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自由気ままに、気の向くままに、我が足跡などを綴る。まったりブログでござい。

今、日本はかつて経験したことのない、計り知れない危機をはらみながら、恐る恐るその舵をとり、航路を開こうともがいている。



それは誰もが理解し、その解決のために、多くの人が前向きにその歩みを進めている。







自分は、こういう公の場で、思想的なことを主張したり、名指しで批判めいたことをいうのはあまり好きではない。


気軽になんでもないことを語っていたいものであるが、今回ばかりは少しものいいたくなったので、勝手に語らせて頂きます。



あらかじめいっておきますが、これから申し上げることは、あくまで自分の個人的な考えであり、それを誰かにおしつけたり、ひろめたりしようといった趣旨のものではありません。


また、まったく個人的な意見ですので、反論・異論などがあるかたもいるでしょうが、そういった方々と論議や問答をするつもりもなく、一方的に主張させて頂くだけなので悪しからず。



上記の姿勢を不快に思われる方は、ここから先は、読まずに、ご退室をお勧め致します。


それらを踏まえた上で、それでも読んでくださる方だけどうぞ。







ここ数日、国政は本当になにをしているのか。


ニュースや新聞を目にする人々は、みな、同様に感じたのではないでしょうか。




国民は、節電やボランティア、募金など、ひとりひとりが小さなことでも出来ることをし、復興への努力を続けている。



まぁ、中には火事場ドロボウ的な犯罪に走るものもいるが、それでも国民のほとんどが、ひとつになろうとしているのに、なにゆえ国の主導者たるべき政治家が、こうもまとまれず、あいも変わらず不毛なことを繰り返しているのか。




今、この日本がおかれている情勢下で首相を務めるとういうことは、非常に困難なことである。


政治的な知識だけではなく、非常に専門的かつ高度な知識と全体を把握・分析し、先を見通すだけの広い視野と柔軟性、被災者や放射能被害に苦しむ人々や解決のために戦い続ける現場の人々などへの配慮、危機的状況を解決するための助力を求め、応えてもらえるだけのカリスマ性等々、必要となる能力は果てしないこの局面で、その先頭に立つということは、至難極まりないことだろう。


確かにこれまでの、菅さんの対応、指導力等々、色々と追いついていないし、疑問に感じる部分や、曖昧ではっきりしないところなど、問題点は数え上げればきりがない。



それは、誰しもわかっている。

わかっているが、上でも触れたとおり、今この局面を乗り切るのは、とてつもなく難しい。

はっきり言って、今の日本に、この局面を一人でどうにかできる人間などいないだろう。

人が一人でできることなど、どれだけの天才や能力をもった人間であろうと限られている。



菅さんが役不足だというなら、それを周りが支えてやればいい話なのだ。

そのための政党なのではないのか。

国民は、ひとつにまとまろうとしているのに。

そして、国もまた、その国民に多くの努力を強いているというのに・・・。



まぁ、菅さんに助けたいと思えるだけのカリスマ性がないといえばそれまでだが、それでも今は、今だけは、人の揚げ足とりや責任の擦り付け合いをするのではなく、一致団結すべき時なのではないのか。



自分は、決して菅さんや民主党が好きなわけではなく、これまでのことを考えれば、むしろ快く思っていない部類である。



しかし、それでも今回の内閣不信任を巡る動きに関しては、それは今やらなければならないことなのかと、声を大にして言いたい。




政局の事しか考えていない政治家は不要である。



何度も言うが、これまでの菅さんの働きは決して十分といえるものではない。



だが、これほどまでに責められ、追い込まれながらも、その責任を全うしようと、とてつもない重責がのしかかる首相続投を公言することは、生半可な覚悟でできることではない。

いまだ諦めることなく、どうにかしたいともがき、頑張ろうとする姿勢は、不格好ではあるが評価できる部分もある。

まぁ、仮にも一国家元首が、ただ頑張るからと足掻いていることが、本当に正常なこととは言えたものではないのも確かだが。



しかし、こきおろした先に、誰が、いつ、具体的にどうするのかの明確な案も出せず、自分が主導して、立て直してやるといったことを言えるだけの覚悟もなく、ただただ、追いつめられた一人の人間を更においつめるだけの連中より、よっぽどマシである。



