スペイン Ⅶ | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

1988年10月31日


この日から、スペイン・サラマンカでの生活が

始まりました。


サラマンカはマドリッドからポルトガル方面に

西にバスで3時間ほどいったところにある街。

いまやその旧市街は、世界遺産となっています。


当初レジデンシアを希望していたようですが

空きがなく、ホームステイになりました。


学校のちょうど裏手で歩いて5分ほど。

もっとも、私の選んだコースは本校ではなく

私立の中高一貫教育校の一部を借りて

授業が行われていました。



Maria maniatica


これは本校。事務手続きや、選択授業で

時々行った程度。


マリア(多分スペイン1多い名前)という名の奥さんと

二人の子供の3人暮らし。

ほかに、リヒテンシュタイン出身のベラと

ドイツ出身のアナとコルディナという3人の

同居人がいました。皆さんドイツ語圏ね。


Maria maniatica


下宿の入り口。生活レベルはあまり高くない。


朝昼2食付きで、滞在日数によって

異なるけど35000ペセタ程度でした。

(約4万円弱)


Maria maniatica


これが乙女の部屋~!!

4畳程度のちょっと変形。

中庭はさんで、コの字型に配置された

玄関から一番離れたリビングの隣。


洗濯物はコインランドリーかまたは奥さんに

頼んで洗ってもらう。

1ヶ月3000円でアイロンつき。



Maria maniatica


私の部屋の窓から見た中庭側。

黄色い服着た子供がいるのが、後に世話になる

ベラの部屋で、ほかの二人が顔出しているのは

バスとキッチン。


ただいま、洗濯物取り込み中。

一度干したら、乾くまで途中雨が降ろうが

何があろうが干したままであった。


友人は言葉が不安と言うことで、FONDAという

長期滞在用の安宿に。

夜だけふたりで落ち合って食事してました。


下宿人の皆さんは、3人とも私に気遣って

ドイツ語圏なのにスペイン語で話をしてくれた。

でもなかなかなじめなくてね~。


今となっては何を遠慮していたのかわからないけど

もともと複数の人の中での発言が苦手なのと

スペイン語がわからないってことがあって

(こんなこと、つたないスペイン語で言っても

どうかな・・・)なんて思ったりして、

ついつい黙りがちになってました。


しらけた雰囲気になることもしばしばで、

死ぬほどおいしいお昼を食べながら、

一体どうしたらいいんだろう・・・という思いで

いっぱいでした。


夜は友人と会って、あちこちバルにも

行ったけど、皆さんどこに集まっているのか

知り合いに会うこともなかった。


23や24時頃に戻っても、まだ誰もいなくて

子供たちも私の部屋の隣のリビングで

サッカーボールを蹴ったりして遊んでいました。


Maria maniatica


私の愛するサラマンカの新旧カテドラル。

誰も話す人がいないときは、ここにいってミサを聞いたり

ボーっと座ったりと、癒しの場所でした。


つづく・・・