なんか寝付けない…。



まだ花粉の影響か否かについては、確信はもてていませんが、


昨日あたりから、

目がショボショボしてきました…。


もうしばらくしたら、ムイ鼻炎の状態でしょうか、スペイン語でいうとー


震災の日に近付くにつれて、

色々と思い出します。



そして、色々と考えてしまいますな。



震災の日のことはまだ覚えています。


震災発生の瞬間は、大学院に居ました。


で、都内は電車がストップして、

大学院に新聞紙を敷いて横になって一泊したのでした(学校当局から毛布は配られた)。


ラウンジルームに設置されているTVでは、

津波で大変な事態になってるっていうニュースがずっと流れてました。



この1年間、アっという間だった気もするし、長かった気もするし、

何かが大きく変わった気もするし、何も変わってない気もするし…。


うまく言葉にできませんが…。



心の中で完全に消化できるわけもなし。


何かが心に引っかかったまま、生きてゆくのでしょう。



何か引っかかるものがあるということは、

とりあえずまだ正気(?)を保ってられているということだろうか…。



夜中の悶々はタチが悪いですな…。


自分自身がある対象について考えたこととか、

接した文化というか、

聴いた音楽とか、読んだ本とか、サッカー観戦の感想を覚書的に書くのがこのブログの趣旨なのですが、


なんとなくそういうのは書けないですね。しばらくは。



あー、早く寝よう。



最近PCの動作が重い…


というかアメブロの表示速度が超遅いのですが、

一体何なんだろうか…。


文字変換も超遅いです…。



某ブログなど読み、

幾つか考えてしまいました。


自分に置き換えてみると、

複雑な気持ちに。



最近は夜になると気分が悪くなるっつーか、

なんか色々と悲観的な気持ちになるので、早く寝たいのですが、


ちょっとしたきっかけで寝れなかったりですね。


32年も生きてるんだから、いい加減、寝るのに慣れろって感じです。



もうすぐ震災から1年だ。


昨日のことのようだ。


珍しく、今年は未だ花粉症は発症してない。



PC重すぎるので、ここまで。



昨年自ら命を絶ってしまった旧友漫画家の遺作を購入して読みました。


作品プロパーに関しても色々と感想もったのですが、



私が一番痛感させられたっつーか、強く思ったのは、

「もっと描いてほしかったです」

ということです。

(そう考えちゃうとキリがないのですが…)


ど素人の私が言うのもなんなのですが、

作品として、年々上手くなっていってるのはよく分かるんだけど、


同時に、

「あなたは本当にそれが描きたかったのですか?」

という気もするのです。

(勝手に…)


漫画家稼業というか、商売の世界では「描きたい」云々ではないのだろうとは思います。


雑誌を売るのが目的なので、

その雑誌のニーズというか、読者(読者層)のニーズに応じたものを、

漫画家に求めて、漫画家はそれに応じて描くのは当然と思います。

(そもそも売れなきゃ雑誌も廃刊せざるを得ないので)


もちろん漫画家は受け身で描かされるばかりではなく、

自分のアイデアや意見も反映できるんでしょうが、


それも、雑誌のニーズに沿う限りで反映できるのでしょう。



これは当たり前の話なので、それについて別に文句言うわけじゃないです。



彼は、そういう意味で、

ニーズに合わせた漫画を描くのは、上手くなっていったのだな、と思います。


そういうニーズを捉えられるというのか、ニーズに応えられるは、さすがだと思う。

やはり才能が無きゃできない。



しかしながら、そこで彼が描いてるものが、

彼の漫画家というか、芸術家としての本質から出たものかっていうか、少し違うかな、という気もするのです。

(あくまで私だけの感想というか妄想)


作品つーか、表現されたものだけ(あるいは、ほぼそれだけ)しかその人を知る対象とか材料がなければ、

そういう感想はあまり持たないのでしょうが、

(てか、持ちようがないでしょうが)


彼自身を知る者からすると、

正直、ちょっとシックリこない印象もあるのです。


だからこそ、もっと描いて、別の側面、より深まったところを見せてほしかった。


惜しい。本当に惜しい。


自由に作品を創造していくということと、

商売として作品を創造していくというのは、全く次元の違う話だなあと思います。


そういう意味では、全ての漫画家だったり文筆家が抱いているジレンマかもしれん。


自由に描いて(自由に描く機会を与えられ)且つ売れてる漫画家なんて、ごく一握りでしょう。おそらく。



とにかく残念だ。


訳わからんことをツラツラ書いてしまった。



そういうふうに私は勝手に思うのですが、


…いかが思われますか?


