明けてもう昨日ですが、こちらの展示を見てきました。
そして、かつての職場、「武蔵野市学齢期の障害を持つ子供の親の会」事業が、その後NPO法人となり、学齢期の枠も取り払われて、音楽療法、造詣教室、書道教室と充実した余暇の活動場所として発展していたということを、今日見に行って知りました。
その充実ぶり、作品からむんむんと伝わってきました。
中には、私が当時いた時から知っている名前もちらほらあって、皆創作活動続けていたんだなー、と。彼らの書道の練習も綴じて閲覧できたのですが、そのなかの「お元気ですか」という文字に、胸を突かれて落涙したり。
当時、事務局としてお母さんがたと一緒に不動産をめぐり、コネやツテをたよりながらようやくみつけた拠点についた愛称は、「ペピータ」。スペイン語だかポルトガル語だかの「種(たね)」という意味で、もちろんすくすく育つ、というようなイメージもあるし、余暇活動はころんとタネでいていい時間、その時間があるからそのあと大きな樹になれる、というようなことで指導員Yさんが提案したんだったとおもう。
それ、いいね、なんて浸っている暇もなく、さー、拠点決まった、手続き、開所式、告知、なんだかんだ、わーわー…そのなかで、「ロゴも考えて」「誰が」「あなた以外だれが」「わーもうわかりましたやってみます」「次の会報にのせて」「それって今まさに作ってるヤツ…」「やっぱりなるべくかわいいのがいい」「わーーーーー!!!」みたいにしてどうやって考えたんだかもわからないような中でうまれたロゴマークのペピータちゃんも、現NPOのマスコットキャラとして残っていました。
今回NPOにするときに、また、名前どうするかという話になって、だれともなく「ペピータがいい」といいだしたとかいう出来すぎたような話を今の事務局の人から聞いて、また落涙。
その名前を提案したYさんは数年前鬼籍の人となり、私もそこを離れて10年近く、まさかその名前が生き残って、場所がこんなにもすくすく育っていたとは。
さすが「タネ」だけのことはある。
一方の私は、大学を出た後の20代のほぼすべてをこの組織にそそぎ、その間にひょんなことで演奏活動がはじまり、ながらく掛け持ちをし、演奏が増えると同時に組織のことがますます大変になり、お母さんがたも事業運営の負担を抱え込んでたくさん苦しみ、そんな中でもうこれがどうにかなるんならこの組織に身を捧げてもいい、とハラを決めていたのですが、「けっこーです!」といわんばかりに弾き出されたおかげで、あっけなくお役御免となり、やがて演奏一本の日々へ…
すっきりと生き残ったペピータの姿をみて、よかったねぇ、と、思いつつ、私もなんとなくもやっとしていた過去の霧がはれました。大変だった時期に組織を離れたので、そのままずーっと大変なことが私の記憶の中で続いていたのですが、今元気に育っている樹を見たら、その瑞々しさがその記憶を書き替えてくれました。
吉祥寺の第一ホテル近くを通られる方、ホテル裏手のギャラリーをふらりとのぞいてみてください。皆が「種」の時間に書いた字や色が、あふれています。
http://www.galleryk.info/exhibition/2015/20150226.html
そして、かつての職場、「武蔵野市学齢期の障害を持つ子供の親の会」事業が、その後NPO法人となり、学齢期の枠も取り払われて、音楽療法、造詣教室、書道教室と充実した余暇の活動場所として発展していたということを、今日見に行って知りました。
その充実ぶり、作品からむんむんと伝わってきました。
中には、私が当時いた時から知っている名前もちらほらあって、皆創作活動続けていたんだなー、と。彼らの書道の練習も綴じて閲覧できたのですが、そのなかの「お元気ですか」という文字に、胸を突かれて落涙したり。
当時、事務局としてお母さんがたと一緒に不動産をめぐり、コネやツテをたよりながらようやくみつけた拠点についた愛称は、「ペピータ」。スペイン語だかポルトガル語だかの「種(たね)」という意味で、もちろんすくすく育つ、というようなイメージもあるし、余暇活動はころんとタネでいていい時間、その時間があるからそのあと大きな樹になれる、というようなことで指導員Yさんが提案したんだったとおもう。
それ、いいね、なんて浸っている暇もなく、さー、拠点決まった、手続き、開所式、告知、なんだかんだ、わーわー…そのなかで、「ロゴも考えて」「誰が」「あなた以外だれが」「わーもうわかりましたやってみます」「次の会報にのせて」「それって今まさに作ってるヤツ…」「やっぱりなるべくかわいいのがいい」「わーーーーー!!!」みたいにしてどうやって考えたんだかもわからないような中でうまれたロゴマークのペピータちゃんも、現NPOのマスコットキャラとして残っていました。
今回NPOにするときに、また、名前どうするかという話になって、だれともなく「ペピータがいい」といいだしたとかいう出来すぎたような話を今の事務局の人から聞いて、また落涙。
その名前を提案したYさんは数年前鬼籍の人となり、私もそこを離れて10年近く、まさかその名前が生き残って、場所がこんなにもすくすく育っていたとは。
さすが「タネ」だけのことはある。
一方の私は、大学を出た後の20代のほぼすべてをこの組織にそそぎ、その間にひょんなことで演奏活動がはじまり、ながらく掛け持ちをし、演奏が増えると同時に組織のことがますます大変になり、お母さんがたも事業運営の負担を抱え込んでたくさん苦しみ、そんな中でもうこれがどうにかなるんならこの組織に身を捧げてもいい、とハラを決めていたのですが、「けっこーです!」といわんばかりに弾き出されたおかげで、あっけなくお役御免となり、やがて演奏一本の日々へ…
すっきりと生き残ったペピータの姿をみて、よかったねぇ、と、思いつつ、私もなんとなくもやっとしていた過去の霧がはれました。大変だった時期に組織を離れたので、そのままずーっと大変なことが私の記憶の中で続いていたのですが、今元気に育っている樹を見たら、その瑞々しさがその記憶を書き替えてくれました。
吉祥寺の第一ホテル近くを通られる方、ホテル裏手のギャラリーをふらりとのぞいてみてください。皆が「種」の時間に書いた字や色が、あふれています。
http://www.galleryk.info/exhibition/2015/20150226.html