これ、前にも書いたかも知れません。いや、書いたと思います。が、東日本大地震で亡くなられた方の多くにいくつかの共通する特徴がありました。
みなさんに知っておいて欲しいことです。知った上で、どう噛み砕いて自分ごとにするのか、それはご自身のお考え一つです。
なので、まずは私の主観を入れずに、事実だけを淡々と書き連ね、最後に私の主観を書きます。
〜 亡くなられた方の特徴 〜
【戻る】
戻って亡くなった方が非常に多い。せっかく、一旦高台に避難したのに、何かを取りに戻って帰らぬ人に。
取りに戻ったのは人それぞれです。預金通帳だったり、車だったり、ペットだったり、人だったり。
【惜しむ】
手元にあるものを守るために判断が狂って亡くなった方も多いです。それはその時の荷物だったりもしましたが、車に乗ってて、車を捨てることができずにそのまま車ごと流された方がほとんどかと思います。
車の中から見つかった仏さんの多いこと多いこと。あまり人に言いません(言いたくありません)が、私も何人も見ています。
【過小評価】
「まさか!」ってやつ。これは単純に自然の脅威を過小に捉えていたというとこです。こんなことになるとは思ってなかったって、命辛々、何とか逃げれた方もそうおっしゃっています。
【諦め】
これも結構多く聞きます。ご老人に多い印象。孫が
「ジイちゃん逃げっぺ!」
と言っても
『俺はこの家と一緒に死ぬがらいいんだ』
というような話は多く、ジイちゃんを置いてけなかった子供や孫まで巻き込まれたりしています。
また同時に、ジイちゃんを置いて逃げ、今なお後悔に苛まされている方々も見ます。
【共倒れ】
人が人を助けようとした挙句、皆んな巻き込まれて全員帰らぬ人に。
他にもあると思いますが、大体こんな感じです。
ここから私の主観が入るので、読みたくない人は読まない方が良いのですが、歴史が証明してくれたことの後追いなので、南海トラフなどの津波が心配されるエリアの方は読んで損はないです。
『惜しんだら死ぬぞ』
もし目の前で災害が起きたら、自分の命以外のものを惜しまないでください。戻る必要も無ければ、無理ならば助ける必要もありません。無理に助ければ共倒れします。助けた方は共倒れでも悔いはないでしょうけど、助けられた方は「私のせいで」と成仏できないと思います。
アホみたいな話ですが、成仏できない霊なのか、霊障が多過ぎて夜間通行止めになった道路があるくらいです。信じられないと思いますが、本当の話です。
それに、通帳はなくなっても金は無くならないし、悪いけど、ペットや車は諦めてくれ。ペットは生き物だし、人によっては家族同然ですが、すみません。ここではペットはペットとして扱わせてください。
そして、もし君が孫なら、ジイさんが死ぬって言ったら機械的な感情で置いていけ。もうしょうがない。君がジイさんの分まで生きるんだ。それしか方法は無い。
また、君がジイさんだったら、孫に促された瞬間に全力で逃げろ。死んでもいいと思っていてもだ。仮にジイさんを置いていった孫が助かっても、ジイさんが死ねば孫は大きな心の傷を負うことになる。だから、孫のために走れ!
あと、逃げる時に邪魔になりそうなものは捨てても構わん。会社の機密事項が入ったPCや書類でも捨てろ。逃げるために捨てたって言っても誰も咎めないことは歴史が証明してくれた。
『津波てんでんこ』
岩手県の三陸沿岸には古から伝えられてきた「津波てんでんこ」という言葉があります。岩手県釜石市では、大震災の大津波でも小中学生の犠牲者はゼロ、「釜石の奇跡」と言われました。
私は全ての災害において、この思想で犠牲者が減ると確信しています。
ベースは「逃げろ!」ということなのですが、内容がどういうものなのか、それは「津波てんでんこ」で検索してください。これを調べた方は、ついでに「釜石の奇跡」も調べてみてください。
ここに書かず、わざわざ調べてもらいたい理由は、私の主観を交えて書かれたそれらを斜め読みするより、興味を持った人が自分の意思で調べて既知とした方が効果があると考えるからです。
興味がない人は検索すらしないでしょう。できれば全世界の方々に知ってもらいたいのですが無理強いはできません。知りたい人だけ調べてもらえればいいんです。
津波てんでんこは誤解を生むことが多いですが、誤解に隠れがちな真の意味を知ってください。家族内で家長を中心にして共有できれば、災害が無い平時においても強い信頼関係を生むスキームだと思っています。もちろん、家庭だけではなく、他の集団でも取り組める思想です。
できたら、日本中の小学校で家庭で取り組む宿題として出すか、学校でワークショップとしてやって欲しいです。
私個人は家庭内を想定して伝えておりますが、家庭内で完成した時、家族間に究極の信頼関係も完成しているはずです。すげーぞ、昔からの言い伝えというのは。
《写真について》
文中に挿入した写真は、私が自ら撮影した物です。東日本大震災で撮影したものの一部になります。著作権は放棄しませんが、ご自由にお使いください。