先週から体調を崩してしまって、

熱、筋肉痛、頭痛が同時に出たので、「もしやインフルか!?」と思って病院に行ったのですが、

診断の結果は非インフルな風邪でした…。


今は、だいぶ回復したのですが、

しかし依然として咳と痰は残っていて、とても難儀してます。

(嘔吐とか下痢とかの胃腸系の症状がないのだけが救いです)



それにしても熱が出たときっていうのは、

暑いんだけど、同時に寒気はするという不思議な感じがしますな(汗)

2012年明けましておめでとうございます。



今年は苦しく、複雑な年になる気がする。


なんとなく嫌な予感みたいのもある(特に根拠はないけど…)。


しかし、そういうのに負けずに、

良い年、充実した年にしていきたいと思っている。


そういえば、

年末、TVでヴィム・ヴェンダース監督の映画「パリ、テキサス」が放送されていたので、

かなり久しぶりに観てしまった(汗)

(年末は映画観たくなりますね…)



25年以上前の作品だけれど、

やはり素晴らしい作品だったと思った。

ライ・クーダーの音楽も素晴らしい。

(音楽それ自体だけでも素晴らしいが、映像と組み合わさったとき無茶苦茶素晴らしく聴こえる)



ヴィム・ヴェンダース監督の作品にハズレは少ない気がするけど、

この作品は特に面白い。


見るたびに、新しい発見や感動もある。

(見る側の自分自身も成長してるしね)


良い作品は年月が経っても面白いし、

何度見ても面白い。


あまり気に入らない映画100本を1回ずつ見るよりも、

気に入った映画10本を10回ずつ見るほうが良いのではって気がするが、

そういうのは日常的には忘れがちだな。


やはり見てない作品は気になるので、そっちに向かってしまう。



やはりまとまらず、以上(汗)



今年6月に沖縄に遊びに行ったのだが、

その時の「事前学習」として、何冊か沖縄に関する本を読んだりした・


そのうちの一冊が、

岡本太郎『沖縄文化論――忘れられた日本』(中公文庫)で、

このときはあまり問題意識はなかったのだが、


ちょうど沖縄県立美術館で岡本太郎展をやってて(2回も行ってしまった!)、


東京に帰ってきても岡本太郎のことが頭に残り、

生田緑地公園にある岡本太郎美術館に行ってみたり、


同著『今日の芸術――時代を創造するものは誰か』(光文社知恵の森文庫)を読んだりした。


(ヤフオクでロバートブラウンの顔グラス(有名な「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」というやつ)も買いそうになったが、これはやめた…)



この『今日の芸術』は2011年のベストオブといっていいほどインパクトのある本で、


いままで「美しさ」とか「芸術」であるとか「アート」とかについては特に考えたことがなかったが、


読んでみて、日本語として、「美しい」という言葉は二つの意味で使われてるかな、という気がして、


岡本太郎の本にからは、そのうちの一つの定義を読み取れるように思った。




私流に解釈するならば、

それは人間の精神の奥の方にあるものを突っつくもの、これが岡本太郎がいう芸術ではないか、と思う。


接してみて、

よく分かんないが心動かされるもの、涙が出てくるもの、感嘆させられるもの、

まるで違う自分に生まれ変わったかのように錯覚するもの、みたいな。


凄いサッカーを見たときとかも、そういう感じになることはあるのかも。


こういう意味の「美しい」は、


いわゆる「環境」だとか「デザイン」というものとは、全く違う概念かな、と思った。

(これまでは意識して区別していなかrった私が勉強不足だっただけだが)


