淡い覆輪が可愛いラナンキュラス
さて。
過去の母のことを思い出しながら書いています。
ブログにした出来事もあるのてすが、『母のケア』というテーマでまとめたいと思って。
https://ameblo.jp/manisputih/entry-12784233512.html
https://ameblo.jp/manisputih/entry-12784264329.html
https://ameblo.jp/manisputih/entry-12785729692.html
続きです。
4年前の2019年8月、リハビリ病院から退院してきた母。
骨折前に通っていたリハビリデイを再開し、自宅での生活リズムも定着しつつありました。
数年前から短期記憶の低下は出てきていて、薬の飲み忘れも目立ってきました。
お見舞いにきてくれたかたに快気祝いをするのに、全く覚えていない(弟が記録していた)
そもそも怪我をしたことも、手術をしたことも忘れているので、
してはいけない体位や動作も、さんざん言われて退院したのに覚えていない。
骨折して人工関節が入っている、と言うと驚愕するという…こっちが驚愕
食事も相変わらず適当に食べているのか、せっかく入院でキープしていた体重も、
どんどん落ちていき、34〜5kgになってしまいました。
あんなにピカピカにした家の中も、じわじわと元の雑然とした状態に戻りつつある。
2020年5月、脱水で倒れたことがきっかけで、頭痛薬の過剰摂取が判明しました。
一度飲み始めると、どんどんぼんやりしてきて飲んだ記憶がなくなるため、
追加して飲んでしまう悪循環。
その時のこと、ブログに書いていました。
それで、私と夫とが、母の家に引っ越すことになったのです。
それがなくても、そろそろ一人暮らしはむずかしいかな、と思っていて、
夫はだいぶ前から心配してくれていたし、弟夫婦もそうしてくれたら安心ということで、
2020年10月、実家に引っ越ししました。
これからはそばで見ていられる、食事もバランスよく規則的に摂取させられ、
服薬管理もできるし、家を清潔に保つことができる、
何より、離れて心配する必要がなくなることが
私も精神的に安定すると思いました。
でも、そんな安心感に満ちた優しい生活ではなかった。
母のプライドと鎮痛薬を賭けた激しい攻防が始まりました
続きます。