VOL419:



● チャイニーズな一日


今日は中国の旧正月の真っ只中ということもあって、中国の仕事関係
の動きがぱったりと止まった。
彼らが休むと影響をもろ受けて抱えている仕事が進まなくなってしまった。


そういうときはあせってもしかたないので、気分を変え今日はHapchan
という中華料理店でランチをとることにして、CAFEで内勤の日とする。


昨夜はEASTWOODのSTBKSにいたのだが、夕刻になると旧正月の
爆竹なのか、かなり大きな花火を鳴らして新年を祝っていた。
まるで戦場カメラマンになったような気がした。


中国人達は商売のことなら24時間体制で連絡をとってくる程年中忙しく
動き回っているが、新年の休みだけは従業員が田舎にきっちり帰るらしく
なにも動かなくなる。


昨夜はそんなわけで最近行っているEAST WOODのラーメン屋に行ってから、
その近くにあるGYMに初めて行った。


そのGYMのある建物の敷地はずいぶんと狭く、マシンと壁が近く、
圧迫感があった。


壁掛けのTVは普通いろんなチャンネルの放送が流れているもんだが、
それがなく全てのモニターに同じ映画が流れていて、
ランニングマシーンをやっているときは非常に退屈だった。


走るときは目の前に十分な空間があったり、ガラス張りで外が見えるのが
気持ちがいい。


あそこにはもう多分行かない。


今週はWORKOUTの時間が取れなかったので時間をゆっくりと
45分ほど走って、あとは腹筋と腕を引っ張る系のエクササイズをみっちりやった。


まあまあの筋肉のはり具合になった。


さて先ほどHapchanでランチをとってからは、買うものがあったので、偽の
DAISOへ行って、日本っぽいパッケージの88ペソのお菓子を買う。


中国で作られて日本っぽいパッケージのEDOブランドっていうんだけど、
味は日本で買うものとそう変わらなくてとってもおいしかった。


こういう感じで華僑が日本の機械と製法を使って、日本製みたいな
お菓子を日本だけでなくアジア全土に売っていくんだろう。


段々中国製は品質が悪いという評判も過去の日本製がそうだったように
払拭されて、普通に中国製のものを選ぶ日が後5年もしたらくるのだろう。


僕はとりたてて中国人についてプラスもマイナスの感情も持っていない。

個人としては中国人と個人的なつきあいの経験が増えてくればそれは
好いところ悪いところという感情が出てくるのだろうけど、そこまで長い
時間を一緒に過ごしていないということもあるし、ビジネス的なつきあいで
は約束したことを有る程度守ってもらえる以上はフィリピン人のいい加減
な人よりよっぽどましだ。


そんなわけでウサギ年の今年も中国人とのつきあいがより一層増えて
いく予感を秘めながらKung Hei fat choi!



送信者 シャーベット




● STBKSでちょっと思ったこと、


仕事のことでもなんでもそうだけど、僕は自分にとって決断が必要なことに
ついて人に意見を聞かない。

聞いてもその人の意見はその人が自分よりそのことについて知っている
とは限らないし、たいていの場合は自分でしかわからないような種類のこと
が多い。


人の意見を聞くというのは自分がその決断の根拠となるべき状況なり、事柄を
よく理解していない場合にのみ有効であって、自分で迷っても結局は
自分の人生を背負うのは自分以外にいないので、責任を伴う判断という
のは自分にしかできないのでしようがない。


大体そこまで親しく相談出来る関係の友達などそう滅多にいない。


僕は頑固なので、自分の思ったようにやってくのが好きだし、
自分の決断のうまくいかないと後悔したことはあっても、全て自分のけつは
自分で拭くから人には滅多に後悔みたいなのは言わない。


世の中に生きている目的はなんだかんだ言って自己を実現すること
だと思っているから、その過程で間違った決断をしてしまっても、
それはその道の過程であると考える。


そういう失敗は人生に適当な味わいを与えてくれるはずだし、クリープを
入れないコーヒー、塩っからくないラーメンにはなりたくない。


と、ここまで書きながら、今金曜の午後遅くの本屋の中で人を見ながら
コーヒーをすすっているが、金曜日というのにいかにゆったりとしている
方達がたくさんいることか、一瞬ここは豊かな先進国か、と思ってしまう。


僕にはハッキリとここにいる人達と低賃金で働いてSTBKSにいけない
大多数の人の二極化の構図が見える。


若い学生、または50、60代の方、裕福な主婦とその子供、外国人が
このSTBKSにいるんだけれど、どなたも一家の主がWHITE COLORという
かかなりの収入を得ていてその扶養家族になっているわけだ。


大多数のマニラの人間はこの時間にSTBKSでくつろぐみたいなことは
できない。


富はシステムを制するものの元にあつまるというが、それが如実に
表れている。


システムを作ることはシステムの一部となってそれを動かしていくのと
全く違ったスキルがいる。それは一言でいうのは難しいが、人に雇われる
という教育システムから一歩外にでてシステムを作る人たちの世界
に自分を置くという決断からはじめるLIFE LONGな道のりだ。


現状の教育システムは、良質で従順な会社に勤める労働者を作りだす
ことに目的が置かれている。


会社が人を雇う最大の基準はいかに優秀かというよりも、いかに会社に
尽くせる人材かということで自分が経営者をやると結局従業員として
一番大切な素養がなにかということがハッキリする。


日本社会ではその雇われる方と雇う側の壁が曖昧だが、フィリピンでは
それが恐ろしい程ハッキリと目に見える。


じゃあどうすればいいの、といわれればキャピタリズムに挑戦するなどと
考えるよりも、システムを所有する側に行く方が効率的だ。


システムを所有する側は積極的にこちらにいらっしゃいとは言わない。
なぜなら自分の言うことを良く聞いてくれる従順な従業員はかけがえの
無いものだからだ。


そこへ到達するには自分で見極めて、決断をして、行動を起こすしか道は
無い。




送信者 シャーベット




● 洗濯機


僕の家にはドラム式で乾燥もできる洗濯機が部屋に入ったときからついて
いたんだけど、それが年末に壊れた。


メーカはELECTOLUXというヨーロッパのメーカーで、何日もサービスセンター
に電話して、修理を頼んだり、修理人が来て直したと思っても、
部品が全部そろっていなかったり。


結局あげくの果てにはどこが壊れているかわからないからサービスセンターに
持って行ってやります、ということで仕方ないので大家さんが好意で新しい
乾燥とかついていない普通の形の洗濯機を買って入れてくれた。


掃除機を買ってもそうなんだけど、この国では交換部品とかフィルターとか
サービスセンターに行っても売ってない。


つまり部品交換が必要なら新品をまた買いなさい、ということらしい。


それでなんでも電気製品を適当に修理してしまう、修理屋みたいなのが
繁盛している。


僕の家の洗濯機だって5万ペソ位しているはずなのに、なんだかんだ
部品を交換していると2万ペソくらいかかるんではないだろうか。


者を買う消費者の立場が日本程確立されている国はないと思うが、
多分他の国にいってもアジアはフィリピンと似たようなものではないだろうか。


その代わり日本で保証の切れた電化製品をメーカーで直すと、
新しく買った方が安かったりするから似たり寄ったりな訳で、
結局フィリピンとあんまりかわらないんじゃないかという側面もある。


修理を考えて電化製品を設計したり、カスタマーサービスを整え、
スペア部品を備えておくことは企業の負担になり、その新品の価格にのって
きて製品の競争力に影響があるわけだ。


だから、フィリピンのそれはそれで仕方ないのかもしれないと、
あまり考えないようにしてるんだけど、早く洗濯機直ってきて、
頼むよ。






VOL418:



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● はじめに、


先週末観た映画でとても良かったのは ”HERE AND AFTER ”だった。

http://www.imdb.com/title/tt1212419/

Matt Damon がでているのでなにも考えずに観たのだけれど、
最後のクレジットロールをみるまでこれが Clint Eastwood 監督の
作品だとは気がつかなかった。

よく考えてみれば 音楽の使い方やシーンの切り替え方、主人公の
キャラクターからしてEastwood 節がもろに入っていたのだが、
それにも気がつかずによくできたストーリーだとぐいぐいと
のめり込んでしまいただ単に感動してしまった。

内容は明かさないが、Matt Damon はアメリカで一番旬ののっている
アクターの一人といって申し分ない。

孤独でLow profile な男を演じさせたら、彼に勝るアクターはいない。

彼についてウィキペディアで調べていたら興味深い。

彼は現在40歳で子供の頃から演劇を演じてきて、孤独な高校時代を送り、
間違った決断でハーバード中退、Ben Afflec の遠い従兄弟で近所付き合い
をしていた。

本格的に映画にでれるようになったのは1997年のWill hunting で
Screen play をBen と書いてアカデミー賞をとっているから、
書く方の才能もある人なんだ。

彼のようにインテリジェンスを感じさせるアクターってあまりいない。

というわけで今週週末金曜の夜はじっくりと1時間走り、久しぶりに
50kgのベンチプレスをやって、首とか腰とかの筋肉の様子をみた。

ちょっとこわかったのだが、一晩たっても大丈夫なので大丈夫だろう。

土曜は 3Dで”Green hornet” を観てまあまあおもしろいね、という
程度の感想しかもてず。

日曜はFarmer's market のようなところでたこ焼きやチキンを
食べ、午後はスタバでBlogを書いて犬と遊んでからもう一度Work out だ。

GYM終了時間の一時間前に入ったので、たいしたことはできない。

30分ほどスキーのような運動をして、あとは軽く胸を鍛える。

その後はマカティアベニューでおよそ10数年ぶりに割と高級な
Middle Eastern restaurantである Hossein というレストランに入る。

フモス、ヨーグルト、紅茶、タンドリチキン、シャワルマ、
あと名前がでてこないがパイのようなお菓子をたいらげる。

肝心のシャワルマ以外はすべておいしかった。
特にタンドリチキンはふんわりしていてどうやってチキンをあのように
焼けるのかわからなかった。

食べ過ぎたというわけではないがWork out をした後だったんで、
食欲が旺盛で一瞬で食べてしまった。


風が吹いてすずしくて、とっても気持ちのよい気候で絶好の写真びより
だなと思ってカメラを持っていったが、夕方のせいもあってろくな
写真はとれなかった。



● ラーメン屋を探して歩いた夜



ある夜ふとラーメンが食べたくなっていたら、昔東京で大学時代
住んでいたアパートの近くのうまいラーメン屋のことを
ふと思い出した。


いまでもあるのか確かめてみたいと思ったのだ。

そしてできることならもう一度訪ねてみたいと。

しかしもう一昔前のことだし、どうやって探せばいいか?

