こんにちは。

 

当ブログにお越しいただきありがとうございます。

 

 

仲谷一祐(ナカヤ カズヒロ)と申します。

 

 

現在、大阪市内にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。

 

 

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

さて、昨日から自己紹介記事をお届けしています。

 

 

 

 

 

本日はその第二弾。

 

 

心に支障を来し、逃げるようにネパールに向かったその後のストーリーです。

 

 

 

見も知らぬ異国での日々のなか、徐々に生きるパワーを取り戻していく様子を楽しんでいただければ幸いです。

 

 

 

 

 

【ネパールに到着!何もしない日々のはじまり】

 

ネパールの空港に降り立った私を待っていたのは、スパイス臭い風の匂いと、出迎えのネパール人の人だかりでした。

 

「タクシー!?タクシー!?」
 

「ホテル?ホテル!」
 

夜中なのに、いきなりの騒々しさに圧倒されました。

 

タクシーやホテルの送迎のスタッフが、飛行機から降りてきた旅客を今か今かと待ち構えていたのです。

 

 

周りを取り囲まれ動揺している私に、ひとりのネパール人が片言の日本語で話しかけてきました。

 

「アナタニホンジン?ホテルアル?」

 

手が空いているので、私の宿泊するホテルに連れて行ってくれるという申し出を受け取り

 

その日宿泊するホテルまで連れて行ってもらいました(もちろん有料です笑)。

 

 

最初の日に泊まったのは、国内で一泊だけ予約した5つ星のホテルでした。

 

 

ところが案内された部屋向こうにあるらしい発電機の騒音がガタガタとうるさくて、眠れません(ネパールは1日に何度も停電するのです)。

 

 

結局そのうるささは一晩中続きました。

 

 

げんなりした私は、翌日そのホテルをチェックアウトし、別の宿に移ることにしました。

 

 

ホテルのスタッフに「なぜもっと泊まらないのか?」というようなことを言われたものの、理由をちゃんとした英語で表現できず、

 

「えーっと、Noisy!!!(うるさかってん!)」

と、異国の英会話チャレンジにニコニコして言ったのですが、スタッフはびっくりした顔をして黙っていました。


後で分かったことは、つまりは私は

Noisy!!!(やかましい!!!)」

と、英語でおまえは黙っとれ的に怒鳴ったことになっていたのでした。ニコニコ顔でしたのでさぞかし不気味だったことでしょう。

思い返して申し訳ない気持ちになりますが、それはもうご愛敬として自分を許すことにします。

 

 

さて、二泊目からは多くの日本人が利用することで有名なゲストハウスに泊まりました。

 

 

安い部屋だと1泊6ドル(当時の日本円だと600円くらい)と破格のお値段です。

 

 

長期滞在を希望する私にとっては、とてもありがたい条件でした。

 

 

ちなみに私はシャワー付きの部屋に泊まったのですが、このシャワーの調節がとても難しかった!!

 

 

出し始めはとんでもなく熱く、その後はぬるいお湯しか出ないという残念さ(海外のゲストハウスあるあるです)!

 

 

それでもしばらくの間の落ち着き先が決まったことはありがたく、その晩は静かに(笑)ゆっくりと休むことが出来ました。

 

 

 

 

【みんな生きている!存在することのありがたさに気付く】

 

ゲストハウスに移ってからの数日間は、食事をすること以外はぼんやりと過ごしていました。

 

 

昼くらいまで寝て、起きたら1階で食事(焼きそばやチャイなど)を注文し、2階のバルコニーに届けてもらって食べ、そのあとはひたすらぼーっとする。

 

 

まだ心がしんどかったので、特別に何かをしようという気が起こらなかったのです。

 

 

ただ、ここでラッキーなことがありました。

 

 

1階の皆の集まるロビースペースに、私がろくに目を通すことなく日本に置いてきた「地球の歩き方ネパール」が数冊置いてあったのです。

 

 

宿で準備したものなのか誰かが置いていったのか定かではありませんでしたが、とにかくありがたかった!

 

 

私はこのタイミングでやっと、自分がいる「ネパール」がどのような国でどこに何があるのかということを知ることが出来たのでした。自分が居る場所が首都であることもはじめて知りました。(いやあ、本当に何も知らずにやってきたのです💦)

 

 

 

さて、しばらくゲストハウスのテラスでぼんやり過ごす日々を送っていた私ですが、気分転換に散歩に出かけるようになりました。

 

 

と言っても行先は近くの市場です。

 

 

滞在していたネパールの首都カトマンズは、日中は車の排気ガスと砂埃がひどく、空気が悪かったため、なるべく朝早くに出かけないとマスクをしていても喉を痛めます。

 

 

市場の古い建物は、年配の人たちにとってはどこか懐かしい感じがするようで、「ここは落ち着く」という言葉を耳にすることが多かったです。町ごと重要文化財クラスの古い建物ばかりです。

 

 

 

早朝(5~6時頃)の市場は、開店準備で活気づいていました。

 

 

花売りのおばちゃんの働く姿や、肉屋の包丁の音、揚げ物を揚げるじゅーっという音、あたりを漂う湯気。

 

