絆と寄り添いと心 | ドSなブログ

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基本アホなことしか書きませんな。真面目なことを書いた時は発熱してるはずです。

7年前に東日本大震災が発生し、そこから2〜3年くらいの間、やたらと「絆」という言葉が使われた。3月11日のTVの特集で見て思い出したけど、今も宮城ではたまに見かける文字。

 
絆って何?
 
悪いことではないんだけど、その響きの良さからかヘビロテで使われてしまい、個人的な感想ですが陳腐化した感がある。感じ方は人それぞれでいいと思うんだけど、俺個人の解釈だと、絆って、あまり軽い言葉ではないような気がしているんだよね。
 
なので、軽々しく発する言葉ではないし、口にした以上は責任を持ってその道理をきちんと通す。そんな位置づけ。
 
同様に「寄り添う」という言葉もよく使われたけど、寄り添うってどういうことよ?これまた人それぞれの解釈があって然るべきだと思いますが、俺のとっては感覚的なもので、これを言葉では説明できないなぁ。
 
強いて言うなら、怪我人を見た時に、自分も同じ部位が痛いような錯覚にとらわれて、気持ちがその人とシンクロ、いや同化してしまう、そんな感じ?
 
あるいは、自分の子供が赤ん坊の頃に熱を出し、夜通し添い寝して看病してるお母さん、的な感じ?んーちょっと違うかな?
 
まあいいや。
 
2012年から約2年間、とある公益法人が宮城県から受託した事業のメンバーに選ばれ、宮城県内の被災地を回りまくっては記事と映像、画像を政策し続けた。誰でも知っているようなユニセフなどのNGOを始め、多くのNPOや任意団体がやはり被災地に乗り込んで支援をしていたが、彼らは一箇所に深く根ざして特定の地域やエリアで活動するケースが多いのに対し、俺は言うなれば広く浅く、地面を塗りつぶすかのようにあちこち行き、海岸線は全て走ったな。それどころか、合計何往復しただろうか?ってほど。
 
宮城県の事業なので宮城県以外は行ってないけど、宮城の被災地を俺ほど回った人間もいないだろう。地元の新聞社も後援に入っていたので、新聞社の方ともよく話したけど、彼らもそう言うんだからまあ間違い無いだろ。
 
現地を回って様々な人と話す。そんな中で自然に身につけたんだろうね。人から言われて、寄り添ってたんだと気づいた。
 
今ではとても仲の良い友人である東京の女性記者がいるんだけど、俺が誰かを取材している風景を取材にきたのが初めて会った日だたったかな?彼女が「対象に寄り添い、そして、魂を削って書いているのがわかった」と今でも言う。彼女はお世辞や思っても無いことを言うタイプでは無いし、何よりも人の心を大切にしている人。自覚は全く無かったが、そんな彼女に言われて「俺、寄り添ってたんだ」と認識。
 
2012〜2013年頃だと、現地では、ポジティブな話よりネガティブな話の方が多いのは言うまでもなく、ネガティブな話に寄り添っていると、正直メンタルはズタズタになる。あと、NPOなどの支援団体は、揃いに揃ってクソ野郎ばかりと言うこともよくわかった(ごく一部、まともな人たちもいる)。それもまた、メンタルを乱す原因の一つだった。彼らは、自分たちの団体運営の為に災害など、支援が必要な状況になことを望む。地震じゃなくてもいい。例えば戦争でもいいのかもしれない。あ、その辺は別で書くか。
 
ネガティブな話が多いと言っても、例えば「震災で被害に遭って困ってます」というような記事を書いてもしょうがないわけで、どちらかと言えば「被災したけど必ず復興します。その為に◯◯しています。」というような、復興に向けて前向きな活動や人にスポットライトを当てて紹介する感じです。ま、そういう主題で取材しても、カメラや録音のオンオフに関わらずネガティブな話題が多いから、俺の心も一緒になって具合悪くなってくるんだがなww
 