もしまだあるならネットで調べれば出てくるだろう。
その郊外の市のラーメン屋を探せば出てくるだろう、

そう思いその町の名前とラーメン屋といれてググってみた。

一瞬での近辺にあるラーメン屋数件と食べた感想などを書き込む
ようなサイトが何件か出てきた。


ラーメン屋の所在地と元在った場所を地図で確認してみる。
でもどうやらその辺りにラーメン屋はなさそうだ。

うーんと考えてGOOGLE MAPでその場所を拡大してみた。

一番拡大すると家の形までわかる。

でっ、そのあたりの道をクリックすると、ああそうかGOOGLE VIEWで
道まで見える。
そのVirtual な世界の街角をうろ覚えで、昔住んでいた家のあたりを
クリックしながら歩き回ってみた。

最初はちょっと違うところをみていたが、実際に道を歩くように
Google VIEWの中で記憶のある場所から歩いていく内、段々と道を
思い出し、場所がわかってきた。
家を一軒一軒みていくと、あった、ありました。
そのアパートが見えた。2階に登る階段も見えた。
自分のバイクを置いていた場所も見えた。


そして確かこの角を曲がって、こっちにいくと大きな街道に出て、
裏っかわにはラーメン屋があるはず、でっ、道を一回りしてみた。
しかし大きなマンションとトヨタのショールームがあるだけで、
もうどの建物にそのラーメン屋があったのかも定かでは無くなっていた。

その近所をベッドに寝ころびながらIPADでGOOGLE MAPのバーチャルな
空間を歩き回って眺めていたら、その当時の感覚がよみがえってきた。

地方から東京に出てきた僕は、結局その住んでいた町や人や、大学や
大学のクラスメートにも自分の大学生というポジションにもしっくり
くることなく東京を離れた。

関東の火山灰まじりの土に雨がしみこみ、畑の土の黒さがやけに印象深かった。

何校も試験を受けるために行ったが、冬のどんよりした曇りの日に
駅から学校へ向かう途中の畑の土の色は好きになれなかった。

唯一好きだったのは雲一つない晴れた日、武蔵野から富士山が見えるような
そんな日が好きだった。なぜか富士山や山がみえるのが好きだった。


調布あたりから西に広がる郊外の住宅地の間にある畑の黒い土に
象徴されるその東京での大学生活の印象を表せば、
うまく言えないが、自身の意志が投影されていないたくさんの他の
学生達と大学の授業に出たくもないのに、淡々とそれをこなして
いるだけだった。

大学にはいった当時は大学の友達達と飲み会と称して飲めないのに
いくらでも飲んで渋谷の道ばたでゲエゲエはいてみたり、
麻雀を友達のアパートで授業にもでずに夜通しやったりした。
でも心の中ではただ時間をつぶしているにすぎなかった。

他のクラスメート達も7ー8割学生は田舎から来ていて、
あたりまえのようにゼミに入って、飲み会にいったり、
麻雀に誘われたり、就職に有利なようにゼミに入り、本当に
そこに彼ら自身の意志があるのかどうか僕には判らなかったが、
なんとなくひとりしらけている自分に気がついていた。

しだいに僕はオフロードタイプのバイクに乗り始め、一日でも
時間があると関東近県のツーリングにでかけるようになっていた。

山も行ったけど海も良く行った。神奈川の海に、夜となく朝となく。
横浜の港や相模原をバイクで流して、湘南や鎌倉の海岸で朝をむかえて
そのまま海岸で朝寝をするのが気持ちよかった。

そしてたまに昔の仲間とバンドと称して新宿で落ち合って曲を
作ってぐだぐだと時間をつぶす。

そして大学も卒業することなく、そのまま海外にでてしまい、
なんとなく僕の東京生活は終わった。

そして海外にでてその違和感は消えた。

人生の半分近くを海外で暮らし、仕事を通じてフィリピンの
社会に慣れ親しんでなんとか生きている今、その違和感の正体を少し
言い表すことができるかも知れないと思った。

あらゆることに興味を持ち始めた10代の終わりに、
自分が何であるか、ということを完全にわかったわけではなかった。

しかし大学をそのまま卒業して適当に会社に入るという道は、
自分の望むものではないということが判っていた。

自分自身の道を選び取るという道を選ぶ前に、東京の暮らしでは
独りで興味の向くまま行動することが多くなった。

自分は、その東京の郊外の町に住みながら就職して、仕事を覚え
なんとか一人前になることは端から想像もしなかったし、
そのまま卒業して地元に帰るという選択肢も自分の中ではなかった。

そして大学を途中でやめたときに自分の引いたレールにのることが
やっとできたとは思わないが、海外にでてなにをやれるということで
もなくただそのときは自分はその本来の立つ位置にやっと立てたな
と感じただけだ。

日本人として生まれて、その教育システムや雇用へと続く一連の
システムにどっぷりと浸かっていた状態から、自分と社会の関係性を
ゼロにもどして、さあどうしようかなとリセットした状態だ。

僕の永遠のテーマとして、主体性をもった生き方ということがある。

はじめてでる海外での生活で、僕は本来の自分というのは自分で
つくってもいいのだということをわかった。

僕は日本人が持つなにが大切でなにが大切でないか、
価値観の基準から少し外れている自分が、そうでない学生が大半で
大学時代はとても窮屈だったのだけど、
海外にでてからはユニークな生き方をするということに対して、
肩をおしてもらった感じがする。

日本人の価値観を持たない別の考えをする人たちが、世界には
国の数だけあるということをリアルに実感することは
自分を肯定されるようで居心地がよかった。



その体験は僕にとって、自分だけのユニークな価値観にそった
人生を作っていく第一歩になった。

本来の自分を貫きとおしたままで生きていく術を追求していくのも人生だ
ということを。

圧倒的に同じ価値観をもち、無条件で決められたレールにのり、
大学の決められたスケジュールによって行動していく、地方から来た
学生達となんの疑問もなく行動してその後の人生を決める路線に
のっていくことは、ブレインレスのロボットにでもなったようで、
ちょっとリスクが高すぎるので僕は途中下車させてもらいます、
というのが本音のとこだ。

今もその感じが続いている。

感じていた東京の土の黒さから回想された居心地の悪さは、
既製の服をそのまま着せられ工場のラインに
のせられていくロボットになったようなLIFEを無意識で受け容れていく
ことへの気色の悪さだった。

GOOGLE VIEWでラーメン屋を探して昔に住んでいた下宿を
かいま見て、よみがえってきた複雑の感情をときほぐしていたら、
そういうことだったのかとわかってしまった。



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送信者 シャーベット










VOL417: 新年の抱負とか、



写真が半分に切れて見えるのでこちらで見てください。

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● はじめに、


と何度も書いていて、書くのを途中でやめーた、とBLOGにUP
しそびれていたら1ヶ月くらい間が空いてしまったが新年のスピリット
はまだ有効であると信じて明けましておめでとう。

年末はとても寒い関西、中部地方に滞在していたんだけどIPADを買って
写真をたくさん撮ったことくらいかな。

日本に帰っていつも思うのは、これはこちらでIT飲み会先日行った
時に来た人たちも言っていたことなんだけど、日本に行くと公衆マナー
というのがやたらきちんと守られていて、電車に乗ったり、
ゴミを捨てたり、車に乗っていても、あれ、これこうしないと
怒られるのかな、と考えてしまう微妙な状況にしばしば遭遇する。

一番うっとうしいのが、東京とか都会でエスカレーターに乗ったときに
左側に並んでのりましょう、というやつ。

あれ何年くらい前からそうなったの?昔はエスカレーター乗るときは
ゆっくり歩かずにのっかってたンじゃなかったっけ?

エレベーターのってる時に歩くのって日本人くらいだよな、どう考えても。
そんなに急いでどこ行くんだよ。

大体車に乗るとフィリピンの強引な運転が身についているから、
駐車場から道にでるときとか、ちょっと車がこなくて距離が
あると道に割り込むから、なんかメッっていう感じでにらまれたり、
歩道をちょっとでも渡っている人がいると歩行者が遠くても
止まらないといけないから、そうせずに行こうとしたら歩行者の
おじさんが怒られたり、もう日本で運転する当初は外国人と
変わらない。

京都とか大阪の大きな駅で自動券売機で切符を買ったり、市バスに
乗ろうとしてもどういう仕組みでお金を払うのか、立ち止まって
よーく考えなければわからないし、同行者にあなた外国人だねと
言われたりする。

要は言いたいのは、日本はちゃんとしすぎ、でみんなゴミの分別回収だと
かちゃんと守って、いいんだけどそれは裏返して言えば、人の言うことを
従順に効いて社会秩序を守り、良い社会人になりなさいみたいな
無言の圧力が効き過ぎだなということ。

それは日本の美点でもあるけどやり過ぎは気持ち悪い。
昔はやった新興教育高校の全体教育とか呼ばれるところの、
なにからなにまで決めてそれを守らなきゃダメ、というのと
にているような気がする。

それって自分で考えなくてもいいってことだろう。

政府や人に考えてもらってただルールを守るだけっていうのも
行き過ぎると考え物だ。

結局政府がなんでも社会福祉だ税金だって決めてやりすぎると、
大衆は弱くなるってわかってるのかな?税金も取り放題だし。
ゴミの収集区別もちょっとやりすぎじゃない?

本当にあんなに細かくわけて本当に資源節約に役だっているか
検証してるのかな?