 

ゴミ置き場では野良の牛がゴミを漁り、野良犬は地面の上でだらっと足を伸ばして横になって、完全脱力で寝ています。

 

 

ニワトリも周囲をうろうろしていますが、そこにいる人たちにとっては日常茶飯事のことのようで、誰も気に留める様子もありません。

 

 

そんな光景を眺めていた時のことです。

 

突然大きな気づきがやってきました。

 

 

それは

 

「みんな、ただそのままで生きている。ただただ存在している。そこには迷いがひとつもない。それでいいんだ」

 

 

というものでした。

 

 

ほんの数秒か数十秒の間、生命が形として見えた瞬間があったといいますか、ただそこに存在しているだけなのに、みんなそれぞれの輝きがありありと見えたのです✨

 

 

市場のあるがままに生きる人々や生き物の姿から、知らぬ間にエネルギーを受け取っていたのだと思います。それは尽きることのない、いつまでも繰り返される営みのエネルギーです。

 

 

逃げるように日本から離れ、見も知らぬ異国に来ても死んだままだった私の心が、少し生き返ったことを感じた瞬間でした。

 

 

 

 

【何もしなくても生きていていい!あるがままの自分に対する気づき】

 

その後の2週間くらいも、朝早く起きて市場に出かけるか、昼過ぎまで寝て起きて食事をするというような生活を送っていました。

 

 

たいしたことは何もしない。

 

 

ゆっくりとした時間の中で、心の中では少しずつ変化が起こり続けていました。

 

 

 

ゲストハウスのテラスからは、近所にあるアパートのベランダの様子が見えました。

 

 

そこにはプランターが飾ってあって、オレンジ色の奇麗な花が咲いていました。

 

 

ある日のことです。

 

 

その花を見ていた私の心に、2回目の大きな気づきが起きました。

 

 

それは「何もしなくても、人間は生きていて良い。それでも世界から大きなマル(OKサイン)をもらっている」という、存在そのものに対する赦しでした。

 

 

上手く言葉に出来ませんが、そのリアルさは衝撃でした。驚いて固まりました。

 

 

それまでの私は、人間は何かをやらなければ生きる価値はないと思い込んでいました。

 

 

頑張り続けることで、思春期の少年のようなセンシティブさを持つ自分や、一般的な社会活動に上手くなじめない自分のことを無意識に否定していたのです。

 

 

ですがこの時、これまでの反抗的な自分や、何もしない自分自身を受け入れることができました。

鬱々とした私の心はそこから一気に回復に向かいます。

 


生きて良いんだと、心で思えた体験です。

 

 

 

【心地よい人間関係への一歩!他者に興味関心を持つようになる】

 

心の元気を取り戻してきた私は、ゲストハウスの日本人の宿泊客や現地の人たちとも自然と交流するようになっていきました。

 

 

他者に対して興味関心を持つようになったのです。

 

 

「カズさん、今日はチベタンギョウザを買ってきたよ」

 

 

「カズさん、髪の毛を切ってきたよ」

 

 

そんな相手のちょっとした行動に対しても、すごいなぁと感じます。

 

 

以前は他人のやることなどどうでもいいと感じていたのに、いつの間にか誰かの旅の写真を見せてもらうことや、人の話を聞かせてもらうことが大好きになっていました。

 

 

それは私にとって本当に嬉しい変化でした。

 

 

分かりやすい変化のひとつに、ハエや蚊など普段なら嫌がるような存在に対しても、慈悲の心が芽生えてしまったことがあります。

一寸の虫にも五分の魂を地で行くような感じでしたので、はたいて殺すことが哀れでどうしてもできません(このあと長いことその状態でした笑)。

 

 

こうして私の心は本来の機能を取り戻し、周囲と心地よい関係を作れるようになってきたのでした。

 

 

 

 

【いるだけでお役立ち!現地の人たちとの交流エピソード】

 

同じ場所に長く居て、しかもオープンマインドでいると、自然と現地の知り合いや友人ができます。

 

 

あるとき、ネパール人の友人に、好きな子(現地に来ていた日本人女性)にプロポーズしたいので相談に乗ってほしいと頼まれました。

 

 

その日本人女性は私の知り合いでもあったので、彼女の好きなお菓子を教えてあげたのですが、なんと彼はそのお菓子を山盛り買い込んでプレゼント!有り金全部使った様子でした。

 

 

しかし、段ボール数箱分の同じ味です。

 

 

あまりの多さにどうやって食べるねん誰にあげるねん時間も手間もかかるのにと、彼女に激怒され続けたそうなのですが、とても純粋な青年だったこともあって粘り勝ちし、無事に結婚することになりました。

(結果的に上手くいってくれてよかったです笑)

 

 

またあるときは他のホテルのオーナーから、「自分の娘と一緒に昼食をとってほしい」という、ちょっと変わったお願いをされたこともありました。

 

 

聞くと10歳になる娘さんの食が細いことが気になるとのこと。

 

 

私がいつもおいしそうに食べるので、その様子を見れば、娘も少しは食べるようになると言います。

 

