れないのです。
その時はなんとかお金を使ってその場から逃げて、最終的には支払ったお金も半分取り戻したのですが(小悪党で憎めないところがありました笑)、肝が冷えた出来事でした。
他にも、これもネパールですが、薬を売っている日本人にも出会ったことがあります。
今思えばいかにも悪そうな顔をしていたのですが、初めの頃はなかなか見抜けませんでした。
そんなこともあって、慣れた国に滞在している間には、出会った初心者マークのバックパッカーにアドバイスをしようと試みたこともあったのですが、なぜか話を聞いてもらえないということが良くありました(そして怪しいほうについていく)。
長くこの暮らしをすると、だんだん薄汚れても平気になっていくので、どうやら旅をし始めてすぐの人の目にはかなり怪しい人に映っていたようでした(泣)。
今思えば、薄汚れてやたら親切な日本人よりも、お金をもらってガイドするよと声をかけてくる現地人の方が目的も分かりやすいということなのでしょう。
【世界は自分の心の反映!他者の生き方や考え方を知る】
インターネットが発達していなかったこの時代に、旅先での貴重な情報源になったのが、各宿に置いてあった「旅人ノート」です。
その中でもとても役に立ったのが、「心や身体が弱った時は、『ふるさと』(飲食店)に行くといい」というものでした。当時の旅人ノートでは何人もが勧めていました。
ちょうど風邪の引き始めだった時に、実際にその店に行ってご飯を食べてみると、確かにすぐに良くなりました。旅人ノートに書かれた通りです。
懐かしい日本の味や、その店の持つ雰囲気が心や身体を温めてくれたからでしょう。風邪やちょっとした熱、それからホームシックのような病には、懐かしい日本の食事が薬よりも効くことを知って驚いた経験でした。
ノートで見知らぬ他者と情報交換など、今では考えられない話でしょう。当時はとても楽しい体験でした。
また、旅先ではいろんな日本人との出会いがありました。
中でも印象に残っているのは、ネパール滞在中に出会った50歳くらいの男性です。
癌になって手術をし、仕事もやめ、日本に家族を残してここにやってきたというその方は、
「生きるということは、年齢が行くほどに恥ずかしさを感じることだ」と話されていました。
「自分は正しくあろうとして生きているつもりで、他人のことも批判するけれど、そのうち正しく生きれていない自分に気付いてツッコミを入れるようになる。
だから自分はごめんなさいという気持ちで恥ずかしく生きている」ということでした。
当時はなんとなく聞いていましたが、その時の彼の年齢と近くなり、言っていた言葉の真意が理解できるようになりました。
「自分が幸せだったら世の中は上手くいっているように思えるし、自分が貧しかったら、世の中に不満がある」
世の中は今の自分の鏡ということを、その人は伝えたかったのでしょう。
他にも、16歳の日本人の男の子のバックパッカーとの出会いも印象に残っています。
親の代わりに一人でおじいちゃんの介護をしていた彼は、ある時任せられていたことをすべて放棄し、学校に休学届を出してアジア世界にやってきたという、とても逞しい子でした。
お世話していた寝たきりのお爺ちゃんが、なんと旅費をたくさん出してくれたそうです。
後に日本に帰り、大学生になったということを連絡してくれました。この大学は面白いぜ、カズさんも聴講生でも良いからおいでよ!と、誘われたのが思い出です(断りを入れたら残念がっていました)。
年齢にかかわらずいろんな人の人生を知ることで、はっとさせられることも多かったです。
【自分探しの旅の終わり。どこにいても幸せな自分として生きる】
私が旅に出ていた当時は、どこか遠い場所に行くことで、自己実現を目指すような「自分探しの旅」をやっている人が多い時代でした(今もそのような人たちがいるのでしょうか)。
私はというと、時々日本に帰ってはいるものの、自分の居場所がないと感じて、旅を続けていました。
これもやはり自分探しと言っていいでしょう。
ところが、とうとうこの日々にも終わりを告げる時がやってきます。
きっかけは、タイで出会ったイスラエル人のバックパッカーとのやり取りでした。
私は、彼の旅先のお得情報を聞きながら、ふと「自分、昔から同じ事をやっているな・・・」と虚しさを覚えました。
そして「どこに行っても自分は同じ。だったらもう日本にいるのが一番楽だな」ということに気付いたのです。
そもそも日本に帰る場所があるから、自分はこうやって旅に出ることが出来るのです。
私は、これまで出会ったバックパッカーの達人たち、特にマレーシアの「DE999」を思い出しました。
彼らは長く旅人を続けて来たせいで、すでに日本には知り合いもおらず、旅先ですれ違う旅人だけが知り合いだったのです。
「日本は稼ぎのために滞在してるだけだから」そう言い切っていた言葉も重く感じられました。
彼らのほとんどは日本に帰る場所がない。私はそのことに寂しさを感じていたのです。