あれ、そういう風に言われてるからみんなやってるだけだろ。

そういう風な社会ってこわい。

人間は考える葦だ。




写真が半分に切れて見えるのでこちらで見てください。

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送信者 シャーベット








まあそれはいいとして今年はどうしていこうかって考えても、
一日一日を精一杯やるということしかないんだけど、
思いつくまま抱負というか目標みたいのを書き出してみた。



今年の目標は

1  姿勢を正しくしよう。 首とか腰とかをこれ以上悪化させない。
2 夜は早く寝る     これも健康をキープするため
3 適度に友達関係をキープする  寂しいと考えすぎるから、
4 無理はしない         体と心のため、
5 本を読む      IPADが手に入ったからもうアマゾンで本買う必要無し?
6 物を捨て、シンプルな生活にする   物がおおいと、落ち着かないから、
7 あきらめることをはやくする     がんばりすぎは体にわるい 
8 コミュニケーションは愛情をつたえること

こんな感じだ。

全体的にみるとと力をセーブしていこうという感じだけど、僕の場合は
なんにでも熱中すると止まらなくなってしまうので、いい加減
大人の分別を身につけなさいということ。

もう若くないんだから。

昨年後半からアンドロイド携帯を買ってから、いろんな設定に凝ったり
アプリを入れたり削ったりで、相当な時間を使ったし、日本でIPADを
買ってからも、それをどのように使いこなすかどうかという体制が
定まるまでは、いろいろいじくり過ぎた。

IPADのいい点はWEBを気軽に座って見たり、YOUTUBEを見たりすることで、
外でメールを見るのは好いが、メールを書いたりエクセルをいじくったり
するにはやはりLaptopが一番だということに落ち着いた。

外でネットにつなぐのはアンドロイド携帯のホットスポットというか、
俗にいうデザリング機能を使えばあとはLaptopだろうが、IPADだろうが
なんでも近くにおいておけばWIFIで勝手に繋がるから問題ない。

ウインドウでは普通にできるMulti taskingもIpadではできることはできるが、
実用に値しないものだということで、これは別物だなと。

そのかわり動画などIPADに最初から入っているアプリを使うとWINDOWSで
普段使うサイトと違うサイトが出てきて素晴らしいです。



送信者 シャーベット




結局仕事にはIPADは使えないです。

でもそれはそれでわかったことがあります。

僕の仕事はぐちゃぐちゃ絡まった網の目を解くように、ぜんぜん関係ない
2つのことをつなげていくようなことで、基本的には人と情報の流れを
つくってあげることにあります。

だから電話とメールとエクセルをいかに効率的につかって
人と繋がっていけるかということに注力すればいい。

あたりまえだけど、IPADとかソフトの善し悪しというのは
所詮テクニックの部分でしかないなあと。

ただIMACとかIPADっていうのは効率を上げる上では使う分野に
よって向き不向きがあるけど、趣味の部分では楽しいな、ってこと。

大体STBKSとかでIPAD使っているやつの画面をのぞき込むと
フィリピンじゃ89%くらいFACEBOOKだし。だれもビジネスには使ってない。

でっ、今年の目標のNo.8 だけどこれが言いたかったこと。

身近な家族でも友達でも仕事上のつきあいでもそうなんだけど、
コミュニケーションとは愛情を相手につたえることっていうのを考えている。

メールでもそうだけどただ必要なことだけを書く連絡文みたいなメールって
あったり、人と会って話をするときにもホントに用件を伝えるみたいな印象を
与えることがあるけれど、やはりそれっていろいろな感情を排してるってこと。

身近な人がいつも言うことがあるんだけれど、 ”LIFE is too short
to be serious SMI-LE” って言われるの、ああいつもそうだなあーって。

そういってくれる人に頭あがりません。


送信者 シャーベット





残念ながら僕は日本人として育って、感情を表現するってことがフィリピン人に
くらべてうまくできないなっと毎日実感したりする。

で日本で買って読んでいる本にコミュニケーションは愛情をつたえることだって
書いてあってそうだなあと思った訳。

仕事上であまり面識のないヨーロッパとかアメリカ人とメールのやりとりを
すると本当にロボットが書いたような感情のないやりとりが続いたり
するんだけど、(中国人とかでもそうだけど)そういうメールをやりとりしていると、
なんかこちらも感情を伝えちゃダメかなあという気になって
ロボットになって書いたりするんだけど
そういうのは嫌だなあと前から思っていた。

せっかく何かの縁で知り合った人だから、メールくらいはその人のことを気に
かけているよというのがわかるようにしようっと思っている。

メールだけじゃなくてもちろん身近な人にも、
もっとそうしなければいけない、努力していうことは言わないと。

感謝しているのだったら感謝してます、とおもったその時に言おう、と。

愛しているなら、愛していますよ、と言った者勝ちです。ハッキリ言って。

LIFE is short, enjoy しましょう。



送信者 シャーベット



だから仕事の必要で一日に10回くらいメールを交わす無感情な
中国本土の人間にも一日何回ありがとう、と書くか。

それがなにか良い影響を与えているのか、というとよく効果はわからないけど、
あったこと無いけど仕事を手伝ってもらっているのだから、メールを
読むときくらいはいい気分になって欲しいと思う訳。

まあこんな感じで今年もやっていこうと思う。

まとまりのない文章は変わらなそうだけど、世界を見回せば悲観的な状況が
目につくけど、せめて自分の回りだけは楽観的にみて行こうと思うわけ。今年は。

そうじゃなければやってられない現実もあるわけだし。



送信者 シャーベット






● Cafe mochaを飲むわけ



しごとをはじめて今年はどうもうまくエンジンがかからないという感じで、
面倒くさい事務処理なんかはまだ手つかずでほってある。

その前にもっと仕事がんばらないと、というのがあるんだけれど、
ローマの道も一歩からという感じで目の前のことを積み上げていく
しかないのがよくわかる。

ぱっとしないなあーと思うと朝は気が重い。

それでも午後には人に会って、夕方はメールを打ちまくって、夜にぐったり
なるとストレスがたまってるんだろうな、ラーメンとか甘いものが
欲しくなる。

そのせいで正月にふくれた腹がもどらず2kgくらい体重が増えた。

Work outも歩くことやスキーみたいなことばっかりやって積極的に
ベンチプレスとかはやる気がしない。

自分のやることと違うなにか創作をすることがやってみたいなという気が
おこったりするが、日本から戻ってからカメラをさわっている余裕が無い。

こういうのって倦怠期かなという気もするし、将来にたいする不安から
くる疲れかなという気もする。

送信者 シャーベット





日本にもどって幼なじみの友達に会って話してたら、昔はマニラの夜明けって
もっとこう良い生活をするんだみたいな感じだったよね、といわれて
ああそうだった、と思い出して現実ってきびしいのねっと言う感じになった。

1億円を稼ぐには人のやらない、面倒くさいことを、孤独にやらなければ
ならないということがわかった。
(別に1億円稼ぐのは目的じゃなくなったんだけど)

そしてその道はとっても孤独だ、ということが。

常に自分が間違っているかなあと気にしながら、それでも自分の決断の結果が
すぐに出るわけでもなく、お手本があるわけでもなく、
ひたすら信じて歩いていくのだ。

でッ本題にもどると、ストレスを感じると人間間食が多くなって太るんだって、
ホントだわ。

今晩なんかも無性にラーメンたべたくなってEAST WOODのラーメン屋行って
その後STBKSのモカを飲んでおなかがいっぱい。



送信者 シャーベット



● Criminal alert 

新聞を賑わしているマニラ首都圏のカーナップだけど、昨晩は
元上院議員のMAR ROXASの従姉妹が夜中にレガスピビレッジで二人組に
拳銃突きつけられて、ランドクルーザーをカーナップされたし、
有名な弁護士LOZANOの息子がさらわれて、殺されて焼かれて、
車も焼かれてでてきたり大変だよね。

新聞によるとマニラに5つのCarnapのグループがあって大統領はその
グループのクラックダウンを命じたそうだ。

この狭い首都圏に5つのグループがあるわけだから、どこにいても
おそわれる可能性があるわけで、よく盗まれる車の車種をみてみると
トヨタのランクルとか2から3ミリオンのSUVが多いみたいだ。

逆にいうとカローラとか1ミリオン以下の車などはリセールバリューが
安いから盗まれる確率は低いわけで、わりと安全。

大体政治家は好んでそういう大きい車にのるからよく政治家の車が
盗られてニュースになっている。

マカティはわりと安全なイメージが強いけど、安全なのは人がたくさん
いる昼間だけで夜はガランとした通りが多いから、特に深夜は何が
起こってもおかしくない。パトカーが運良くこない限り危ない。

パシグやケソン、マニラはいうまでもなく、C5沿いも同じくガードがいる
明るい場所やモール以外は無防備な場所だ。

夜にC5に食べに行くときは車からでるときと店から出るとき、車に乗るときは
回りに不審者がいないかかならず確認するし、車に乗っているときは
タクシーであろうと鍵を確認しなければらない。

そういう目にあってないというのはたんに確率の問題だけで、いつそういう
目にあってもおかしくないのだ。

まあそんなわけだからみなさんも夜は気をつけてください。

そういえばQuota visa がなくなるどうのこうのっていううわさがあるけど、
その辺の役所に出入りしている弁護士さんに聞いたらあれは、なくなるのではなく
てビザ申請時の申請資格の条項がすこし厳しくなるということだといっていた。
そろそろ決まるそうだけど、人から聞いた話だから確かではない。


送信者 シャーベット



● 本たち、

というわけで久しぶりに今読んでいる本を紹介、


今読んでいるのはロバートキヨサキの新刊

Rich Dad's Conspiracy of the Rich: The 8 New Rules of Money


こちらで買ったので、日本語訳がでているかは定かじゃない。

まだ読んでいる途中だけど、おもしろい。

詳しくは読み終わってから、紹介します。



では今年もよろしく
送信者 シャーベット
VOL416 たいせつなもの、たいせつじゃないものを
切っていくこと、そして残ったものを大事にする。



● たいせつなもの、たいせつじゃないものを切っていくこと、
  そして残ったものを大事にする。


いつも昔から思うんだけど、これくらいの歳になると人間ホント孤独という
のがデフォルトであるということがわかる。

結婚して家族を持っていたり、会社で毎日人に囲まれたとしてもだ。

一人で行動することが僕の場合は99%なので、次になにをやるのかという
ことも自分次第だ。
だから家族や親しい人といるということも、自分の意思次第だ。

気がつけばいつも誰かが横にいるというような状態では自分の場合ない。

だからこそ思うのだが、自分がいつも一緒にいたい人とは努力してでも
一緒にいることを心がけて生きていこうと。


一日でもそういう人達を粗末に扱ったり、プライオリティを落として
他の事に気が散ってその一緒の時間を過ごすのは、この世に生まれてきて
せっかく縁で結びついて一緒にいるその人に失礼ではないか、と。

