「さよなら、愛しい人」 レイモンド・チャンドラー | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.



清水訳「さらば愛しき人よ」に続いて、村上春樹訳の「さよなら、愛しい人」です。

一言で読後感を言うなら、本の内容がよりわかりやすかった・・・ということかな。
ストーリーなどは毎回書いているようにチャンドラーの場合、正直どうということもない。
練りに練った他の作家の推理小説やミステリーなどには遠く及ばないと思う。

ただ、このマーロウが一人称で語るセリフだとか、状況描写などなどに
ほぉおおお~などと共感したり、感動したり、あるいは感心したり・・・というのが
私なりのチャンドラー作品の読み方なのだ。

大まかにいうと、清水訳は対象物の際立った特徴を的確に、でもかなりざっくりと捉えた
デッサンのような印象。いかにも字幕翻訳家の作品という気がする。
時にそれは重要な部分を抜かしてしまっているようで、読んでいて意味が分からない
こともよくある・・・まあ勝手にイメージ膨らませて読むわけでそれに不満はないし、
これはこれで端正な文章が本当にいい。
特に、ほとんどのチャンドラー作品は清水訳だけが長いこと君臨してきたので
もうこのイメージがファンの中に完全に刷り込まれてしまっている感がある。
よほどの対抗馬でないと清水訳を超えることは難しかったかも、と思う。

で、そこに出てきたのがあの村上春樹。やはり良くできています。
定評のあるチャンドラーの比喩などを丁寧に丁寧にしっかり翻訳しています。
原文で読んだわけじゃないケド・・・清水訳がデッサン的ならば、こちらは写実的翻訳
でも言いましょうか・・・じっくり全方位から対象物を吟味して下書きし、
着色したというかな、
でもこれじゃ誰にも私の言いたいことわかっていただけないかなぁ・・・
イメージだけでも伝わるといいんだけど・・・ま、そんな感じが私の印象。
清水訳に比べるとくどいというか、ねちっこいほどに様々な比喩が並びますが
これがチャンドラーなのね!と思った。

時にはもうこのあたりでいいんじゃないの?というくらい直接ストーリーとは
無関係とも思える文章が延々と続くので、面倒になって飛ばし読みしたことも
正直何か所かあります。
でも村上訳のおかげで、清水訳で理解できなかった部分が(そういうことだったのか!)と
はじめて私の中で意味の通じた箇所はいくつもあります。
ようやくこの原題「Farewell, my lovely」のお話そのものが理解できたみたい。

文学作品として評価の高いチャンドラー作品ですが、村上訳で読むと
そのあたりがより実感でき、なるほど~と思います。
チャンドラー自体が表現すること、書くことを本当に楽しんでいるように思えるし、
それをまた翻訳家・村上春樹がさらに楽しみつつも敬意をもって翻訳しているって感じ。

どちらも捨てがたいし、そもそも優劣つけるのが目的でもない。
より作品を楽しむため、深めるため・・・だから私はこれからも両方読んでいくと思います。

村上春樹が影響を受けた作家として、チャンドラーはもちろんのこと、
カポーティ、フィッツジェラルド、カーヴァーなどの名が挙げられるけれども
やはりチャンドラーの影響が一番大きいのかな、と今回つくづく思った。
チャンドラーの翻訳をしているんだから、チャンドラーっぽい(なんか変な表現)のは
当然なのだけれど、そういう単純なことではないのね。
この比喩・この表現の使い方・並べ方は春樹小説何度もで見た覚えがある。
他の作家たちよりもチャンドラーの影響が顕著に表れている気がするな。

ハードボイルドの感想は書きづらいと、前回も書いたばかりだけれど
それに加えて、別翻訳での読み比べみたいなことをしてしまうと
ますます一冊の本の純粋な感想とは遠く離れてしまう・・・困りましたね。



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