「英語で読む村上春樹8月号」 NHKラジオテキスト | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.


夏祭りの季節ですね。
今日も数箇所で見かけたけれど、突然の雷雨・・・大丈夫かな?

さて、8月号です。
今号よりComparison & Focusという項目が加わり、
本編はますます充実してきた感じ。

小説の内容を実はすっかり忘れているので、
次の9月号での完結が楽しみ。
解説を読むたび、英語に翻訳したルービンさんという方の
日本語の理解度に驚嘆しますねえ・・・すごい方。

ただリレー対談はもう本当にいらないなあ。
今回は村上春樹の文中の表現をそのまま使っての対談でしたが、
前半、特に作品内に出てくる春樹の書いたセクシャルな表現を
そのまま対談者がたびたび口にしていることに、辟易してしまった。

村上春樹のこの手の表現って、私にとっては本当に気持ち悪いものなのだ。
でも作品全体を通した場合、それをはるかに凌駕する魅力が多々あるので
そのあたりはスルーっと読み流すことはできるのだけれども、
こうしてたびたび口にされると、そこはかとなく気持ち悪いなあと。
これ、もし目の前でされたらセクハラだと思ってしまいますよ。

主に新作の「多崎つくる」について語られていたので、
これをまだ読んでいない私にはわかりえない、とても重要な作品のポイント
なのかもしれないけれど、もうちょっとなんとかならないのかなと思います。

ラジオは全然聞いていないけど、NHKでこの対談は放送できないだろうなと
思いますが、実際のところはどうなんでしょ?

たとえば甲斐バンドもそうだけど、好きなアーティストがあったとして
そのアーティストそのものじゃなくて、そこに集う不愉快なファンを見て、
そのアーティストのファンでいることが嫌になることもあるでしょう?
このテキストのリレー対談、ずっと読んできて、そんな気分が続いています。
とにかくご自分の見解を語りすぎているので・・・彼らの意見の
発表の場として使用して欲しくないなあという思いがあります。
こういう内容は、ご自身のゼミで学生に語るか、自力でどうかご出版なさってください。
9月からはもうこの対談は読まずにおこうと思います。

創作小説はいつもに比べるとわりと良かった、かな。
でもこれも掲載の意味が今ひとつピンと来ない気がしています。



NHK ラジオ 英語で読む村上春樹 2013年 08月号 [雑誌]/NHK出版

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