仕事にしてもそうだ。

僕は毎日、今自分が何をやる、やらない、ということを選びとりながら、
毎日の生活の糧を得ている。

何一つとして、これをやりなさい、と人から教えられたり、押し付けられた
ものではないから、少なくともこれは自分がやった方が人よりうまくできる
だろう、というかすかな期待と自負をもちながら、うまくいくように
祈りながらやっている。


それがうまくいけば大喜びだし、うまくいかないことが殆どなんだけれど、
少しでもうまくいけば、これを明日も同じことを繰り返し繰り返しやって
いくための糧としての自分の中の誇りとして積み上げていくのに使っていく。


上でも書いたが、選び取った仕事が自分が神から与えられた才だとするなら、
縁でむすびついた周りの人との関係も同じように尊び、大切に扱って、
毎日精一杯のベストをつくしてこなしていくことが
僕の使命じゃなかろうか、と。

それがどんな人との関係性でも、どんな仕事でも、縁があって回ってきた
ことに接する態度というものは、明らかに人間関係でも、
仕事でもそれが顕著に現れる。

与えられてパッシブに受取っている態度と、それは自身が選びとって
Activeな態度というのはどんな鈍感な人でも簡単に感じられる。

いやいやか、すすんでやっているかウエイトレスとかの態度とかでみると
一番よくわかる。



残念ながら、僕の生きてきた中では仕事でも人間関係でも
与えられたものだから、という気持ちがあって、それをないがしろにして
きたところがある。

それは自分が選び取っていく生き方をするようになると、そうでなくなる。

選びとることは、なにが自分に必要で、必要でないものを切ることだから、
失ったものは本当に沢山あった。

そしてナイーブな僕は人なり仕事を失うたびに、その寂しさを自分の
足りないところのせい、と勘違いしていった。

しかしそれは何か大切なものを得るためには、必ず通らなければならない
スクリーニングのプロセスということが、
すこしずつ理解できるようになってきた。

そして今必要なものがそぎ落とされて、大切なものしか残っていない
からこそ、今あるものに大事に精一杯心を尽くして接していきたい
という気になっている。






● 上を向いて歩いていく、を考える。




最近なんとなく考えていることで、フィリピン人にとっても日本人に
とっても、生活が便利になったり、向上していくことって、やはり
ポジティブに取られるべきじゃないかと思う。

具体的にいうと自然に囲まれたビーチでの漁師さんの暮らし、とか、
そういうのを日本人がたづねていって、写真とかブログにのせて、
こういう暮らしはいいなっていうコメントをつけるのとか、それはそれで
そういう暮らしが好きな人にはいいんだけれど、

多分大半の人が生まれて暮らしているその土地を自分が選び取っている
わけじゃないなって。

説明が必要だけど、例えば茨城県の郊外のあまり聞いたことのないような
市にずっと住んできて、結婚してもそこに住み続けるみたいな人が
日本だって大半なわけでしょう。

それと同じようにフィリピンだってその場所が単純に生まれた場所だから、
とかもう決まっているなにかの理由でただそこに住んでいますという人が
殆どなわけで。

私は葉山の海が好きだから、そこで住んでますとか、私はマカティが
好きだから住んでますとか、パリに住んでますとか、そういう人も
いるけれど、大半はなんとなくそこに住んじゃっているわけ。

運命だよね。

なんとなく住んじゃっている人と、経済的やその他の事情でしようがなく
住んじゃっている人と住みたいから住んでいる人に分かれるわけで、
僕がマニラの都心のかっこいいアヤラのモールとか、ハイストリートとかを
歩いている普通の人達を見ていると、若ければ若いほど
そういうところへの憧れが強いのが見て取れる。

だいたい格好をみていれば、すごくわかるよね、すごいファショナブルな
ドレス着て歩いてたり最近普通にあるもん、ここはパリか、とかクラブか?
とかつっこみたくなるのが。

携帯とかみても大体、ノキア、Blackberry、HTC, IPHONEの
タッチパネルでしょ。

グリーンベルトとか、なんかとってもおしゃれなカフェとか、に
座っている子たちをみていると、ああ、これが生理的に快適な環境
というのだな、と思う。

特にそのモール全体が外の景色からしてインテリアデザイナーが
一生懸命どこか外国のデザインを真似してつくったようなところって、
やはりイスから壁にしても気持ちが豊かになるもん。

本屋とか素晴らしいのがあるけど、子供とかいたらやはりこういう
ところで本を読ませたいよねって思うよ。

そりゃ、ごみごみしたスラムの蒸し暑い路地裏に座ってたら、勉強しよう
っていう気になるわけないわな。

やはり人間って、快適な暮らしをしたいというのは本能的な欲求なわけで、
それを否定せず肯定していくところから文化は始まると思う。

スラムから来た子がコールセンターに仕事を得て、綺麗な格好をして、
少しでも収入の高そうな男子と結婚しようというのは人間としての本能だし、
それをやるから社会の目指すべく道をつける経済の原動力になる。

お金もたっぷりためて、子供も大きくなってみたいなリタイヤリーな
西洋人とか、日本人って田舎のリゾートに住んでたりするけど、
そういうのじゃなくて、貧しい人は胸をはって、マカティとかを目指して
欲しい。

少しでも上に上がりたい、モールに行って買い物したり、うまい
レストランで食事したいっていう行動がGDPの成長を支える要素だし、
その意欲に欠ける高齢化社会の日本には未来はないから。

日本はほらもう景気悪くて仕事もないから節約して生きましょうなんて、
週刊誌で言っているやつこそ、日本の成長を阻害する一因でしょ、

ただでさえ金を使わないし、収入の伸びも低いのに、貯金ばっかり
していたら、もっと仕事がなくなるよ。


携帯でとった写真

送信者 シャーベット





● フィリピンで一番大きいスターバックス

昨日はフィリピンで一番大きいと呼ばれるスターバックスに入って来た。
知り合いのバリスタがそう言うんだから間違いない。

一番大きいだけでなくドライブスルーが店舗にくっいているのも
フィリピンでは初めてらしい。

中に入った感じ、広い家具屋みたいで、広々とした店内には贅沢に大きな
ソファーが配置してあり、とにかく床や壁にコンセントが沢山あって
だれでもラップトップなんかを使えるようになっている。

これ、セントルークスホスピタルの近くにあるから結構ドクターとかも
利用してるみたいだ。

セントルークスはちなみに歯医者にいっても診察料だけで1500ペソも
とられたから、多分あそこの歯医者へはもう行かない。

でっそのSTBKSだけど、ビルの一部に店舗があるのではなく、
ジョリビーやマクドみたいにそれだけの独立した2階建ての建物が
あるって珍しいから、多分一番進んだインテリアデザインを見せる
ショールーム店舗みたいな意味合いが強いのだろう。

写真をHTCの携帯で撮ったんだけど、良く見るとShareっていう
ボタンがあって、FacebookやTwetterやDropbox
やBluetoothに簡単に画像ファイルを送れるようになっている
ので、Dropboxって押してみた。

するするっていう感じでDropboxのフォルダーが開いて、
簡単にそこへUploadできたみたい。

HTCはPortable HOTSPOT化しているので、Laptop
は携帯のインターネットをWIFIを介してつながっている。
見ているとLaptopのDropboxフォルダーにその画像ファイルが
勝手にシンクされて、Laptopに写真が入ってきた。

ワイシャツのポケットにHOT SPOT化した携帯をいれておくだけで
LAPTOPがどこでもインターネットにつながるなんて、2,3年前では
考えられなかったことだ。

最近ではAndoroidの最新OS2.3というのが出来てきているから、
早くそれを入れたい。
この携帯の正式OSリリース版は2.1で今Beta版のosの2.2を
無理やり入れているから、2.3は僕の携帯では正式リリースには
ならないだろう。

とつぜんちょっとGEEKEYになってしまったと感じる今日この頃。

そのSTBKに座っていると、10年以上前に同じ場所に住んでいた今は
ソファーとかを作る会社の社長のデザイナーがやってきた。

聞いていると彼はキッチンのデザインをしていてキッチンを自分の工場で
作っているらしい。
今日はキッチンのデザインと製作を彼に依頼しているクライアントの
ドクター夫妻に会うらしいかった。

彼はLaptopだけど21インチくらいのTV用みたいな巨大な
DELLを持っていて、それでCADで作図をしていた。

ふーん、という感じでソファーに座っていたら、クライアントの夫妻が
やってきた。

ああ、この人達医者だは、という雰囲気を漂わせて、
聞いたら旦那がマカティメディカル奥さんがセントルークスのドクターだって。

彼らのお話を横で聞いていると、やっぱりキッチンは奥さんの意見が
80%通るんですね、という感じで、奥さん主導で話が進んでいった。

ところであそこに行く人は長袖を着ていったほうがいいよ、
冷房がとっても効いて寒いから。

携帯でとった写真、ぶれてますね、


送信者 シャーベット




送信者 シャーベット








VOL415

● Wikileaks って面白い、

ここのところ世界を騒がせ、国際スパイ業界を激震させているWikileaksだけど、
これすごすぎるよね。

CNNとかはこのNewsで持ち切りだけど、サウジがイランを攻撃したがっているとか、
中東のどこそこの大統領は汚職の塊だとか、アフリカのモガビ大統領はなんだとか、
イスラエルやサルコジ大統領とかロシアの大統領とか、まあとってもユニークな呼び方
をしてるし、ドイツの首相だって決断ができない、とかカルザイは脅しに弱いとか。

実際ページを見てみても、あまりにも膨大な(120万)量の文章なので自分で読むことは
できないから、ニュースで出てくる内容を拾っていくだけだけどそれだけでも面白い、
スパイ業界の911だっていうけど、まさにそうだわな。

いろいろな国がアクセスができないように検閲が始まっているようだけど、
サーバー自体は核シェルターの中にあって、6つに分散されているから、手をだせないように
なっている

で、もっと興味深いのがこの創始者、以前ITの長者番付に乗った謎のジュリアン・アサンジ
とか中国系の人とか、とにかくミステリアスだね、普通の人がこんなことをできるわけないし、
CIAとかの関係者とかがもっと大きな組織によって動かされてるんだろう。

http://b.hatena.ne.jp/articles/201011/2003

http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikileaks


明日にはNASAが地球外生物のことに関してなにか発表をするし、今年は普通の年とは
違うな。



● Gelatisimo, BAGELやケンジ亭のラーメン 

週末はハイストリートに新しくできたGelatisimoっていうシャーベットの
店で食べてきた。

僕的にはシャーベットって特別食べたいものでもないけど、
オーストラリアから来たイタリアのシャーベットってなんですか?って
ことで気になったから。

見た感じも食べた感じもアイスクリームなのが、色とりどりに冷凍
ショーウインドウの中に飾ってあって女子には人気がでるだろうな、
って感じで。

これって確かGreenbelt3にもあったっけ?

