皆さーん
あっためてますかー
なんて…
昨年後半に
「今年の冬こそ、寒さと冷えに怯える毎日を脱出したい!
ナニすればいいのかわからんけどとにかく!」
と強く思った日に出会った「冷えとり健康法」ですが、
そんなことをブログにちらりと書いた所
なんだか知らんけど私の周りで結構な反響でございます。
冬だしね!
寒いのしんどいよね!
という単純な話もありますが、
私以上の迅速さと熱意でもって取り組んだ方も中にはおられまして、
その方の体の変化の話などを聞いておりますと、
やはりこれは単純にしてかなりいろいろなことを包括した
スバラシイ手法だな、と感じる訳でごザンす。
また一方で、
元の本に書かれているように、
現代の生活は何かと冷えやすいんであるな、
という事を感じた訳でごザンす。
何故といって、その熱心に取り組まれた方は、
普段から大変体とむかいあって取り組んでいる方な訳で、
そんな方が冷えを溜め込んでいるのであれば、
ヴァイオリン弾くことが日々の労働の中心であるようななまくらな体の動かし方をしている私なんぞ、
時には甘いものや生肉をむさぼり喰らうような生活をしている私なんぞ、
時にはというか結構しばしば徹夜したりなんだりするような私なんぞ、
冷えて当然な訳でごザンす。
以上にリンクをはった本など読むと、
あたためる事、そして排毒を促すシルクと綿の重ね履き、重ね着をすることで、
アレも治ったこれも治った、
はては心のあれこれまでもいろいろかわった、と
まるで魔法のような話が書いてあるので、
そういうのがちょっと苦手なんだよな、というヒトは
いやー、大丈夫っス!(本日閉店~がらがらがらがら←シャッターを閉める音)
みたいな事もあろうかと思います。
私もずいぶん前に、なにかで冷えとりの事を書いた記事を読んだ事があって、
そのときけっこうそんな感じだった、ということを、「冷えとり健康法」を買って読んだ時思い出したんですけどね。
今回はもっともっと切実に、私の体、
特に下半身を!
変えたい、というか、変えないともはやヤバい、という感じになっておったので、
心がどうとかはさておき、この下半身をどうにかできるんであれば、
とにかくやってみればいいじゃないか、と思った訳ね。
下半身をどうにかしたいって!(笑)
どうなってたの!?
…どうなってたかといいますと
まず、足。膝より下が、冷えて別の物体みたいなかんじ。
堅くてパンパン。
押すと戻るのが遅い(テンピュールかっつーの、と突っ込みたくなる程)上に、どこもここもづーんと鈍く痛い。
これがまぁかれこれここ数年、酷くなってきている気がしたんだよね。
おまけに、たまに柔軟すると、あちこちがかつては感じなかった程にごりごりぎしぎし、
痛いわ突っ張るわ、そしてそのつっぱりは、過労のときに必ず出る腰痛まで繋がっている、ということがわかってきたりもした。
冷えとりというノウハウにのっとって、半身浴を生活に組み込んで、その後少しして靴下も重ねて履くようにした結果、どうなったかといいますと。
非常にフレッシュな果物のような(言い過ぎか)ふくらはぎに回復しつつあります。
仕事が続いて半身浴が減ると、また淀んで腐りかけた(笑)果物に戻りますが、
これほどまでに単純に変化があるのかというほど半身浴は素晴らしいです。
あと、基本的に元気で快適です。前の3割増くらいにはなってます。
冷えとりを始めてしばらくしてから、一時期もうねむくてねむくて、だるくてだるくて、
これは俗にいうメンゲン反応ってやつか、
というくらい病的なときがありましたが、
それが抜けるとやけにさっぱり元気です。
そして、やってみた皆さんが口を揃えて言うのが、
…気持ちいい…
ということなんですな。
そう、あっためることの快楽。
靴下を重ねてはいて、スパッツを重ねてはいて、
ゆたんぽしてやると、
なんだこのふんわりした気持ちよさは、という
ぬいぐるみをぎゅっとだきしめるような快感が、下半身に継続していく訳です。
ああ~幸せ。
…これね。このアホみたいに単純なこと。
これで単純にけっこう、心も温まるという事なんですよ。
冷えとりで一番痛感するのが、これ、
体と心、やはり体は最初にして最終にして最大の、壁といいますか、
要塞なんですな。
体が変わると、心も変わる。
体の冷えがとられていくと、心もあたたまっていく。
なんと単純にして明快なこの原理!
