「僕は勉強ができない」 山田詠美 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.



「ジェントルマン」でげげ~っとなり、以来少し離れていた山田詠美の作品です。
これは私の山田詠美ベスト3に入るくらい好きな本で、何度も読んできた。

高校生の秀美くんが主人公で、彼の(非凡な)日常が描かれていますが
果たしてこの小説を同世代の、つまり15~18才あたりの少年少女が読んだら
どんな感想を抱くのか気になります。
たぶんイマドキの高校生でこの秀美君を「かっこいい!」と思う子は
いないんじゃないかと思うけど、どうかな。

私としては、詠美があとがきに書いているように、この年齢をすでに通り過ぎた
大人たちの方がいろいろ感じるところがあるんじゃないかなと思ってきたし、
それは今も変わらない。
けど、ちょっと今までとは違う感覚で読み終えた。なぜかな?

秀美君はちょっとかわりものなので、水商売をしている年上の彼女などに
うつつをぬかして、同世代のわかりやすくかわいい女の子の計算などは
見抜いてしまうわけです。
要するに詠美の美学を秀美少年に語らせているわけで、私から見ると
詠美の自画自賛小説のように見えて仕方ないんだけど。
だって、母親とか年上の彼女の桃子さんなんて詠美そのものですものね。

学校生活の中で秀美君は、その家庭環境やら性格などからある意味マイノリティといえると思う。
で、そのマイノリティの擁護というか代弁はかなりこの小説においてなされている。
けど秀美君が、勉強に一番重きをおく同級生や教師、ぶりっ子少女に対して発する、
この上もなく残酷な一言で、逆に彼らをマイノリティにしてしまうのはかまわないのかな?
と思ったりもする。
正直、こういうときの秀美の一言は読んでいるととても痛快な一言でもあるのですが
なんとなく、この残酷さが今回は特に気になったかな。

ずっと作風が変わらないことはスタイルが決まっているということで
悪いこととは思わないけど、少し大人びた中高生の心情や
夜のクラブを徘徊するいい女を描くことで読者の共感を得続けるのは
少し難しくなっているんじゃないかという気はしました。
読者もまた多少なりとも成長しますからね。

最新作は読んでいないけれど、その前の「ジェントルマン」は本当に悪趣味だなと思った。
でもあの作品を「残酷で美しい」「耽美的」としている方たちもずいぶんいるようなので
コアなファンと世界を作り上げていくことになるのかもね。
私としては「無線優雅」みたいな、のほほんとした日常を美しい表現で
書いたものがやはり好きだなと思う。

基本、私は詠美の考えるヒトとしての理想や好みにはとても共感できるし
この作品では、後半にいくほど、やはりその共感部分もは増えていったけれど、
ここまで詠美流の好き嫌いをはっきり書くのならば
小説というよりもエッセイとして書いたほうが良いような気がするなあ。



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