当初は、解散すると息巻き、不信任案の可決を牽制していたが、大局をみて、辞任を表明したことも、菅さんの英断であったといえよう。

紆余曲折はあったが、今回の一連の動きに関しての菅さんの姿勢は、評価すべきであると思う。



小沢氏も、小沢降ろしを主導してきた菅さんが辞めてくれるなら万々歳ということなのか、菅さんが辞任を表明した途端、民主党を潰す意味もないと、おとなしく引き下がっただけにしかみえない。

小沢氏が今後政治に関与して、日本がいい方向に好転するようには、とてもではないが思えないのは自分だけだろうか・・・。



菅さんが辞めれば、党を超えてひとつになれるとうたい、菅降ろしの先陣を切ってきた谷垣氏も、まとまらなければならない今このときに、支えることのできていない人間が吐いたそんなセリフの何を信じればいいというのだろう・・・。


今後、新しい主導者が立った時、今回の言葉が本当に実践されるのか。

やはり、菅さんを、ひいては民主党を引きずりおろすためのその場限りのただの謡い文句でしかなかったのか。


今後の動向が見ものである。




政治家たるための能をもちながら、何故それをもっと前向きに、人のため、国のため、生産的なことに使えないのか。

どうしてこうも愚かなのだろう。

能のある人間ほど、人のためにその能を使うことができなくなってしまうものなのだろうか・・・。


腹立たしく、情けないと感じることしきり。


なんとも悲しいことである。

昨日、5月27日は、私にとって特別な思いのある日です。





ここ最近、有名人の訃報が続きました。


上原さん、児玉さん、長門さん。



どなたも私個人としては、特にお付き合いがあったわけではないですが、 多くの功績を残され、またマスメディアに姿を見せられることが多い方々だっただけに、皆様同様、様々な記憶、想い出、感動が今も目に浮かんできます。


先立たれた故人に我々ができることは、生きていた時に与えて頂いた多くのことへの感謝と、その眠りが安らかであらんことを願い、ご冥福を祈るばかりです。




そういった最近の訃報から、立ち戻ること4年前の5月27日。


この日私は、突然の訃報に衝撃を隠すことができませんでした。





今なお敬愛して止まない、ZARDのボーカリスト、坂井泉水さんの訃報でした。


舞台公演を控え、稽古に勤しむ日々の中に突然舞い込んできた、まさに晴天の霹靂。


あまりの衝撃に、暫くは何も手につかず、また、とても信じることができない自分がいました。





ZARD・坂井泉水さんは、言葉のとおり私の青春と共にあったといってよい存在でした。


その歌に、存在に、歌詞に込められた想いに、数えきれないほどの希望と力と夢と思い出・・・言い尽くせぬほどのものをもらいました。


今でも、彼女の曲がふっと耳に届いたときは、ほっとした安心感と、温かさと、優しさ、切なさ、ちょっした寂しさを含んだ懐かしさをない交ぜにした色んな想いがこみ上げてきます。


歌は、人は、一体どれだけのものを人に与えることが、伝えることができるのでしょうか。


歌に限らず、人に何かを伝える、感じてもらうということは、とても難しく、しかしやり甲斐と意義のあるものだと、深く思います。



私も、どんな形にせよ、ほんの少しでも、人に何かを与えられる存在であり続けたいと思います。




ZARDは、坂井泉水さんはわたしの心の多くを占める、とてもとても大きな存在です。大きな星です。


そんなZARDの20周年の、そして最後の武道館追悼ライブが行われました。

惜しむらくも、私はその会場に足を運ぶことはできませんでしたが、心は会場とともにあったと思っております。

もうライブでその姿をみることができなくなるのは、とても残念でなりません。



残念ではありますが、人が本当に死ぬのは、その存在がだれからも忘れられた時。

私がその姿を存在を忘れることは決してないでしょう。

見上げれば、いつでも星はそこに輝き続けるのですから。

さてもはてさて、水と睡眠、本当に重要なのはどっちかという話しであったな。



よく考えてみていただきたい。

水の不足とそれによる症状については、ごく一般的な人全体にいえることだが、先に述べた不眠記録については、研究者立ち会いのもとということもあり、不眠記録をどこまで伸ばせるかということにこだわった条件下での記録なのである。