実際夜中の12時過ぎてもまだ店はやっていてお客さんが入ってるから
これからもっと人気がでそう。

若年層の総人口に占める割合が超高いこの国では、海外の有名フード
チェーンがいきなり一等地に店をだして、大人気になるという
ビジネスモデルがしばらくは続けれそう。

日本でシャーベットの店だしたって、老人が行列作って食べに来ない
もんね。


送信者 シャーベット




そんなわけで、グロリエッタで軽くHarry Potterの2Dを見ました。

前から思ってたんだけどHarry Potterって同じイギリス人の原作と
あって、見れば見るほどLord of the ringに雰囲気ちょっと似てるな、
という印象を持った。

イギリスの古い家屋がふんだんにでてくるし、映画にでてきた小人の
CreatureというのはLord of the ringでも見た目そっくりな妖怪
みたいせむし男がいたしな。

前回とか前々回のストーリーとかいろんな人とか小物の名前を英語で
思い出せないとわからないところも多々あるけど、まあまあ
おもしろい。

最終編が2編に分かれているところもLord of the ring とそっくりだ。


それにしても週末に一番おいしかったと思えるのは、BFホームズにある
ラーメン屋 Kenji tei。

もう開店して半年くらいだろうか、日本人のオーナーさんがしっかり味を
みてるんだろうけど、値段が200ペソくらいのラーメンだけど割と
しっかり作ってあって、辛口ねぎラーメン、チャーハン、餃子と
思う存分日本の味を満腹になるまで堪能させてもらいました。

個人的には新宿ラーメンよりもおいしいと思う。

もうひとつ自分の中でブームな食べ物はBagel。

きっかけはCoffee Beansで Blue berry bagel をCreamy cheeze
につけて食べたらとってもおいしかったので、
それ以来買ってきて家でも食べている。

Bagelってどこの食べ物だろうって調べてみたらポーランドの王様が
食べはじめてユダヤ人とかドイツ人が広めていったものらしい。

イメージ的にはユダヤ人の食べものって感じであってる。

このベーグルとKenji TEIの食べ物を食べて比べると、日本食を
食べているほうがぜったい太るだろうな、という気がする。

どちらも炭水化物なんだけど。

なんだかんだいってラーメンとか麺系を食べたくなるときって
塩を取りたいという欲求が働いている、僕の場合。

ヘルシーにサラダとかサンドイッチ、コーヒーとかだけ食べていると、
あんまり塩分を取らないもんね。

フィリピン料理だとアドボの汁とか魚の干物とかから塩分を
取るって感じだけど、

日本食は醤油やダシからで、塩と麺の炭水化物って太る感じがする。

炭水化物をとらなければ、肉と野菜をいくら食べてもそんなに太らないんだろう。

フィリピン人が太りすぎなのは明らかに、甘い炭酸やアイスティーを
頼んで、ご飯を共通のプレートの上からわけて、何杯でもおかわりして、
ご飯に肉や汁物野菜をかけてご飯が進む状態にするから
食事全体にしめる炭水化物の割合が大きいから。

コーラを飲みながら、ご飯とふりかけと肉だけを食べているようなもので、
そこにいくらサラダを加えても繊維をとったことの効用は
得られないし、サラダなんて大体食べないだろう。

日本人のラーメンと餃子とかチャーハンという食事のバランス
の悪さは、塩とかこしょうとか味噌とか調味料のようなものを
過剰に取りすぎているところだろう。

まあ、うまいんだからタマには無茶食いしてもいいだろうってことで、

自分を許す。


送信者 シャーベット




● STBKS OFFICE化、いろんなしごとのやり方、


近所のアメリカ帰りのフィリピン人のおばさんと知合いに
なったんだけど、そのおばさんはフィリピン人だけど
英語の方が得意なウィスコンシン州の田舎者だ。

アメリカ人だからにぎやかでフレンドリーで、そのおばちゃんは
中国でスポーツ用バッグなんかを工場で作らせて、アメリカに
輸入しているというやり手だ。

でもグッチだかルイビトンからニセモノを作って入れている
ということで、訴えられていて大変そうだが、今度はフィリピンの工場
で製品を作ってアメリカに売るってことだった。

それはそれでいいんだけど、そのおばちゃんが面白いなと思ったのは、
自分の家で仕事をするのではなくて、近くのスタバをオフィスの
代わりに使っていること。

毎日行くと決まった席に陣取っていて、自分専用の扇風機を
スタバにおいてもらっていて、まるで自分のオフィスのように
使っていることだ。

そんな人みたことない。

そういうのってありか、と僕も考えるんだけど、やはりスタバとか
はうまくネットが安定してつながらなかったり、席が空いて
なかったりするから躊躇しちゃう。

スタバで一日粘って400ペソくらいつかったとしても、
月x20日として、8000ペソだから事務所を借りるのの
半額以下だなって、考えたりして。

スタバといえば、先月からアンドロイド携帯をつかっているけど
1つだけとても便利なことがある。

今の僕の携帯のアンドロイドのOSバージョンだとついてない機能だ。
でも僕はネットからOSのアップグレードを入れて使っているので
特別な機能が使える。

それは携帯を電話会社からの3Gのデーター通信を受けて、インターネットを使えられる
だけでなく、携帯をWIFIのホットスポットにして、WIFI接続で
Laptopとか他の器具にインターネット接続できる機能だ。
USBケーブルで線をつながなくてもいいというのは至極便利だ。

ホットスポットだから何台でもインターネット接続できるし
どんな場所でもラップトップとかでインターネットや
メールがつなげられるようになった。

STBKS OFFICE化の第一歩だ。

エクセルの表をいろいろと編集をしたり、紙の資料を見ながら
経理処理をするとかネットで複雑なことをリサーチするのは
やはり大きな画面でやったほうが効率がよい。

メールをやり取りするレベルの作業はラップトップで外でやるのがいいだろう。

仕事で今日は外出していますので明日返事をします、と言ってばかりの人が
いるが、いかにフィリピンといえどもラップトップや携帯で
外でメールをチェックするのはいくらでもできる世の中だし、
それをしないのは、単に自分の仕事を効率化していくという進歩の道を
を自分で放棄しているか、仕事にあまり熱心でない人というレッテルを
貼ってしまうのは偏見だろうか。

返答を遅らせてよりよい結果が出る類のこともあるのでそれは別として、
なにか新しいものをつくっていこう、はじめていこうという類の
仕事の場合は、返答に時間をかけて遅れるより、物事を前に進めながら
どんどん白黒させコマを早く進めていくほうが、ポジティブな結果に
結びつきやすいということは何回も経験してきた。
この場合、だめなものも早く見極められる。




送信者 シャーベット





話はちょっとそれるが、よい悪いは別として、自分自身の
判断が必要な経営者や自営業などの個人プレーの職種などは、
仕事の時間の細切れ化が進んでいくと思う。

単純作業ではなく、自分で自由に時間を使う裁量を持ち結果を出す
ことが求められる職種や経営者などは、オフィスの机に8時間
座って指示をだすよりも、外に出て人と会ったり、いろいろな
情報をネットやメールから自由に吸収し、歩きながら判断を下し
指示を出していくという形のほうが効率のよい仕事の形のやり方
じゃないかな。
当然そのその時間の管理と責任は個人に属すけど。

自分の場合は同じ作業を繰り返すわけでなく
毎日違うことをやっていくので、そうだが。
なにより常にうごいているのが面白い。

スマートフォンやWIFIや3Gなどの技術の進歩とともにだんだん
そういう形が可能になってきていて、その技術の流れの方向と
仕事のやり方の変遷は同じ方向を向いている。

決まった時間オフィスに座って下す判断と、動きながら下す判断の質を、
比べたらやってるほうとしては、後者の方が仕事がおもしろいのはあたりまえ。

僕の場合は、いかに結果をだすということと同じくらい、その結果を
導き出す方法や仕事のやり方をいかに面白くするか、自分にやりやすく
するかということに重点をおいている。

せっかくやるなら自分が面白いと感じられるように、人生楽しいし、
仕事のモーティベーションはあがるし、究極的に仕事や人生の効率を
高める方法だと考える。

毎朝オフィスに来て、おんなじように机を並べてやらなくても
各自がもっとばらばらに時間を使いながら、同じかそれ以上の結果を出すことが
普通になる技術がどんどん開発されていくのがあるべき姿だと思うし、
それは創造的だと思う。

仕事のやり方のヒントを得るということで、LIFE Huckerというブログ
を読んでいたりする。

http://www.lifehacker.jp/

たとえば今では国が違うところにいる人たちと普通に、たとえば
中国とフィリピンと日本間で同時進行で同じ目的に向かって短時間で
プロジェクトの結果を出すということは普通にやれるような時代だし、
みな多かれ少なかれそんな風担ってきているのではないだろうか。

それはメールとかスカイプとかを使っての会話を進めていくのであり、
その会話と会話の間に情報の共有化と判断がなされ、事が進捗していく。

その間各自それぞれの場所でばらばらでなにをしていようが
事はどんどん進んでいくし、そこに時間も場所の制約もないし、
マルチタスクでそれぞれはいろいろ他の仕事も進んでいく。
ただその条件というのはネットにつながっているということだけだ。