 

それならと、私はしばらくの間、その娘さんと一緒にご飯を食べるようになりました。

 

 

「おいしいね~」と身振り手振りで相手を笑わせながら、食事を楽しみます。

 

 

然して、お母さんの目論見通り、彼女の食欲は増していきました。

 

 

あとで他の人から聞いたところによると、食べる量が多くしかも早食いの私の隣にいれば、つられて食べるに違いないという目論見があったようです。

 

 

彼女の上手な褒め言葉に、してやられたような気持ちになりましたが、私も楽しめたのでよかったです(笑)。

 

 

 

【経験に勝るものはなし!異国ならではのエピソード】

 

ネパールでの暮らしは、日本との違いを痛感させるものが多々ありました。

 

 

特に水の違いが身体に与える影響は大きかったです。

 

掌の皮がずるずる剥けて脱皮のように再生したときには水の力を感じました。


また、チベタン料理屋で出された鍋の付け合わせのサラダを食べて下痢と高熱が続き、3日間寝込んだりしました。生野菜を食べる習慣のない料理屋では要注意です。
旅人ノートにサラダはヤバいからやめておけと書かれていたのにも関わらずやってしまいました。

 

 

ですが、めげずになんでも経験だととらえて、いろんなことを楽しんでいました。

 

 

新しい店を開拓してやろうと、肉体労働者行きつけの1食30円の定食屋にも行ってみました。

 

 

日本で食べるネパール料理はスパイスを豊富に使っているという印象がありますが、実際のところ現地の労働者が食べる料理のスパイスは少なめです。

 

 

塩味の黄色い料理(しょっぱい色だけカレー)を食べたことも、それをホテルのオーナーに「そんな安全でないものを!」と心配されて怒られたことも、今となっては貴重な思い出となっています。

 

 

また、ネパールの生活が慣れてきたころに、現地の人たちの真似をして手を使ってご飯を食べるようになりました。

 

 

ところが、そのときはおいしいと感じるものの、あとで必ずおなかを壊します。

 

 

食事前の石鹸での手洗いも毎回しっかりしているというのに、不思議でした。

 

 

あるとき、スプーンを勧められて使ったところ、なんとお腹が痛くならない!!

 

 

これは自分の手がどんだけ汚いねん!と、悔しい思いをしつつも、その後はおとなしくスプーンを使うようになりました(笑)。

 

 

こうしていろんな体験をしながら、ネパールでの日々が過ぎてゆきました。

 

 

 

 

【心の再生完了!人生を大きく変えたネパール旅行の終わり】

 

そもそも私は、この旅の最初の目的地はネパールと決めていましたが、その後はアジア諸国を放浪しようと考えていました。

 

 

ところが心が回復するにつれ、他者と交流することに魅力を感じるようになったこともあり、カトマンズから動くことはありませんでした。

 

 

心は満たされていましたが、当然現地での収入もなく、所持金は減っていくばかりです。

 

 

「手元にある日本への復路の航空券を売ったら、あと3か月はネパールで暮らせるだろうな」

 

そんな考えがふわっと頭に浮かびます。もちろんその後はお金もなくなってホームレスです。ですが、それを真剣に悩むぐらい相当ゆるく何も考えずに生きることができていました。そんな不思議なおぼろげな世界だったのです。

 

 

もちろん一方でこの先日本に帰国した後の不安もありました。あの真面目な厳しい世界でこの経験を元にやっていけるのだろうか、また嫌いになってしまわないだろうか、そんな不安です。

 

 

現地に長く居た結果、野垂れ死にした人の話を思い出しては、別の不安も募ります。当時のインドネパール社会では、毎年1人か2人、邦人が行方不明になったり亡くなったりしていました。
 

 

野垂れ死ぬというのは、お金がなくなって宿を追い出され、ホームレスになってからの末路ということです。

そういう人達が大使館にも助けを求めなかったのには、アジア独特の、はかなくおぼろげな、優しくすさんだ世界の、深みに沈み込んでしまったせいかも知れないと、今も思います。

すべてが許されるような、一度深く取りこまれると、一気に引き返せない所までワープしちゃうような何かが異国の地には存在すると思います。

 

 

結局私には、そういった先の見えない怖さを乗り越えてまでネパールに残る勇気がありませんでした。

 

そしてそれが分かった時点で、すでにこの旅の目的は完了していたように思います。

なぜなら、人はただ生きていて良いのだという答えを、魂に近い所で感じることができたからです。その体験には、今でもゆるぎのない大きな価値があると考えています。

 

 

そして、自分の心を休ませること、回復させること、そうすることで他の人と心地よく交流できるようになること。

 

 

心の変化は、ネパールに長く滞在したからこそ起こったことです。

 

 

結局100日を過ぎたところで、日本に帰国することを決め、私の人生初の海外への旅が終了したのでした。

 

 

 

 

 

ということで、明日の記事に続きます!

 

 

明日は、その後も続いたアジアの放浪の旅から現在の私に至るまでについてのお話をさせていただきます。

 

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございました。