● はじめに、


今晩は9時前にGYMに着いて、だーっと35分走って、あー最近筋肉が
落ちてきたなあーという感じがするので、少し無理をして胸の筋肉を
鍛えるマシンをした。

なんていうんだろう、両腕を横に直角に曲げながら前にアームを押し出す
というあれだ。

首の方をわずらっていろいろと直す方法を試していたが、なんとか
保存療法でいこうと、自分に言い聞かせ、自分にあったやり方を見つけ
ながら、症状が少し和らいでくるまでは、少し怖くてダンベルとかバーベルの
置いてあるエリアに近づく気分になれなかった。

ただもう今は、心拍系の持久力を少しでもあげたいというのと、
無理せずに体の部分部分の筋肉のバランスを整えていくだけで十分だ
という気になっている。

この一ヶ月間は多分今までで一番だらっとした、というか仕事と遊びの
区別をつけることがうまくできなかった時期だった。

生活のリズムが崩れているのが自分では良くわかっている。
そこが崩れると、全てのことに対するモーティベーションが落ちる
ということが、しごく実感された時でもあった。

男も40を超えると、体を曲げたときや、GYMのシャワーで石鹸を
とろうとしゃがむ際に、腰や足をいたわりながら不安定にならないように
どこかに手をついて体を固定する、とかいうことを自然とするようになる。

体が柔軟でなくなっているのと、ちょっとした拍子に筋をいためてしまう
ことを経験し始めた証拠でもある。

斜めのレールの上にイスが動くように固定してあって、足の裏をつけて
足を曲げたり伸ばしたりして、50とか60kgのおもりが横にぶらさがって
いるのを普段やっていたが、それをやった2日後くらいに腰が痛くなる
ということを最近始めて2回くらい経験した。

これは多分神経の方がおかしくなっているのかな、と感じたが
それ以来怖くてやっていない。

これは治療が必要ですよ、とか医者に言われても、それが我慢
できるものなら、なんとか延ばしたいそれは費用のことだったり、
仕事を休めない、(休んでも影響はないのだが、そういう決心がつかない
優柔不断さ)、かといって他の人にそれを言ったって症状が
消えるわけじゃない。

男というのは(女もそうだが)ある一定の年齢を超えると、よほど
親しい家族か友人にしか相談できないことというのが少しずつ垢のように
たまっていく。

弱さは弱さとして子供のときと全く変わっていないのに、結婚して
一家の主になったりして、内容は変わっていないのに、体外的には
おっさんだし、おとうさんだし、ちょっとした役職についたりして、
世間からみると弱さを出すことは許される年齢ではなくなっている。

最初は誰にもわかってもらえない、とか、なんとかしてよう、という気に
なるが、そのうちに誰にもどうしようもないし、それを自分が気にしても、
結果になんら好影響を与えることはない、ということが
次第にわかっていき、無駄な感情を人に見せることは自分にとっても家族にとっても
良くないことだ、という風になる。

そりゃあ、自分の親が事業をしていて金を持ち逃げされた、
とても不幸がありました、とか苦しいことがあったのを子供のころ体験しても、
それについて親が子供である自分に具体的に感情を吐露することがなく、
大人になってから、あああの時はこういう風だっただろうな、と
今になれば想像できるし、歳をとるにつれて、家族や親しい人でさえも、
自分の悩みなどを話すことがだんだんできなくなるなというのは別に普通のことだ。

ましてや仕事の同僚や、近所の親しい人などにだって、自分の深い部分の
ことについて、話す用意は普通できていない。

人と人との結びつきは、その人とどのような距離を置くかという
ディフォルトの距離があらかじめ設定されていて、その人によってその
それぞれのディフォルトが自動適用される。

話が脱線していきそうだが、案外フィリピン人の人と人とのディフォルトの
距離というのは日本人よりも近い、と思う。

ほんの少し人と人の距離が近い、と思うのだ。

陽気だ、というのは、自分の感情を素直に出せること。

それはたとえ見ず知らずの人であっても、自分の感情を気軽に
表現できるか、という一種の積み重ねの環境からくるものなのか、才能なのか。

そしてその距離の近さがたとえ見ず知らずの人に外であったときに、
表情を顔にだすということで表れる。

やはり僕は表情がない日本人だなあと思うし、実はフィリピン人の人と人の
壁の少なさにイラつくこともあるけれど、大方は救われている。
フィリピンに僕が長い間住んでいる理由というのは、この辺にあるのだ
というのがいまははっきりとわかる。

日本人の表情の表現が少ない特に中年、若年の男性達は、自分にないものを
フィリピン人女性に求めているということは否定できない。

いやべつにフィリピン人じゃなくても、台湾人でもアメリカ人でも
日本人より、良く感情を表情に出すというのは、例えばそういう外国人と
子供のころや高校にいったり、暮らしたり、仕事をすれば肌でわかる。

インド人で中国人でもヨーロッパ人でもみんなようしゃべる。
そういう意味ではそちらの方が普通で、日本人の方が異質なんだけど。

アメリカなんかだと、その辺でトイレに入っても、親父が話しかけてきたり、
なにを買っても売り子の人と会話をしたりするし、そういう社会が
僕は実は好きだし、日本でもそうあってくれたらもっとラクなのに、
敬語なんてあるから、なかなか歳の離れた人に気軽にはなせないのかな、
と思ったりする。

僕なんかも仕事で新しい人に話しかけるとき、仕事だから恐れとかないけど、
RUSTANとかの高級デパートの売り子にもリラックスして話しかけるとかは
気軽にできない。

それはちょっと違うか、意味が。

あちらも、’高級デパートの売り子と外国人’という関係のディフォルトの
距離間、というので身構えているから、当たり前だし。

サリサリストアでお酢一袋ください、シャンプー一袋とコーンビーフ缶の小さいの
頂戴、というのとは違うしな。

うっ、何を書いてるのかわけわかんなくなっちゃったので、ひとまずここで 
BO's Coffeeからは
退散します。


● ROM換えとかに凝っています


PDAとかスマフォは結構いろいろつかってきたんだけど、そういうものを
買うと自分でいろんなアプリケーションとかをいれられたりするから、
凝りだすとはまるほうだ。

この数週間はHTCの携帯のROMを変えて遊んでました。

普通だとNOKIAにしてもなんにしてもOSっていうのはファイルをいじったり、
削除したりできないようにロックがかけてあるけれど、ROOTをとるっていう
作業をするとそれが普通のファイルのようにいじれるようなる。

それでもってプログラムができる世界中のオタクの人達が、
ウエブサイト上のフォーラムで情報を交換しながら、協力して1つのOSを
自分たちで作ってしまうということが行われている。

具体的にはオープンソースと呼ばれるOSだとソースを公開しているから、
わりと自作できてしまうのだけど、そういったものは普通に公開されて
利用できるようになるから、まるで自分パーツを選らんで自作PCを作る感覚で、
寄せ集めで自分ごのみのOSを作ってしまうのだ。

アンドロイドなどのOSは携帯毎にメーカーがまだ正式に公開していない
バージョンのものでも、コアになるところが公開されるとマニア達が一斉に作り始める。

そういうマニアたちのソフト制作にかける情熱というのはすごい。

別に一銭ももらうわけでもないのに何十時間もプログラミングするんだろう。

ただ自分が使いたいから、なのか、そういうFORUMで仲間から感謝されたいのか。

まあとにかくいろいろ試行錯誤で入れては削りいれては削り、というのも娯楽のない
フィリピンではたまにはいいかも。


とりあえずひさしぶりだから、今日はここまで、