具体的にいえば、不眠状態を続けること以外に関しては、万全のサポート体制がとられているので、ストレスレスな環境(研究という面もあるため、完全にストレスレスかというとそうではない部分もあるだろうが、極力ストレスをかけない工夫や配慮は当然されているのだから、開始当初はともかく、ある程度慣れてくればほぼストレスはない状態といっていいだろう)、バランスよく考慮された食事、不眠でさえいればいいので仕事もなく、ある意味では非常に守られた状態ということだ。




とてもではないが、一般生活のそれとは大きく異なる条件である。


では実際に、我々現代人が日常生活を送りながら不眠でいた場合はどうなのだろうか。

当然仕事もあり、不眠時間が長ければ、生活サイクルにも狂いが生じてくるであろう。

疲労の蓄積度合も圧倒的に違う。

他にも様々な外的要因があり、不眠そのものがまた大きなストレスにもなる。

そういった状態が続けば、行きつく先は、過労死である。

過労死は、不眠そのものが死に直結した結末とは言えないが、大きく関与していることは間違いない。






もう1点、水と睡眠それぞれの重要性を比較する上で、大きな違いがある。



ストレスの多い現代社会に於いて、不眠症や睡眠時無呼吸症候群などの睡眠障害に悩ませられる人の割合は、非常に多い。

どのくらい多いかというと、推定値ではあるが、5人に1人と言われている。



これに対し、現代の日本社会に於いて、幼児やよほど特殊な環境にある人などを除けば、水(食事)がまともに摂取できない人というのは、ほとんどいないだろう。




こうした観点からまとめると、化学的な数値でいえば、確かに睡眠<水であるが、現代社会の一般的な人の営み、安定した供給・享受の可否といった点も考慮するならば、水<睡眠と考えても差し支えないのではないだろうか。







長々と語ってみたが、何がいいたかったのかというと、


やっぱり寝るって大切ねというお話(またかよ、という突っ込みは甘んじて受け入れます嘉神惣一のmaniary-log





ここ数年、鼻炎と気管支系の持病が急激に悪化していまして、質の良い睡眠がとれてないんですなー。

なかなか寝れず、いつも何かをしながら疲れ果てた頃に寝堕ちする日々。

寝てる時も眠りが浅く常にうっすらと意識があって何かを視てる感覚があったりなかったり、なさそうであったり、やっぱりなかったり、それでもあるように思いこんでみたり、ないと言い聞かせてみたり。





これまでは、人並みには健康体な自負があり、風邪も年に1回ひくかひかないかで、ひいても1晩寝れば治ったもんだけど、今年は2月のインフルエンザに始まり、既に2,3回軽い風邪を患っちゃてまぁ大変(´(・)`)クマッタ・・

寝不足の影響で、抵抗力も下がってるんでしょうなー。

そして今また、2日前から風邪中で、体調悪いというのに眠れない夜に煩悶としながら、グダグダ、グルグルとくだらないことに思考を巡らせております。






眠ることの大切さはわかっていても、眠れないというのは実際かなり辛いもんです( >Д<;)




とまぁ、不眠の辛さを語るに言葉は尽きませんが、これ以上語るのはやめておきましょう。


人間は、実際に体験しなければ、本当の意味で理解することはできないものなのですから。








同じ悩みを持つ人は、お互い自分の体を労わっていきまっしょい。




そして気付けば、もうこんな時間だわ!?




そろそろ、堕ちますかね(ρw-).。o○



っとその前に。

冒頭の言葉を残した、かの人とは、どこの誰でしょう、か!?