携帯などでつながっている限り社員はどこでなにをやっていても、
いいというような働き方が普通になる業界が沢山でてくるだろう。

その働き方の前提は自由な動きのなかでどれだけしっかりと結果を出せるか
だからそれを支えるコミュニケーションの技術と個人のスキルと目的意識の
シェアとか、その辺の能力が必要とされる。

いくら会社に勤めていても、個人はプロフェッショナルな素養を
持っていかなければ生きていけない時代はもうそこにある。

大体そういう形で働いている僕の仲間達は、働く時間帯というのが
決まっていない。物事が進行すればその時が真夜中であっても連絡はくるし、
それはメールなりスカイプで連絡しておけば、ゆるいリアルタイムで
コミュニケーションが起こる。

スカイプの使い方としておもしろいのが、メールのように使えるということだ。
普通の場合だと相手がスカイプにログインしてないと話できない、チャット
できないで終わりだ。

しかしログインしていなくても、スカイプでもFACEBOOKでも同じだけど、
とにかく用件をいれておけばいい。

でっ相手がオンラインになったときに自分のメッセージをみてくれて、
それで返信を入れる、それで自分がつながったときにまた返信を入れる。

だからメールの代わりにスカイプをつかっても、時間差のチャットという点では
一緒だし、別にスカイプでなくても簡単に立ち上がれれば
なんだっていいんだけど。

要は各自が自分の勝手な時間の使い方をしながらも、ネットでつながりつつ
ゆるやかコミュニケーションが進んでいくということ。

8時から5時までネットにつないでいて、それ以外の時間は営業時間外です。
というのはあくまでも古いやり方で、そういうのがだんだん通用しなく
なるんだろう。

それがいいか、悪いかは別問題として。

役所の仕事だったら営業時間以外の時間は仕事を考えたくない
という人もいるだろうし、それはそれでいい。

自由な時間の使い方をする業種というのは、仕事している時間の量で
報酬をもらうのではなく、結果をだしてなんぼという世界に生きている人たちの
やり方であって保証はないけど、その代わりに自分でいつ仕事を
するのかということを自分で決める人たちのことだ。

僕は後者の方なので、夜中にメールがきても返信を2時とか3時にする。

その代わりやりたくなければ昼間でもメールしない。

それは個人の生き方の選択という問題だろう。

あっ、話がまたそれましたね。

今晩NHKをみていたら今年大学卒の若者が内定を得られないというのが
深刻だというニュースがでていたけど、結局自分で食っていけるような
スキルがつくまでは、会社で雇ってもらうのが一番だし、世界経済の
せいでそういう人たちが職がつけずに年をとっていくというのは、
非常に問題だ。

やはり日本の教育システムの中だけで育っていくというのは、
無理な時代が来ているわけで、中国や韓国人の若者と職を奪いあう
というときが着ているのだから、早いうちに交わらせておいたほうが
子供のためなんだろうな。

だってかわいそうだもん、仕事内定もらえなくても別に彼らのせいでも
なんでもないし。

送信者 シャーベット


今日はこの辺で、
● はじめに、


今晩は9時前にGYMに着いて、だーっと35分走って、あー最近筋肉が
落ちてきたなあーという感じがするので、少し無理をして胸の筋肉を
鍛えるマシンをした。

なんていうんだろう、両腕を横に直角に曲げながら前にアームを押し出す
というあれだ。

首の方をわずらっていろいろと直す方法を試していたが、なんとか
保存療法でいこうと、自分に言い聞かせ、自分にあったやり方を見つけ
ながら、症状が少し和らいでくるまでは、少し怖くてダンベルとかバーベルの
置いてあるエリアに近づく気分になれなかった。

ただもう今は、心拍系の持久力を少しでもあげたいというのと、
無理せずに体の部分部分の筋肉のバランスを整えていくだけで十分だ
という気になっている。

この一ヶ月間は多分今までで一番だらっとした、というか仕事と遊びの
区別をつけることがうまくできなかった時期だった。

生活のリズムが崩れているのが自分では良くわかっている。
そこが崩れると、全てのことに対するモーティベーションが落ちる
ということが、しごく実感された時でもあった。

男も40を超えると、体を曲げたときや、GYMのシャワーで石鹸を
とろうとしゃがむ際に、腰や足をいたわりながら不安定にならないように
どこかに手をついて体を固定する、とかいうことを自然とするようになる。

体が柔軟でなくなっているのと、ちょっとした拍子に筋をいためてしまう
ことを経験し始めた証拠でもある。

斜めのレールの上にイスが動くように固定してあって、足の裏をつけて
足を曲げたり伸ばしたりして、50とか60kgのおもりが横にぶらさがって
いるのを普段やっていたが、それをやった2日後くらいに腰が痛くなる
ということを最近始めて2回くらい経験した。

これは多分神経の方がおかしくなっているのかな、と感じたが
それ以来怖くてやっていない。

これは治療が必要ですよ、とか医者に言われても、それが我慢
できるものなら、なんとか延ばしたいそれは費用のことだったり、
仕事を休めない、(休んでも影響はないのだが、そういう決心がつかない
優柔不断さ)、かといって他の人にそれを言ったって症状が
消えるわけじゃない。

男というのは(女もそうだが)ある一定の年齢を超えると、よほど
親しい家族か友人にしか相談できないことというのが少しずつ垢のように
たまっていく。

弱さは弱さとして子供のときと全く変わっていないのに、結婚して
一家の主になったりして、内容は変わっていないのに、体外的には
おっさんだし、おとうさんだし、ちょっとした役職についたりして、
世間からみると弱さを出すことは許される年齢ではなくなっている。

最初は誰にもわかってもらえない、とか、なんとかしてよう、という気に
なるが、そのうちに誰にもどうしようもないし、それを自分が気にしても、
結果になんら好影響を与えることはない、ということが
次第にわかっていき、無駄な感情を人に見せることは自分にとっても家族にとっても
良くないことだ、という風になる。

そりゃあ、自分の親が事業をしていて金を持ち逃げされた、
とても不幸がありました、とか苦しいことがあったのを子供のころ体験しても、
それについて親が子供である自分に具体的に感情を吐露することがなく、
大人になってから、あああの時はこういう風だっただろうな、と
今になれば想像できるし、歳をとるにつれて、家族や親しい人でさえも、
自分の悩みなどを話すことがだんだんできなくなるなというのは別に普通のことだ。

ましてや仕事の同僚や、近所の親しい人などにだって、自分の深い部分の
ことについて、話す用意は普通できていない。

人と人との結びつきは、その人とどのような距離を置くかという
ディフォルトの距離があらかじめ設定されていて、その人によってその
それぞれのディフォルトが自動適用される。

話が脱線していきそうだが、案外フィリピン人の人と人とのディフォルトの
距離というのは日本人よりも近い、と思う。

ほんの少し人と人の距離が近い、と思うのだ。

陽気だ、というのは、自分の感情を素直に出せること。

それはたとえ見ず知らずの人であっても、自分の感情を気軽に
表現できるか、という一種の積み重ねの環境からくるものなのか、才能なのか。

そしてその距離の近さがたとえ見ず知らずの人に外であったときに、
表情を顔にだすということで表れる。

やはり僕は表情がない日本人だなあと思うし、実はフィリピン人の人と人の
壁の少なさにイラつくこともあるけれど、大方は救われている。
フィリピンに僕が長い間住んでいる理由というのは、この辺にあるのだ
というのがいまははっきりとわかる。

日本人の表情の表現が少ない特に中年、若年の男性達は、自分にないものを
フィリピン人女性に求めているということは否定できない。

いやべつにフィリピン人じゃなくても、台湾人でもアメリカ人でも
日本人より、良く感情を表情に出すというのは、例えばそういう外国人と
子供のころや高校にいったり、暮らしたり、仕事をすれば肌でわかる。

インド人で中国人でもヨーロッパ人でもみんなようしゃべる。
そういう意味ではそちらの方が普通で、日本人の方が異質なんだけど。

アメリカなんかだと、その辺でトイレに入っても、親父が話しかけてきたり、
なにを買っても売り子の人と会話をしたりするし、そういう社会が
僕は実は好きだし、日本でもそうあってくれたらもっとラクなのに、
敬語なんてあるから、なかなか歳の離れた人に気軽にはなせないのかな、
と思ったりする。

僕なんかも仕事で新しい人に話しかけるとき、仕事だから恐れとかないけど、
RUSTANとかの高級デパートの売り子にもリラックスして話しかけるとかは
気軽にできない。

それはちょっと違うか、意味が。

あちらも、’高級デパートの売り子と外国人’という関係のディフォルトの
距離間、というので身構えているから、当たり前だし。

サリサリストアでお酢一袋ください、シャンプー一袋とコーンビーフ缶の小さいの
頂戴、というのとは違うしな。

うっ、何を書いてるのかわけわかんなくなっちゃったので、ひとまずここで 
BO's Coffeeからは
退散します。


● ROM換えとかに凝っています


PDAとかスマフォは結構いろいろつかってきたんだけど、そういうものを
買うと自分でいろんなアプリケーションとかをいれられたりするから、
凝りだすとはまるほうだ。

この数週間はHTCの携帯のROMを変えて遊んでました。

普通だとNOKIAにしてもなんにしてもOSっていうのはファイルをいじったり、
削除したりできないようにロックがかけてあるけれど、ROOTをとるっていう
作業をするとそれが普通のファイルのようにいじれるようなる。

それでもってプログラムができる世界中のオタクの人達が、
ウエブサイト上のフォーラムで情報を交換しながら、協力して1つのOSを
自分たちで作ってしまうということが行われている。

具体的にはオープンソースと呼ばれるOSだとソースを公開しているから、
わりと自作できてしまうのだけど、そういったものは普通に公開されて
利用できるようになるから、まるで自分パーツを選らんで自作PCを作る感覚で、
寄せ集めで自分ごのみのOSを作ってしまうのだ。