私には彼らのように故郷を捨てることはできませんでした。
「働きたい」
この時、初めてそう思いました。
お金を稼がないと暮らしていけないとか、心が追い詰められるからではなく、今生きていることを実感したい。
そのために働きたいという、強い思いがこみ上げてきました。
「日本に根を張って、生きてみよう。
ちゃんとした会社に就職することはたぶん出来ないけれど、せめて好きなことをどれだけやっていけるか試してみよう」
そう決意しました。
こうして長きにわたる私の自分探しの旅は、終わりを迎えたのでした。
【新たな旅の始まり!陰陽五行説を解読する】
大きな気づきとともに、生きる力を取り戻していったアジア放浪の旅。
一見、人生の寄り道のようにも思えるこの旅の途中で、私の得たものは計り知れません。
旅の最中では、自分が日本人であることを思い知らされることがちょくちょく起こります。そういう経験が繰り返されると日本についてもっと知っておけば良かったと考えるようになります。
そして、昔の日本には、いくつもの素晴しいものが眠ったように存在しています。
その中に、この世界のしくみを知る古くからの教えとの出会いがありました。
それが、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)です。
何百年も前に古代中国から日本に取り寄せたひとつのしくみで、今も神社や一部のお寺などでは、それを引き継いだ跡を見つけることができます。
帰国してからの私は、まるで使命感にせきたてられるかのように、さまざまな資料を取り寄せ、教えの解読に没頭しました。
特に力を注いだのが、五常(ごじょう)という心に関しての部分です。
最近は、陰陽五行や五常が少しずつ認知されてきているようです。
ですが、そのような情報がいくら出回っていたとしても、具体的にどうやってそのしくみを使いこなせばよいのか、現実的に落とし込んだものがありません。
問題も豊かさも、そのほとんどは人が運んできます。
天の時、地の利、人の和のうち、人間関係というのは「人の和」に関する問題です。
もし、人の和のしくみがわかれば、色んなことが解決するはず。
そう考えたわたしは、とことん心の部分について考え続けました。
そしてある日、これまで誰も説明しなかったような秘密の部分にまでたどり着いたのです。
それは、それまで知識でしかなかった心のしくみを、現実に落とし込んだ瞬間でした。
【好きなことだけして暮らす!心のしくみを活用して人生が激変】
心のしくみの秘密を知った私は、まず自分に利用してみることにしました。
自分の心のパターンを知り、お金を稼ぐことにも応用してみることにしたのです。
何もないゼロの状態からのスタートでした。
「これからは好きなことだけして、どれだけ生きていけるかやってみよう」
そんな思いで行動し始めた私でしたが、なぜか最初にパートナーができました。
そして、パートナーとうまくいくようになるにつけ、なぜか仕事のほうも順調に、お金の巡りも良くなってきたのです。
今、私は風水師として暮らしています。
陰陽五行を受け取ってから20年以上が経ちました。
ありがたいことに、私自身、いにしえのノウハウによって人生の暗転期の波を乗り越えることができた上に、私のこれまでの経験からお客さんも多くの豊かさを得ることができています。
私が行っている卍易の風水セッションでは、古代のやり方をそのままに甦らせ、その技術や方法論を現代に応用してお伝えしています。
ちなみに、心のしくみの部分は「五常プログラムのレッスン」として全国で認定講師さん達が教えています。
これを学ぶ人はある意味ラッキーです。
なぜなら私のように社会からドロップアウトすることもなく、自暴自棄になってアジアをひとりでさまようこともなく、資料を集め時間をかけて陰陽五行を解読する必要もないからです。
卍易のセッションからは古代の風水術の凄さが体験できますし、古から続く心のしくみの秘密も、私がまとめた本からすべてわかります。
これからも、研鑽を続け、「今の自分の状態を知りたい」「人生を良い方向に変えていきたい」と願う方のお役に立つよう精進していきたいと思っています。
ということで、3回にわたる自己紹介記事はこれにて完結です。
ちょっとお恥ずかしいような話にも、お付き合いいただきありがとうございました。
今後こちらのブログでは、卍易風水や五常といった人生が豊かになるツールのお話や、自身の経験から得た視点を用いて、読者の皆様の日常でお役に立つようなお話をさせていただきます。
どうか楽しみにしていてくださいね。
公式LINEでは、易と風水とタオ的世界について、
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本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。