経済のことが頭から離れないから正しいものの見方が出来ないのです。
そして論理のすり替えに賛同するようになるのです。
昔から論理のすり替えに成功した人間が高く評価されているのが現実です。
その昔自分達の欲望のままに利益を追い求めて間違った道へ進むと神の手が働いて修正してくれると言ったアダム・スミスが経済学の父と呼ばれたのです。
実際は神の手など存在するはずもなく、修正されないから様々な問題が起きているのです。
日本でも人目を気にせず金儲けをするのは税金を納めて社会に貢献するためだと言った人が経営の神様と称されているのです。
どちらも欲を追求することに建前を与えたことによって評価されたのです。
いくら建前があっても現実は何も変わらないのですから問題が大きくなってしまったのです。
人間の欲が問題の本質にあるのですから、そこに正面から向き合わない限り解決など有得ないのです。
ただ有史以来この問題に関して上手く対応したことなどないのですから、今更出来るとも考え難いのも事実です。
しかし気休めのために大義を与えたところで意味はないのです。
時代は変わっても問題は、人間が欲をコントロール出来るかどうかだけなのです。