アンドロイドなどのOSは携帯毎にメーカーがまだ正式に公開していない
バージョンのものでも、コアになるところが公開されるとマニア達が一斉に作り始める。

そういうマニアたちのソフト制作にかける情熱というのはすごい。

別に一銭ももらうわけでもないのに何十時間もプログラミングするんだろう。

ただ自分が使いたいから、なのか、そういうFORUMで仲間から感謝されたいのか。

まあとにかくいろいろ試行錯誤で入れては削りいれては削り、というのも娯楽のない
フィリピンではたまにはいいかも。


とりあえずひさしぶりだから、今日はここまで、
● VL412 ハイストリートのJusco と台風の中のボロ雑巾



先週から今週にかけては、お友達の家族の誕生日が土、日とあったり、
暇があれば9月分のたまっていた書類の片付けがなかなか終わらなくて
ゆっくりBlogを書く暇も見つからなかった。

金曜の夜はGYMの後、ハイストリートで無印良品のオープニングのパーティー兼
お披露目会があったのでちらっと覗いてみた。

正直な感想、まるで日本のJuscoかユニーに入ったみたい。

というかそのまま日本の典型的なJUSCOやイトウヨーカドーの一部です。

売っている物は、洋服、寝具、家具、文具、生活小物で日本の値札が
そのままついている。

中に来ているお客さんも、そうみていると、なんか新人類、というか、はい
豊かな家庭環境ですくすく挫折なく育ったご子息ばかりで、違和感ありません。

特に目を引いたのが、日本の文房具の品質の高さが珍しいのか、筆記具の
ところにたくさんお客さんがいてたくさん買っていました。

日本からたまたま来ていた友人とも話をしたけど、同じ店を出すなら日本の
老人しかいないところにだすよりも購買意欲のある、マニラのアップタウンに
出した方が何十倍も売れるだろうな、ということ。

個人的にはシャープペんとボールペンがやはり品質が素晴らしいので購入してしまったが、
(といっても普通に日本で売っているものだけど)
これで日本に行ったときに文具をまとめ買いする必要がなくったので、もう便利です。

日本の無印系のプレインなファッションが好きな人には朗報だろう。

座椅子が売っていて、買おうかなと思ったけど高いからやめた。

値段も日本の値札をペソ換算し1、割くらい利をのっけている感じで自分で
持ってきたり、輸入したりするよりリーズナブルだし。

日本にいるときに無印に行こうとか思うことは無いし、僕自身は無印って
20年くらい前学生時代東京の西友とかの片隅で100円くらいの安いものが
売っている店くらいしかしらないし、日本で特別なお店ではないが、
この国にきて見てみると、ダメダメなこちらの中国製のNational Book storeで
売っている価格の3倍くらいまでお金を払うのは、全然厭わない人達がたくさん
いる層がいることに目をつけたここのオーナーの勝ち。

National Book storeとかで文房具を買ってもいくら安くても全然うれしくないしな。

外に店のオーナーらしきお金持ちなきれいなカップルっぽい人がいたけれど、多分一階のZaraも
彼らの持ちものなんだろうし、それだけじゃないんだろう。
ハイストリートのMakeover roomという店も彼らの物のような気がする。

あまりはっきりと実感は無かったが、今後このような海外の良いブランドをそのまま持ってきて
そのまますんなり受け容れるというのが今後の流れになると思う。その際に外国資本がそのまま
小売業に出資できないというのが一つの障壁になる。

そうなると自然とフィリピンの資産のある企業が市場をパートナーとして外国小売店業と
組むという流れになる。

結局財産を持っている裕福な資産家に恩恵があるような構造になっている。

とここまで書いて、今日はC5沿いLibisにあるShakey's月曜の夜12時近い時間だ。
夜中だけどスープ、サラダ、Mojoとチキンという体に良くないメニューを食べている。

台風到来前夜で風と雨が強いが店内には2、3組みの若いラサール系の男女が
楽しそうに屈託に笑いながら話している。
みな育ちよさそうでホント楽しそうだ。

Iphoneとか皆普通に持ち、英語を普通にしゃべり、

と、チキンをたべながら窓の外に目をやると、2人ほど男女が雨の中、ビニールを体にかぶせ、
店から出てくる人がいるたびに食べ物を恵んでくれ、と寄ってくる。

彼らが窓越しにいるので、たべながら目をあわすのはバツが悪いので、
そちらの方向を見ないようにしていたが。

視界の隅に映る彼らは黒くて、汚らしくて、小さくて、ぼろぞうきんのようだ。

それにくらべて室内の人たちは、楽しくて、屈託無くて、白くて、生き生きとしている。

台風の中で外で暮らす人達ってどんなに大変なんだろうな。とぼんやり思いながら、

中にいる人たちは、生まれてから、お金や家族のことで、大きな問題無く、これからも
問題無く、同じような境遇の友達とつるんで、それなりのお金に心配のない仕事、
またはファミリービジネスを次いでやっていけるなんてことが可能なんだろうか?と
人ごとながら思ってしまった。

お金も、家族も、病気もなにも問題なく人生がいけば、人の顔は常にわらったような
顔になるというのは彼らが証明してくれる。

窓の外の人たちはその正反対だ。

僕が食べ終わって、チキンとポテトのMOJOをTake outする時には、外に彼らの姿は
無かった。

雨がしのげるところに移動したんだろうな。

外の彼らにとって、普通に扱えるお金は1ペソから100ペソくらいだろう。
それくらいが、実際稼いで使えるお金だ。

中の彼らはよくわからないが、100ペソから数百万円が普通のお金なんだろう。

二十歳くらいの学生なんだけど、車とかみれば2百万円くらいの車に乗っている。

人が普段扱えるお金の単位というのは人によって、100ペソだったり、10万円だったり、
100万円だったり1000万円とかそれぞれで、意識してそれを大きくする努力をして
いかないと容易に変わらないと思う。

つまり仕事でいうと10万円を一つの取引で上げる人は10年たってもそのような取引をしている
のが大半だろうし、10万円しか稼がない人がいきなり100万、200万円の利益を
あげるような取引をしようとしても商売の仕組みを変えないとできない。
要は意識して何かを変えていかなければ、何も起こらない。


それと同様、外の乞食同然の人たちが毎日100ペソ以下で暮らしている状況を大きく変えよう
としたときにそれが簡単にいくとは思えない。

逆に小さいころから裕福に育っているひと達は1万ペソ、10万ペソが苦労せずに稼げる。

決してそれががんばっても100ペソしか稼げないような境遇には転落していかない。

それは育っている家庭環境、資産、学歴、友人関係などが絡みあって決定される。

では割とそういった環境が似通った人たちがたくさんいる、日本の中流家庭に育った、普通に大学をでた
子供たちが大きくなっていくうちに、どのようにそれぞれ収入の差がついていくのか?

そこのところって、非常に複雑だし見えにくいけど、9割方は卒業後につく仕事によって決定
されてしまうと思う。

しかし僕が真夜中のC5沿いのShakey'Sを見ている限りでは、この楽しそうな綺麗な一団と、
ぼろぼろで顔もどこにあるか暗闇に紛れてわからない乞食のような人たちとの差というのは、
あまりにも圧倒的で僕の理解の範囲を超えていた。

チキンが熱すぎて、肉にジューシーさがないからあんまり食べれない、とお客様アンケートに
文句を書き込んでいる僕のような中年日本人男性にも、資本主義の持つと持たないもの
がなぜできるのか、という根本的な問いかけを思い出させるようなリアルでシュールな時間だった。
日本人の中流家庭に育って、自分で海外で事業をやっているというような立場の人間にとって、
それらを自分と対比しつつ整理するのはあまりにも難しい。

といいながら、僕はShakey's でチキンによって脂ぎった手で、2、3日前に購入した
HTC WILDFIREというスマートフォンのハードウエアとソフトの動きの良さに少し
感動し、GPSを繋げながら、そのC5沿いのレストランの衛星写真を確認しながら、
技術の進歩ってすごいと感動していた。

あっ、書き忘れたけど。ずっとNOKIAを使い続けてきたけど、
HTCを今回使ってみて、これはすごいと思ってしまった。

Iphoneの半分くらいの値段でNokiaの普通の携帯くらいの値段で(3万円くらいかな)
ハードウエア的には高い質感を持ち、持つことに喜びを与える。
ソフトはさくさく動くし、何しろ、WIFI,3G,GPS,Mapがあまりにすんなりつながることに驚いた。

AndroidのMarketにいけば、さすがGoogleが作っているだけあって、おもしろいセンサーをつかったり、
カメラを使ったソフトがいっぱいダウンロードできるし。

なぜ僕がこれを買おうという気になったかというと、仕事上あらゆる時に
メールをさっと見れないと、つらいという風になってきたこと。

日本の人にはわからないかも知れないが、フィリピンでは郊外にでるとなかなか
安定してネットのスピードがでるサービスがない。いろいろなWIFIやSmart BROというサービス
をつかってみた結果、携帯をつかったネット接続が一番安定していてましということがわかった。
(まし、ですよ、決して最高ではないです)
CAFEにいってWIFIのカードを買ったとしても、切れたり、つながらなかったりして安定しないからだ。

メールを送って早くでかけないのに、遅れないで10分も20分も待っていることほど
最悪なことはない。

そんなこんなで、マカティや首都圏なら携帯ですっっとGMAILやPOPでつないで
メールを送受信するのが一番早い。

それなら携帯ですっとネットやメールができるIphoneに行こうかな、とずっと思っていたのだが
いろいろ研究しているうちにAndroid OSのよさがわかってきた。
それに安い。

同じAndroid OSのSamsungなら12000ペソで買える。
今持っているNOKIAを売って、CITIBANKのカードで溜まっているリワードポイントを使うと、
実質2千ペソくらいで買えちゃう。

というわけで、それで無印の店内をとってみたけど、やっぱり携帯だわ。

でも、これを気にEvernoteなんかも使い始めた。

HTCの難点はキーがないことで、これは慣れしかないだろう。日本語入力はSimejiっていうソフトをいれるのだけど、
普通にSMSでテキストするとやはりキーボード付きのものよりは遅いし、打ち間違えがおおい。

まあその分差し引いてもトータルでは満足している。

なんだかとりとめない文章になった。

というわけで、それで無印の店内をとってみたけど、やっぱり携帯だわ。
これだけは本物のカメラに入れ替えられません。





● はじめに、


ふうー、うわっ、という感じで一息つきたい。

1ヶ月くらいBlogを更新しなかった。

文字通り、朝から深夜まで仕事のことばっかりで頭が一杯だった。
(これはウソ、ホントははWork out、も写真も、映画もいつもどおりやっていた。)