私は体をみくびっていたわー、と思い知らされました。
もう一点、このアホみたいに単純な事に含まれる、
単純だけどものすごく明快な事実は、
「下半身を徹底してあたためる」
この威力だとおもうわけでごザンす。
空気でも液体でも冷たいほうが、下にたまるんだよね。てことは、冷たいものの方が重たい訳。
ということは…
体の冷えたあれこれ→体の下の方に沈む→だんだん下の方が固まって淀んでいく
これ、単純な原理ね。
→そうは言っても生き物だからなんとか血液やら体液が循環させようとするけど、それでも重たくて淀んで固まってきたものを重力に逆らって押し上げるのは、それはなかなか難しい作業で負担がかかるんだよー、と
私の下半身は訴えていたのかもしれぬ。
冷えとりは、この下半身を集中してあたためる。
そうするとどうなるかというと、
これまた単純な話で、
温まる→軽くなっていく→暖まった部分よりも冷たいところが体の中にあれば、それが下に沈んでくる→またあたためられて入れ替わる→要するに体の中で対流が起きる
と、一気に体の中でぐるぐるぐるぐる循環が加速される訳ですな。
体にいいに決まってるじゃん!
と、いうことなのでした。
もちろん、ほどよいスピードの循環を適度に促すために、低めの温度でみぞおちから下をじわじわあたためる、というのがいいんであって、これは肩や首まで短時間浸かる入浴と根本的に違うことなんだろうな、という感じがする。
あたためる、ほぐれる、ゆるめる、というのは、
単純にしておくふかーい手法なのですなぁ…
と、いうところで、
体がゆるゆるした結果、
このところずーっと精神面で「原点回帰」の道を歩き続けている気がしていた、
その道程が、ぐぁっと!
急激に!
加速しちまった観もあり、
体は心の器であるとは、当たり前の話なんですが、あらためて、
体の変化ということの威力を目の当たりに感じる日々。
これまで冷えて固まって、たまっていたものが、
融けて動き出す。
体の中に閉じ込められていたものが、ゆるゆるっと動いて、
やがて気体になって、しゅわ~と抜けていく。
どうもそんな事が、起きています。
それは、体の凝りでもあり、
その体の凝りという形でためられていた古い記憶でもあるのだな、
と、
しゅうわ~~~~
と抜けて立ち現れてくるものを見ているとしみじーみ感じます。
古い古い冷えた記憶や感情。
それにまつわる様々なものやヒトも、いっしょにしゅわ~~~っと立ち現れては去っていくようです。
それらは抱え込んだ当時、痛みや苦しみを伴っていたことも多いのですが、
なんだかね、もう、こうなると結局は感謝ですね。
(してみると、心の痛みや傷も、ずいぶんと冷えとして体に溜め込まれてきたんであるな、ということですねー。体は私が知らぬうちにいろいろ抱え込んでくれていた訳ですねー。)
そして、その痛みや苦しみも、そうやって体や心が抱え込んでくれていて、今ようやく見ることになったおかげで、
当時は痛みや苦しみで顔を背けるか放り出すかしかできなかった物事が、
あー、そうね、そうだね、と思ったり、受け止めたりできる!ということもある、
そうすると、その記憶の原因そのものに(まぁ渋々ながらなところもたまにはありますが・笑)
やー、御世話になりました。
と、ぎゅっと!ぎゅっと抱きしめて、
ありがとうよ~!と手を振って送り出す、
ということができるんでごザンすな。
今だから!今まで引きずってきたから!という事も多数。
私の体も沢山の記憶でできてきたんだねぇ、
と思う毎日であります。
と!
言う事で!
原点回帰も、
冷えをとって、凝り固まったものを、
その記憶と一緒に手放す!
ということで、いよいよ大詰め、佳境に入ってまいりました。
それと関係あるのかないのかわかりませんが、
なんだか初めて会った気がしない、初めて会うヒト、
あるいは、そんなにしょっちゅう一緒にいる訳でもないのに、なんだか常に懐かしさを感じるヒト、
との共演が、
2月の頭にびしばしびしばし続きます。
2月3日は節分、つまり節目ですな。
2月9日は旧暦の晦日、そして10日は元旦。
このあたり、ライブも集中していますが、
一挙に、ひょっとすると太古の昔からの記憶大同窓会みたいな感じになってます。
時代の節目もまさに重なりまくっている今日この頃、
この変わり目を大いに音で祀っていきたいと思います。
あっためてますかー
なんて…
昨年後半に
「今年の冬こそ、寒さと冷えに怯える毎日を脱出したい!
