今も有るかどうかわかりませんが、吉祥寺に「日の丸」というパチンコ屋が有って、執行猶予でシャバに出てから、私はそこに毎日いました。
まあ、ダメ人間です(笑)
日の丸で花火(パチスロ)を打ってたら、一本の電話が入りました。
電話の主は、野方署で一緒だったパンチでした。
パンチという呼称は、彼がパンチパーマだったからです。
実際には、名前で呼んでました。
電話の内容は、弁当付いて出て来れたとの事。
確か、3年の5年だったかな?
詳細は忘れたけど、長かったことだけは覚えてる。
しかし、出て即日、俺に電話とは暇人だな(笑)
翌日に吉祥寺で落ち合う約束をする。
仕方ない、キャバでも連れてってやんかよ。
翌日、日の丸でパンチと久々の再開。
留置ではパンチが伸びてボサボサだったからボウズにしたけど、
そこから伸ばして、キッチリとパンチを巻いてきてた。
今はもちろん、当時でもパンチってほとんど見なかったけど、
よほどパンチパーマが好きだったんだろうな~。
まず、その辺の居酒屋で飯を食いながら、色々聞く。
パンチは望んで小菅(東京拘置所)に行ったらしい。
理由は「ホカホカの飯が食えるから」(笑)
アホだろ、コイツ。
共犯で逮捕された彼女も無事に釈放され、
今は実家に帰ってるけど、じきに戻るとの事。
メシも食い終わったので、行きつけのキャバに連れてく。
キャバに行った途端、大物詐欺師を演じるパンチ(笑)
アホだろ、コイツ。
しかし、メシをオゴったり、キャバをオゴったら、
こんな事をしてくれる友達なんて今までいなかった、と
ずいぶん感激して、お礼は必ずすると言う。
俺にしてみれば、そう言うのは持ちつ持たれつで
当たり前の事だと思っていたんだが、
パンチは、みんなで足の引っ張り合いだったり
責任のなすり合いだったんだという。
どういう環境で育ってきたのだろうか…
意外に、寂しさが原因で道を踏み外したのかも知れないな。
この日を境に、しばらくの間、パンチとツルむ事になる。
その珍道中は年明けに書き始めます。
皆様、良いお年を!