気がついたら今日は日本も中国もお休みだった。

だから昼間から仕事の合間にこれを書こうかな、と思った。

朝起きると、日本と中国とアメリカからのメールから仕事がはじめるので、
どこかからのメールが届いていないと初めてその国が休日だと気付く。


BLOGやメルマガを書かないのは、それを ’あとまわし’にしようという気になる
ことだ僕の場合。

書くことへの優先度が下がる、つまりそれ以外にやりたいこと、やらなきゃいけないことがある、
または興味を感じられない、というのが理由だ。


今回の理由は、単純に仕事のことで頭が一杯で、BLOGに気が向かなかった、というのが一番の
理由だ。







仕事の中で、最近になってやっと自分はなにができて、どういうことをどのような人向けに
提供すると、一番価値を見出してもらえ喜んでもらえるか、ということが自分の中で見えてきた。

起業をした当初あらかじめ自分で決めたサービス、マーケット、仕組みなどが頭の中に、
あっても、それは所詮仮のものだから、実際実践してみるとぜんぜん誰にも響かないもので、
それを白紙にして最初から全てを作り直し、仕切りなおし、試してみる、それがダメなら
また最初からやり直す作業を数え切れないほどやってきた。

それを2、3年と繰り返しているといかにアホな僕でも、なにが僕の強みで、どのお客さんが
どういうものを、求めているるのかだんだん見えてきて、その方向性とスタイルが定まりはじめる。

当然その間、毎月の収支があわせないと暮らしは成り立っていかないわけだから、
自分の立ち位置が確定しはじめるまでとにかくなんでもやって食いつないでいくという、
サバイバル技術も身についていく。

いくら自分がいいと思った物でもサービスがあったとしても、それを本当に欲している
人の目の前まで持っていかないと、他人はそのサービスに価値を見出してくれない。

自分がいいのに、と思っているものの付加価値の評価は顧客よって変わる。

自分がいいもの持っていると信じて、トライしてトライしてうまくいかないからといって、それが
ダメだというわけではなく。
それを欲している人に行き当たっていないだけだということがわかったり、
どこにそれを欲している人がいるか、というのを探し出すのも重要なスキルだ。

仕事上本土の中国人やアメリカ人とメールだけで付き合っていると、商売をする人の責任範囲とは、
自分の商品を好きだといってくれる人にめぐりあうという能力。

これはマーケティングや営業といわれる売るほうの戦略だけでなく、自分が必要と
するものを提供してくれるパートナーを探し出すというスキルがいかに大切なのか
がわかる。

今の時代ネットやメールなどで、実際に会いにいけない地球の裏側にいるような人たちと、
いかにつきあって信頼関係を築いていって、大きなお金のかかった取引をできるかという
コミュニケーションのスキルは必須だ。

とくに零細企業は、そういった実際あったこともないような相手と取引をし、そこにはリスクが
あるが、そのリスクの裏側にある大きな見返りをとりにいく。

大きな会社はそういうリスクをまったくとらないし、取れないような仕組みになっているので、
そこに中小企業が動き回れるチャンスが残されている。

中小企業は自分の得意分野にどんどん特化していくべきで、そうすればするほど、
サバイバルの確立が高まる。

自分はスペシャルだ、という風にお客さんが認知してくれ始めると、少しずつより付加価値の
高いものに集中できるようになり、特化していくと付加価値と業務の効率を最大化しやすくなり、
結果として利益が増える。

そういう風に思ってくれそうなお客さんを探して、そこに集中して時間を費やしていくことで、
自分のポジションを築いていくこと。

自分が必要とされないところでいくらがんばっても空回りしてむなしいだけ。

毎日の仕事の中で得意分野、得意顧客をつくって、どんどン特化した状況をつくっていくことを
日常の仕事にする。

船のかじをそちらにぐいぐい引っ張っていくのが、日々の業務とは別にやらなくては
いけないことで、それは僕の場合は、

  日々の業務:新しいマーケットに特化していく作業=3:7

くらいの割合いでいまだ攻めの状態だ。

と、まあここまで書いたところで、ホント今日は誰からもメール来ないなあ。

もしかしてシンガポールとかも休日?


今日は昼飯抜きね。







● Life is a walk in the park with loved one.


大学をでて、なにも考えずに会社にはいって、ただがむしゃらにやってきた時間があった。

なにもわからなかった時代。

ただ感じるままに浮かんでいた時代。



でも、どこかに実感はあった。

これは自分が引いたレールではないな、と。



そういう時代を後悔することはなく、エンジョイしていたのか、といわれるとよくわからない。

それはそういうものなのだ、というしか。




なにもかも自分でやらなくてはいけない道を、選んだことは今となっては、たいしたことでは
なかったのもわかるが、

自分が人生の中で一番最初にくだした一番大きな選択ではなかったか。
















自分の好きなことだけやっていこう。

こんな単純なことを言い切ることに躊躇した僕がいた。



朝起きたときに、何も考えずに、あわただしく身支度をして、家をでていて駅に向かうのも人生。

朝起きたときに、今日はなにをすればいいのか、考えながら少し憂鬱な気分で眠い目をこするの人生。



もうあと少し良くなりたいというささやかな夢を持たずして、ただ生きていくことには決別した。



毎年誕生日を迎えるたび、少しずつ表れる体のトラブル、自然についていく脂肪としわ。

年々背負うべきものは重くなっていく、


物事はうまくいかない、人は誰も振り向いてくれない、買いたいものが買えない、なんて陳腐な
ことは日常茶飯事で、


日々の小さな挫折に埋もれてしまって、このままではいいのかという不安にさいなまれるのは普通に
なっていくのかもしれない。




でも、そんなことよりも、自分の中にある自分だけが聞こえる声に耳を傾けていこう。


ここにだけしかない、自分しか触れられない大切な自分自身だけを向いて今日を生きていこう。


それだけが、本当に大切なことなんだ。








● はじめに、


最近は中国本土の人と付き合うことが多い。
中国人だろうが、フィリピン人だろうが付き合い方が変わる事はないけど、
それでもってお金のやり取りはWestern Unionが多い。

このWestern Union での送金だがフィリピンにもあらゆるころに送金、受取所があるので、
海外から入るOFWの家族からの送金を受取り、両替をするという人で朝とかは
結構混雑している。

それに付設して両替屋なんかもあるので、お金をドルで受取ってそのまま
両替するというパターンも良くある。
他に両替している人を観察しているとディナールとか、シンガポールドル
を換える人達もいる。
名前と国名と都市名を送金の紙に書いたコードだけで照合するので簡単に
IDをもって本人確認ができればお金が受取れる。

しかしフィリピン国内の送金だと手数料がバカ高い。1000ペソとか2000ペソ
を送ろうとすると10%くらい手数料になってしまったりする。
ある程度の金額を送らないととても割高だが、その辺はLBCなどの他の送金会社と
競合している。

最近仕事上でやり取りする人の半分が本土の中国人で残りはフィリピン人が殆どだ。

世界の経済情勢を反映しているといえる。

昨日は朝8時からそんな感じで5時までずっと中にこもって人とメールや電話のやり取り
をしていた。その前の日はずっと出ずっぱりだったからまあちょうどいい感じだ。

ちょっと休憩ということで最近人から借りたCANON EOS500D、日本でいうと
KISS X3という一眼レフを試すことにした。

ホワイトバランスはいいし、オートフォーカスは早くて割と正確、音がシャキーンとして
小気味よくシャッターが切れる。
LCDの画素数が大きいので撮った画像が綺麗に見える。

その調子で外で夕方小一時間撮ってみた。

でも撮っているうちに予感はあった。

PCでファイルを再生してみるとうーん、やっぱり優等生っぽい絵だがなぜか感動はなかった。

キットレンズはしょぼいからニコンでもキャノンでもこんなもんだ。
キットレンズで撮っているかぎりはどのメーカーのカメラでとっても見分けはつかない。

これがひとたびF2.8以下とか5万円以上のレンズをつけてやるとやっとそのカメラの解像度
なりなんらかの真価がより発揮されてもっと良くなる。

ニコンのD5000もちょくちょく使うが、同じレンズをつける上位機種のニコンD90の方が
なぜか味わい深い僕好みの写真が撮れる。

D90を買ったばっかりの国連にお勤めの近所のフィリピン人の奥さんは写真を始めた
ばかりなのに結構アーティスティックな写真をとっていたのをFacebookで見た。

写真はただ出会った風景を切り取るだけでなく、何をどういう風に撮りたいかという
イメージを持てた風景を選んで切り取るものだと思う。
ただ漫然として撮っている風景はそれなりにしか写らない。

と写真家みたいに偉そうに書いているが、キャノンのEOS 500Dとかを使うと
僕がとっても漫然とした光景しか取れないような気がした。

オートフォーカスなんかは早くて正確だけど、持ったときに撮りたくなるように
思わせるカメラではないなって感じ。

仕事がカメラマンだったらだったら便利で確実性があって使うかもしれないけど
ボディが安っぽいのが気に入らない。
シャッター音にも深みがないし。

完全に個人の好みだけど、どちらかというと基本性能が他社に負けていても持っていて
かっちりしたカメラが好きだ。

そんなことをおもいながら軽く夕食をとってWORKOUT TIME、なんだか体が最近硬い感じが
するので、あまり無理に関節をまげないように軽くストレッチを、足にも負担をかけたくないので
クロスカントリースキーみたいな姿勢のマシンを40分近くやって適当に汗をかいただけで
終わり。

上半身は昨晩みっちりやったから今日はやらない。

毎日WORKOUTをやっていくと自分の体の調子に合わせて、着実にやり方を変え試行錯誤しながら、
自分のペースをつかんで、疲れているときにはそれをいたわることができるようになる。

人と人との関係も同じで、試行錯誤を重ねながら、人との関係の距離を適度に
保っていくそのバランス感覚って結構大事だ。

しかし雨ばっかり降っているからあまりカメラを持って撮りたい気にさせる光はないです。

相変わらずまとまりない文章だ。


雨ばっかりだから晴れてる写真を、