もし岡本太郎のような芸術観に立つならば、

日常の身の回りのもの(生活用品、インテリアだったり服だったり)が芸術的だとすると、

しょっちゅう感動して泣いてなければならないことになる。


居心地のよいカフェだったり音楽だったり聴いて、いちいち涙することもあんまり無いでしょう。


綺麗な女のひとみて感動して泣いてたらきりがない。



ただ、こういうのも日本語として「美しい」とは言うでしょう。



「美しい」という言葉は、

そういう二つの意味があるのでは、ということを感じたのでした。


まとまらないブログ記事というか、

最初なにを書こうとしていたか忘れた(汗)



美しくないわー(汗)

なかなか面白いという噂を聞いて、

最近読んで実際に面白かった四コマ漫画が、

『今日の早川さん(1)~(3)』(COCO著,早川書房)だった。


私も早川という名前ということもあり(汗)、

書店で平積みしてあったのを見たりして、

なんとなく気になっていた作品ではあったのだが、


ここまで楽しめるとは意外だったー。


漫画の登場人物は、

SF好きの早川量子、お堅い本好きの岩波文子だとか、

出版社を擬人化された女子たち。

ホラー好きとか、古書マニアとかも出てくる。


各登場人物は読んでる本のジャンルはバラバラだが、「オタク」として括られる。



オタクが何であるかは置いておいて、

一般的に趣味が「読書」という人は、何らかの好きなジャンルつーか傾向はあって、

それぞれ人の読んでる作品や好みはバラバラだと思うのだが、

やはり「読書」が好きっていうところの共通性はあるわけで、


それぞれの「読書」好きとしての習慣であったり、悩みであったりに、

無茶苦茶共感したり、自嘲的なユーモアを感じたりするところがあった。


非常に地味な作品ではあるんだけど。



本を読んむ行為というのは、

人によって、場合によって、

目的もバラバラだし、本もジャンルもバラバラだと思う。


共通しているのは、

読書は自分の力になること、


誰にとっても、一生のうちに読める本は有限であるにも関わらず、

全ての本を読むことが不可能であることはもちろん、

どうやら、多くの本を読むことすら困難っぽい、ということだと思う。


そういうなかで、自分が読む本を選択していかねばらならないのだと、

だからこそ読書は貴重なのだと、

読書好きは皆理解しているのだと思う。


けど、なかなか十分には読むことはできないでいる。

いわゆる積ん読も甚だしい、という自責、焦りだったり。


他のジャンルや、読んだことのない有名作家に対するコンプレックス。


読書と「モテ」は相反するのか、という葛藤…。


わかる(笑)。


『今日の早川さん』は、そういう感じのテーマなのかなー、と(笑)


今年も残り僅かとなった。



今年は悲しい出来事が多かった気がする。


逆に、良いことなど一つでもあったのだろうか、という気もする。

(もちろんあったんだろうけど、印象の話として。)