ほいでは、今宵も!?(ってもう今宵なんていえる時間ではないかもしれませんが)このへんで。

んだらば、いっとき、マッサラーバ! ( ´∀`)/~~

さて、人は、食事と睡眠なしで、どのくらい生きられるのかという話しをしていたかと思うが、話しを続けよう。


まずは、食事について考えてみる。




食事は、もちろん摂るに越したことはないが、


人間はたとえ食べ物がなくとも、水さえあれば、


水を媒体として、体内で何かと頑張ってくれるので、


どうにか2~3週間は生きられる。




このことから、食事<水となる。




人間の体は、およそ3分の2が水分でできているわけであるからして、これはある意味当然といえよう。




因みに、人間がその体内の水分を、体重の約2パーセント失うと、


喉の渇きに始まり、食欲がなくなるといった症状がでる。


約6パーセントを失えば、頭痛やふらつき、眠気、倦怠感、情緒不安定といった症状が現れ始める。


さらに10パーセントを失うと、筋肉の痙攣、循環不全、腎不全、それ以上になれば意識不全となる。

もう、いろいろが不全である。こうなると当然その先に待つ結末は、ご察しの通り、およそ20パーセントの不足で、死へと至る。




続いて、睡眠についてを考える。


細かい話の前に、

ここで諸君らに、ひとつ問いを投げかけてみることにしよう。

問いといっても単純な質問であり、難しい内容ではないので身構えないでくれ給え。

諸君らが、これまでの人生で不眠で活動できた最長時間はいかほどであろうか。


当然の如く、個人差はあるであろうが、せいぜいで長くとも40時間~50時間程度が関の山であろう。


では、公式に残っている不眠の最長時間とは、どのくらいなのか。




研究者立ち会いのもとで認められている公式記録としては、ある少年の持つ、264時間12分である。

日数に換算すると、その記録なんとおよそ11日である。


世の中には、たいした根性の持ち主がいたものである。

因みに、小生の最長不眠時間は35時間である。

とてもではないが、小生は264時間もの不眠に耐える体力も根性も持ち合わせてはおらず、また挑戦してみようという気力も起こらない。

小生は寝るのが好きなのである。



ここで、睡眠についても水と同様、不眠を続けた場合にどのような症状が起こるのかまとめてみよう。

ただし、睡眠に関しては、水の場合と異なり、様々な要因や個人差もある為、単純に何時間を超えたらこういった症状がでるといった例をあげるのは難しい。

ので、ざっくりいく。

めまい、疲労感、思考力・記憶力の低下、妄想・幻覚をみる、情緒不安定、体温低下といったところである。




水、睡眠それぞれについて考えてみたが、では、どちらが生きる上でより重要なのか。

水は、上記でも述べたように一定量不足すれば、死に直結する。

対して睡眠は、不眠状態が長時間続いたからといって、即、死とはならない。

また、上記の記録を達成した少年も、記録達成後に、充分な睡眠をとることで、ほぼ平常の状態にまで復帰している。

このことから、純粋な時間からみても、死への直結性からみても、睡眠<水といっていいだろう。



と、まとめに入ってみたが、果たしてそうであろうか。

実は、上記の比較にはひとつ大きな問題があるのである。



と、ここでまた続く。

“健全なるは よく寝ることである”



かのカガネムレミ・ソヌゥイヨルニッチが、


その著書 『浅き眠りの中に視る哲学とその終着点』


において語られた一節である。






一般的な人間が、心も身体も健全であるために必要なものとはなんであろうか。






よく言われるのは、規則正しい生活と、バランスの摂れた食事、適度な運動だが、


それはどういった生活であるか。少し考えてみよう。




・早起き


・早朝の軽い運動


・食事は偏りなく、バランスよく30品目を毎日食す

・19時以降は、食事しない


・くつろげる時間がある


・夜更かしせず早く寝る


・睡眠時間は6時間~7時間半程度






こんなものだろうか。




理想的といえばそうなのだろうが、所詮理想は理想。


ふっつぅな人間がこの通りに過ごすのは、ハッキリ言ってムリ!!





さて、健全に生きる理想的な生活を考えてみたところで、


次は、生きていく上で絶対に欠かせない点をおさえてみよう。






なにがあろうと、どうしても必要なものは、


食事、そして睡眠であろう。


では、その食事と睡眠なしで、人はどのくらい生きられるのものなのか。



唐突だが、次回に続く。