「海辺のカフカ 上・下」 村上春樹 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.


とりあえず、IQ84の前に読んでしまおうということで1日で上下巻
読んでしまった。
しかもその前に下準備としてカフカの「変身」を再読。
どうして本に関してはこういう面倒なことを厭わずに出来るのに
ほかのことがダメなのか、自分でも疑問だ。


上巻はなかなか面白くてページをめくるのももどかしい気持ちで読んだ。
主人公である15歳のカフカ少年のお話よりも、猫と話のできる茫洋とした
ナカタさんのお話が断然面白かったので。

でも下巻ではその思いも一気に減速してしまった。
短時間で2冊を読んだ疲れもあったとは思うけど、上巻のテンションでは読めず。

ベースのひとつとなっているらしいオイディプスの悲劇と同様、父親殺し、
母親との関係はカフカ少年にとっても客観的には相当な悲劇のはずだけど
彼には悲壮感が殆どないですね。内省していない。
彼の目指すタフさゆえとはちょっと違うように思うし、腑に落ちない。

ナカタさんについても前半のほのぼの感から、後半はご本人の思惑はともかく
読んでいる側として絶望感をもって読んでしまうことになった。
とても気の毒な運命だと思うけど、結局あの方もカフカ少年の一部だったのだろうか?
入口を開けてしまったものとしての責任ということ?

そして同じく入口を開けてしまった佐伯さんとの関係は
女性として大変に不快な気持ちで読みました。
「ベルサイユのばら」の最後、アントワネットの裁判の中で
幼い息子との近親相姦の罪をでっち上げられた彼女が、真偽を答えることを
促された時に、彼女は「女性として(あるいは『母親として』だったかも)が
この愚問に答えることを拒む」といったようなことを語るのですが
全くそれと同じ気分でした。
村上作品に登場する女性陣にはほとんど毎回共感できないけれど、
この作品では特にその思いが強く残りました。
二人の立てた仮定は結局明確にならないままだったけど、事実がどちらであれ
カフカ少年に傷を残すことをしていたように思う。

解決されないままの伏線や謎、途中で消えてしまった人物は、
ほかの作品にも時々あるし、この頃はもっと違う点を見るようになったので
そういうものは殆ど気にならないし、特に星野青年が、過去の自分を省みて
何かを掴んだことは救いだったと思う。
喫茶店でのマスターと星野青年の会話シーンはなかなか感動的でしたし。
・・・でも残念ながら今回の作品は私にとっては好みとは言えなかったかな。
お好きな方には申し訳ありません。
それとカフカ的不条理というよりも、カミュ的不条理感を感じました。

さて残る「1Q84」はいかなるものでしょうか。
本当は時間を空けたいところですが、わけありでこのまま行かねば~!!


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ギリシャ神話はちゃんと読んだことがないけど、たまたま
先日再読したこの中にオイディプスが漫画化されていて、ラッキーでした。

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