一つの大きな出来事は震災で、

これは過ぎた出来事というよりも、

いまだ現在進行形というか、

生き残った人たち、被災して家族、財産、仕事を失った人たちは、

これからが更に大変になっていくはずで、ほんと胸が張り裂けそうになる。



いま私自身には何もできないが、

なんとか寒い冬をしのいでほしいと思うばかり。




もうひとつは、

私の古い友人だった漫画家の青山景の自殺。


遺書らしきツイートを残して自殺してしまった。


間違いなく今年最悪の出来事だった。



彼の自殺後、色々と考えてみたり、人と話したりして、

それを少しずつ受け容れるというか、なんつーか、彼の死を信じられなくはなくなtったというか、

とにかく自分の気持ちは、あるていど落ち着いた。


もちろん納得はできるわけはないが。


彼を一人の作家として位置付けて、リスペクトしつつ、

彼が漫画家として表現したことを、一人の読者として受け止め、

他の作家の他の作品と相対化していくのが、せめてもの手向けになるかなぁ、などと思っている。


そして、彼から学んだこと、影響を受けたことを、これからに生かしたりできればと思う。


来年、未完の遺作となった『よいこの黙示録』第2巻が発売されるそうなので、ぜひ読んでみたいと思う。




今年読んだ本とか、感想とか、覚書的に書いておこうかと思ったんだけど、また今度。



また会いましょう。ほんでは。



最近、思うところあって、

法律以外の書籍を幾つか読んだ。


意図はしてないんだけど、いずれも「東欧系」(?)の書籍。



まず今年7月に亡くなったアゴタ・クリストフ(Agota Kristof)の三部作。


『悪童日記』、『ふたりの証拠』、『第三の嘘』(いずれも早川書房)


私は彼女のことを全く知らなかったのだが、

或るきっかけで薦められ(あそこまで熱烈に本を薦められたことはかつて無かった…)、

順番に読んでみた。


一応三冊は「続きもの」なんだけど、それぞれが独立した作品で、

それぞれ作風も形式も大きく異なる。


小説というジャンル自体読むのは久しぶりだったのだが、

非常に強烈な作品で、

心揺さぶられる内容。非常に面白かった。


個人的に、数年前から、「芸術・文学作品における『現実』とは何か」という問題意識というか関心があって、

その関心にも刺激を与えられる内容だったと思う。



ただ、三冊目に関しては、

一冊目、二冊目で与えられた「謎」への「解答」として位置付けて読むとなると、やや陳腐か。

一応「続きもの」とはしつつも、読む側が自由に解釈して楽しむ向きの作品とも思った。


三部作とは別の『昨日』も購入したけどまだ読んでない。




つぎに、イビチャ・オシム関連本。


オシムといえば、以前に私も、名著『オシムの言葉』(木村元彦・著)に感動したクチであるが、


最近なんとなくイビチャ・オシムが気になって、

Amazonで検索したらオシム自身の名義の作品もあったりして、

ドバッと購入してみたんだけど、


オシム自身の本は、最近の日本代表について語ってるばかりで、

こちら側の関心とは少し離れたものだった。

(やはりマスコミはオシムのキャラ売りみたいのが一般的なのか。単に金科玉条にするみたいな)


こちらとしては、そういうオシムの一つ一つの言葉の背後にあるものに関心がった。


その関心に応えるものとして、

代表時代のオシムの通訳だった千田善の著書二冊に巡りあった。


『オシムの伝言』(白水社,2009年)と『オシムの戦術』(中央公論新社,2010年)。


前者は少し前に読んだんだけど、『オシムの言葉』の続編と捉えてよいと思う。


オシムの代表での日々の記録が素材だが、

その羅列で終わっておらず、エピソードを通じてオシムの内面、背景に迫る内容となっている。


オシム・ジャパンとは何だったのかを知るうえでは、この本が基本的な文献なのかも。


後者は、前者の姉妹編といえる内容で、オシムの日本代表での指導内容・采配を、

オシムの基本的な考え方に遡って説明するものといえる。


直接の素材は日本代表だけれども、

「オシム・ジャパン」というよりも、もっと深く「オシム・サッカー」を知ることができる行き届いた分析なので、

これを読めばオシム信者度が深まること請け合い。



四季には、それぞれに美しさがあると思うが、

私にとっては、最も感じ取りにくいのは春だと思う。


花粉症のせいで。


あー、段々と近付いてくる感じする。花粉が。


素晴らしい季節なのに、勿体ない限りだ。



次に感じ取りにくいのが冬。


寒過ぎて…。


けど、女性が最も美しく感じられるのは冬なんじゃないかと思うんだけどね。


寒いとよく見えるのです。



夏と秋は、ひかくてき弊害が少ない(気がする)。



毎年、四季それぞれの美しさ、楽しさを心身で感じ取れるようになったとしたら、

1年間は、相当面白いのではなかろうか。


なんつーことを考えた。

(クリスマスみたいな季節のイベントがどーとか、そういうことを言いたいのではない。季節それ自体の話)