ナニすればいいのかわからんけどとにかく!」
と強く思った日に出会った「冷えとり健康法」ですが、
そんなことをブログにちらりと書いた所
なんだか知らんけど私の周りで結構な反響でございます。
冬だしね!
寒いのしんどいよね!
という単純な話もありますが、
私以上の迅速さと熱意でもって取り組んだ方も中にはおられまして、
その方の体の変化の話などを聞いておりますと、
やはりこれは単純にしてかなりいろいろなことを包括した
スバラシイ手法だな、と感じる訳でごザンす。
また一方で、
元の本に書かれているように、
現代の生活は何かと冷えやすいんであるな、
という事を感じた訳でごザンす。
何故といって、その熱心に取り組まれた方は、
普段から大変体とむかいあって取り組んでいる方な訳で、
そんな方が冷えを溜め込んでいるのであれば、
ヴァイオリン弾くことが日々の労働の中心であるようななまくらな体の動かし方をしている私なんぞ、
時には甘いものや生肉をむさぼり喰らうような生活をしている私なんぞ、
時にはというか結構しばしば徹夜したりなんだりするような私なんぞ、
冷えて当然な訳でごザンす。
以上にリンクをはった本など読むと、
あたためる事、そして排毒を促すシルクと綿の重ね履き、重ね着をすることで、
アレも治ったこれも治った、
はては心のあれこれまでもいろいろかわった、と
まるで魔法のような話が書いてあるので、
そういうのがちょっと苦手なんだよな、というヒトは
いやー、大丈夫っス!(本日閉店~がらがらがらがら←シャッターを閉める音)
みたいな事もあろうかと思います。
私もずいぶん前に、なにかで冷えとりの事を書いた記事を読んだ事があって、
そのときけっこうそんな感じだった、ということを、「冷えとり健康法」を買って読んだ時思い出したんですけどね。
今回はもっともっと切実に、私の体、
特に下半身を!
変えたい、というか、変えないともはやヤバい、という感じになっておったので、
心がどうとかはさておき、この下半身をどうにかできるんであれば、
とにかくやってみればいいじゃないか、と思った訳ね。
下半身をどうにかしたいって!(笑)
どうなってたの!?
…どうなってたかといいますと
まず、足。膝より下が、冷えて別の物体みたいなかんじ。
堅くてパンパン。
押すと戻るのが遅い(テンピュールかっつーの、と突っ込みたくなる程)上に、どこもここもづーんと鈍く痛い。
これがまぁかれこれここ数年、酷くなってきている気がしたんだよね。
おまけに、たまに柔軟すると、あちこちがかつては感じなかった程にごりごりぎしぎし、
痛いわ突っ張るわ、そしてそのつっぱりは、過労のときに必ず出る腰痛まで繋がっている、ということがわかってきたりもした。
冷えとりというノウハウにのっとって、半身浴を生活に組み込んで、その後少しして靴下も重ねて履くようにした結果、どうなったかといいますと。
非常にフレッシュな果物のような(言い過ぎか)ふくらはぎに回復しつつあります。
仕事が続いて半身浴が減ると、また淀んで腐りかけた(笑)果物に戻りますが、
これほどまでに単純に変化があるのかというほど半身浴は素晴らしいです。
あと、基本的に元気で快適です。前の3割増くらいにはなってます。
冷えとりを始めてしばらくしてから、一時期もうねむくてねむくて、だるくてだるくて、
これは俗にいうメンゲン反応ってやつか、
というくらい病的なときがありましたが、
それが抜けるとやけにさっぱり元気です。
そして、やってみた皆さんが口を揃えて言うのが、
…気持ちいい…

ということなんですな。
そう、あっためることの快楽。
靴下を重ねてはいて、スパッツを重ねてはいて、
ゆたんぽしてやると、
なんだこのふんわりした気持ちよさは、という
ぬいぐるみをぎゅっとだきしめるような快感が、下半身に継続していく訳です。
ああ~幸せ。
…これね。このアホみたいに単純なこと。
これで単純にけっこう、心も温まるという事なんですよ。
冷えとりで一番痛感するのが、これ、
体と心、やはり体は最初にして最終にして最大の、壁といいますか、
要塞なんですな。
体が変わると、心も変わる。
体の冷えがとられていくと、心もあたたまっていく。
なんと単純にして明快なこの原理!