たまに記事を褒められたが、そりゃ身も時間も削って書いた渾身のテキストだもの、良くもなるさ。もちろん、わけわかんねーオッさんに偉そうに面白くもなんともねー話を聞かされた日にゃ、やっつけ仕事で鼻クソほじくりながらチャチャッと適当に書くよ。そしてこの事業のディレクターから良く怒られたww
 
でも、本物の言葉は無下には扱えなかった。可能であれば、その言葉の裏にいる魂の叫びを、読み手が本質は抑えつつ、あとはそれぞれの持つ感性で自由に解釈できるように伝えたかった。宮城の海沿いの漁師町なんて、情報発信したくてもその方法がわからない人たちも多くいる。「はぁ?ツイッター?なんだべ、それ?」って言うジジババがほとんどさ。その人たちの心は、俺じゃなきゃ伝えられない。「俺の言葉じゃなきゃ伝わらない」なんておこがましい話ではなく、誰もそこまで取材に行かないし、彼らは自分たちで発信する術を持っていない。じゃあ俺が行けばいいじゃん?って話ね。
 
俺が思ってたように表現できたかどうかはわからないけど、2013年後半から復興のフェーズもより具体的な方向に変わってきて「俺の仕事はここまででいいかな」と、やりきった感はあった。もし俺が思うよりクオリティが低かったとしても、最低限、被災地の現状や出来事を伝えると言うことはできているわけだし、少しは誰かの何かの役に立ったと信じたい。
 
昔、フリーライターをやっていたことがあるんだけど、その時は「ウソでも何でもいいから読者を惹きつけろ!」が重要だった。基本的に当時のアングラシーンのルポがメインで、もちろん取材もするが、取材した素材を元に盛って書くのが基本。下手すると、取材もせずに、聞いただけの話をベースに肉付けして「衝撃!独占ルポ!」なんて書いたこともあった。そりゃ衝撃だわ、俺がびっくりしそうな話を自分の妄想で書くんだもの。そして、様々な表現手法も駆使。ドキドキさせるように面白いことさえ書ければ、法律に触れない限りお咎めなしだったよ。そこには使命感も責任感も無い。楽しくはあったけど、充実はしていなかった。クリエイティビティのカケラも無い成果物を垂れ流し続ける人生で「これでいいのか俺?」と言う自問自答の毎日だったなぁ。
 
当時は全くと言っていいほど売れなくてさ、メシも食えずに一度はやめたライター稼業(道楽で年に1〜2本程度ちょこちょこ記事を書いてはいたけど)。震災をきっかけとして2012年に再開させて、2014年春、この時の勤務先からの退職に伴い、共に充実したままライター人生完全閉幕を決定。文才が無いのはわかっているし、家庭があるのに貧乏して努力する気も無いので、最後が充実してたまま終えた方がしに時に思い出して幸せかなーってwww
 
公益法人での勤務は、いわゆる団体職員と言うことになるので給料は安かった。それでも、法人の本部は東京にあり、給与などが東京基準だったので、安いと言ってもまだ良かった。宮城県の団体職員基準でやったら恐らく月給14万とかだぞ?w
 
今でも女房が言うんだが、この仕事をしている時が知り合ってから今ままの中で一番いい顔をしていたんだとさ。そんなもんかねーなんて思うけど、これだったら給料が安くてもいいかなーと思ったそうなので、相当いい顔してたんだろうな。
 
人の心って、何で動くと思う?
 
お金か?または欲望を満たしてくれる何かか?はたまた名言のような上手な言葉か?それらは一見魅力的だけど、人の体や時間を支配できても心までは支配できない。お金が欲しいから従うだけだし、名言を読んで感心しても翌日には元通りで何も変わりゃしない。
 
俺は、人の心を動かすことができるのは、唯一、人の心だけだと思っています。だから、一言一句に心を込めて書いていました。
 
願わくは、被災者の皆様それぞれの心が落ち着いて、日々を過ごせますように。神も仏もいるのであれば、彼らにこれ以上の試練などいいだろう?