スペイン Ⅷ | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

学校は11月になってから開始。


いつもはクラス分けテストがあるそうだけど

私が行った時はその前の人たちの

レベルが相当高いため、おそらくついて

いけないということで、無試験で

一番下のレベルからはじめることになった。


スペシャルコースとノーマルコースがあり、

日本人のほとんどは、本校で行われる

ノーマルコースでゆっくりのんびりと

やっていたようす。


私が選んだスペシャルコースは授業時間も

多く、少人数。

主に2週間~2ヶ月ほどの休暇を利用して

やってくるヨーロッパの子達ばかりだった。


クラスは4人で、私と友人、それから

ドイツ北部出身のカイと、南部出身の

ルディという男性二人でした。


1ヶ月間で私が今まで2年かかって

やってきたことがすべて終わるほどの

スピードだったけど、まだこの時は

語彙力の不足を除けば、全く

問題なくて、先生方からも相当

ひいきにしてもらっていたんですよ~。

翌月からはどん底だったけどね。


カイは、全然スペイン語を話さず

英語ばかり。

冷たい人だな~とずっと思ってた。


Maria maniatica

私のカメラで自分で撮影したカイ。25くらいか?

本当はもっとハンサム。


Maria maniatica

おやじのような22歳、ルディ。

これも私のカメラで自分を撮影。


ルディはできないなりにスペイン語で

話そうと努力してくれた。

190cm前後の長身で、顔がものすごく

ふけていたので、兄のように頼っていたけど

実は私よりずっと年下だった。


途中10時頃に、メリエンダと言うおやつタイムがあり

そこでお茶を飲んだり、話をしたりなんて感じでしたね。


学校はとても楽しかった。

日本人は独りもいなかくて、誰かいてくれたら

いいのに、とは思っていたけど。


でもこの頃、学校の先生の紹介で

ご主人日本人・奥様スペイン人のご家庭の

8歳と5歳の娘さんに、日本語で遊んでほしいと

頼まれて、週2回ほど出かけるようになったのは

うれしいことでした。


10数年経ってから、このご主人のご友人が

たまたま私のHPを見つけて、『お前のこと

みたいだよ』と知らせてくれたことで、

ご本人から連絡をいただいたこともありました。


昼はちょっと憂鬱だったけど、このご家庭に

いらしたお手伝いさんにスペイン人の

若い人を紹介してもらって、一緒に

ディスコに行ったり、楽しい時間も少しは

増えていきました。


でもとにかく、この昼の時間を何とかしなければと

思い続けていたのでした。

彼女たちは気遣ってくれるけど、時々

私が解らないと思って使っている言葉の中に

私のことをちょっと煙たく思っているような

言葉が聞こえてくることもありました。


うーん、思い出すなあ、あの時、この時。


つづく・・・