私は体をみくびっていたわー、と思い知らされました。
もう一点、このアホみたいに単純な事に含まれる、
単純だけどものすごく明快な事実は、
「下半身を徹底してあたためる」
この威力だとおもうわけでごザンす。
空気でも液体でも冷たいほうが、下にたまるんだよね。てことは、冷たいものの方が重たい訳。
ということは…
体の冷えたあれこれ→体の下の方に沈む→だんだん下の方が固まって淀んでいく
これ、単純な原理ね。
→そうは言っても生き物だからなんとか血液やら体液が循環させようとするけど、それでも重たくて淀んで固まってきたものを重力に逆らって押し上げるのは、それはなかなか難しい作業で負担がかかるんだよー、と
私の下半身は訴えていたのかもしれぬ。
冷えとりは、この下半身を集中してあたためる。
そうするとどうなるかというと、
これまた単純な話で、
温まる→軽くなっていく→暖まった部分よりも冷たいところが体の中にあれば、それが下に沈んでくる→またあたためられて入れ替わる→要するに体の中で対流が起きる
と、一気に体の中でぐるぐるぐるぐる循環が加速される訳ですな。
体にいいに決まってるじゃん!
と、いうことなのでした。
もちろん、ほどよいスピードの循環を適度に促すために、低めの温度でみぞおちから下をじわじわあたためる、というのがいいんであって、これは肩や首まで短時間浸かる入浴と根本的に違うことなんだろうな、という感じがする。
あたためる、ほぐれる、ゆるめる、というのは、
単純にしておくふかーい手法なのですなぁ…
と、いうところで、
体がゆるゆるした結果、
このところずーっと精神面で「原点回帰」の道を歩き続けている気がしていた、
その道程が、ぐぁっと!
急激に!
加速しちまった観もあり、
体は心の器であるとは、当たり前の話なんですが、あらためて、
体の変化ということの威力を目の当たりに感じる日々。
これまで冷えて固まって、たまっていたものが、
融けて動き出す。
体の中に閉じ込められていたものが、ゆるゆるっと動いて、
やがて気体になって、しゅわ~と抜けていく。
どうもそんな事が、起きています。
それは、体の凝りでもあり、
その体の凝りという形でためられていた古い記憶でもあるのだな、
と、
しゅうわ~~~~
と抜けて立ち現れてくるものを見ているとしみじーみ感じます。
古い古い冷えた記憶や感情。
それにまつわる様々なものやヒトも、いっしょにしゅわ~~~っと立ち現れては去っていくようです。
それらは抱え込んだ当時、痛みや苦しみを伴っていたことも多いのですが、
なんだかね、もう、こうなると結局は感謝ですね。
(してみると、心の痛みや傷も、ずいぶんと冷えとして体に溜め込まれてきたんであるな、ということですねー。体は私が知らぬうちにいろいろ抱え込んでくれていた訳ですねー。)
そして、その痛みや苦しみも、そうやって体や心が抱え込んでくれていて、今ようやく見ることになったおかげで、
当時は痛みや苦しみで顔を背けるか放り出すかしかできなかった物事が、
あー、そうね、そうだね、と思ったり、受け止めたりできる!ということもある、
そうすると、その記憶の原因そのものに(まぁ渋々ながらなところもたまにはありますが・笑)
やー、御世話になりました。
と、ぎゅっと!ぎゅっと抱きしめて、
ありがとうよ~!と手を振って送り出す、
ということができるんでごザンすな。
今だから!今まで引きずってきたから!という事も多数。
私の体も沢山の記憶でできてきたんだねぇ、
と思う毎日であります。
と!
言う事で!
原点回帰も、
冷えをとって、凝り固まったものを、
その記憶と一緒に手放す!
ということで、いよいよ大詰め、佳境に入ってまいりました。
それと関係あるのかないのかわかりませんが、
なんだか初めて会った気がしない、初めて会うヒト、
あるいは、そんなにしょっちゅう一緒にいる訳でもないのに、なんだか常に懐かしさを感じるヒト、
との共演が、
2月の頭にびしばしびしばし続きます。
2月3日は節分、つまり節目ですな。
2月9日は旧暦の晦日、そして10日は元旦。
このあたり、ライブも集中していますが、
一挙に、ひょっとすると太古の昔からの記憶大同窓会みたいな感じになってます。
時代の節目もまさに重なりまくっている今日この頃、
この変わり目を大いに音で祀っていきたいと思います。